炎の都ラグリオンへ―
朝靄のかかる山道を、風が通り抜けていく。
遠くに見える地平の向こう――赤く染まる空の下に、まるで燃えるように輝く都市があった。
炎の都ラグリオン。
そこは、炎の魔女たちが支配する地であり、外界の者を寄せつけぬ灼熱の結界に包まれている。
健司たちはその都を目指していた。
目的はひとつ――ヴェリシアの過去に関わる炎の魔女の痕跡を追うこと。
そして、ラグリオンにいると噂される「炎の魔女たち」の動きを探るためだった。
道のりは険しく、足元には黒く焦げた大地が続く。
かつて戦火が走った跡だと、リセルが小さく呟いた。
「このあたり……十年前の“炎の侵攻”の跡ね。まだ、土地が生きてる」
その背後から、ゆっくりと声がした。
「――私も行くわ」
全員が振り返る。
黒い外套をまとったアナスタシアが、静かに立っていた。
冷たい風に銀髪が揺れ、その瞳はいつもよりも深い色をしている。
「アナスタシア様!?」
フィーネが驚きの声を上げた。
「何を……いえ、危険です。ラグリオンは炎の魔女の領域。あなたの魔法は氷水。相性が――」
「わかっているわ。でも、必要なの」
アナスタシアはまっすぐに健司を見つめる。
その瞳には、揺るぎない決意が宿っていた。
「炎の壁を突破するには、水の魔法か、中から開けてもらうしかない。
けれど――あの都の炎はただの炎じゃない。魔女たちの意思そのものよ。
ならば、水の力で応えるしかないわ」
フィーネは言葉を失い、やがて静かに頷いた。
「……わかりました。ですが、せめて援護を」
その時、後ろから別の声が割って入った。
「行ってくるがいい、アナスタシア」
ラグナだった。
炎を宿した瞳で、彼女をまっすぐに見つめている。
「ここは私たちが守る。野蛮な魔女たちはまだ動かんだろう。リヴィエールの防衛は任せておけ」
アナスタシアは短く礼を言い、肩にかかる外套を整えた。
「ありがとう、ラグナ。恩に着るわ」
そのやりとりを、健司は黙って見つめていた。
彼女の横顔が、いつもよりも柔らかく見える。
それに気づいたのは、カテリーナだった。
彼女は隣で腕を組みながら、ぽつりと呟いた。
「なんかさ……アナスタシアの健司への接し方、変わったよね」
リセルが苦笑する。
「カテリーナ様、そういうのよく気づくわね」
「だって、目が違うもん。あれは“女”の顔。昔の氷の女王の顔じゃない」
クロエが肩をすくめた。
「恋をした氷の女王、か……なんだか詩的ね。でも、悪くないわ」
「ふん、詩的とか言ってる場合?」
カテリーナは呆れたように眉を寄せる。
「健司って、ほんと罪な男だよ。アナスタシアまで落とすなんて」
健司は慌てて手を振った。
「落とすって言わないでくれ……そんなつもりじゃ」
「そんなつもりがなくても、そうなってるのよ」
リセルの声はやさしく、けれどどこか冷静だった。
やがて、アナスタシアが彼らの輪に戻ってきた。
彼女は炎の都を遠くに見つめ、口を開く。
「ラグリオン……この名を聞くと、昔を思い出すの。まだ私が“氷の魔女”と呼ばれる前。あの都の魔女たちと戦ったことがある」
風が一陣、吹いた。
その中に、焦げた匂いと古い記憶が混ざるようだった。
「彼女たちは誇り高かった。誰よりも強く、誇りを炎に変えて生きていた。
でも、いつしか炎は怒りに変わり、街は燃え尽きた。
……あの時、私は何もできなかったの」
健司がその横顔に視線を向ける。
アナスタシアは静かに微笑み、言った。
「だから今度こそ、誰も燃やさせない。私自身の手で、終わらせる」
その言葉に、誰も返すことができなかった。
ただ、ヴェリシアが小さくうなずく。
「ありがとう、アナスタシア。私も行く。炎の都の中で、確かめたいことがある」
「ええ、行きましょう。ヴェリシア」
アナスタシアの声は、まるで母が娘に語りかけるような温かさを帯びていた。
こうして、一行はラグリオンへと出発した。
――道中、空気は次第に熱を帯びていく。
遠くの山肌が赤く光り、空がまるで夕焼けのように染まる。
だが、それは夕焼けではない。ラグリオンの炎の壁が、空を焼いているのだ。
「これが……炎の壁」
リセルが目を細めた。
高くそびえる炎の結界は、風も熱も拒むように渦を巻いていた。
アナスタシアは前に進み出た。
「ここからは私の役目ね」
その声には、氷の気配が混ざっている。
彼女が両手をかざすと、周囲の空気が一瞬にして冷えた。
氷の結晶が浮かび上がり、炎の壁に触れた瞬間――
バチッ、と音を立てて、蒸気が弾けた。
「すごい……」
ヴェリシアが呟いた。
アナスタシアの魔法が、炎を少しずつ押し返していく。
「でも……この炎、ただの魔力じゃない。誰かが中で操ってる」
アナスタシアの額に汗がにじむ。
健司が一歩踏み出し、彼女の背に手を添えた。
「無理するな。僕も手伝う」
その瞬間、アナスタシアの魔力が変化した。
氷と炎の間に、淡い光が生まれる。
それは、健司の魔力と共鳴している証だった。
クロエが目を見張った。
「……魔法が、融合してる?」
「まさか、健司の魔力が……アナスタシア様に?」
リセルの言葉に、カテリーナが口を開いた。
「やっぱり、あの二人……ただの仲間じゃないよね」
光が強まり、炎の壁が裂けた。
その向こうには、赤い大地と、燃える塔が見えた。
ラグリオン――炎の都が、彼らを迎え入れていた。
アナスタシアは肩で息をしながらも、満足げに微笑んだ。
「やったわ……開いた」
「ありがとう、アナスタシア」
健司が手を差し出す。
彼女はその手を見つめ、ゆっくりと握り返した。
「礼を言うのは私の方よ。あなたがいなければ、届かなかった」
その一瞬、二人の間に言葉にならない何かが流れた。
熱でも氷でもない、ただ静かな“想い”が。
カテリーナは遠くからそれを見て、小さく息をついた。
「ほんとに、あの人……恋してるんだ」
リセルは笑った。
「まあ、氷が溶けるほどの恋なら、悪くないでしょ?」
ヴェリシアが振り向く。
「行こう。炎の都が呼んでる」
健司たちは、開かれた炎の門をくぐった。
その先には、赤く染まる街と、待ち受ける炎の魔女たち――




