ヴェリシアの朝
朝の陽が、薄いカーテンを透かして部屋を満たしていた。
リヴィエールの街はいつものように静かで、鳥の声と、川のせせらぎが遠くに聞こえる。
リセルは軽やかに扉の前に立ち、ノックした。
「健司、朝よ。起きてる?」
反応はない。
クロエが腕を組み、呆れたように小さくため息をついた。
「昨日の夜、ずいぶん遅くまで話してたみたいだからね。寝坊かな」
「じゃあ、起こそうか」
リセルがドアノブを回し、そっと扉を開けた。
次の瞬間――
彼女の目に映った光景に、動きが止まる。
ベッドの上で、健司とヴェリシアが並んで眠っていた。
ヴェリシアの銀髪が陽にきらめき、健司の腕の中に小さく収まっている。
二人の呼吸は穏やかで、まるで長い時間を共にしてきた恋人のようだった。
リセルの表情が固まり、頬がぴくりと動く。
「……これは、どういうことかしら?」
健司が目を覚まし、状況を理解するよりも早く、クロエが鋭い声を上げた。
「おはよう、じゃないわよ。どういうことなの、健司?」
健司は寝ぼけたように頭をかきながら、すぐに起き上がった。
「いや、違うんだ。話してたら、いつの間にか寝てしまって……何もしてないよ」
「何も、ね?」
クロエは半眼のまま、健司を見つめた。
リセルは腕を組み、静かな笑みを浮かべる。だが、その笑みの奥には確かな“圧”があった。
「ヴェリシア、あなたから迫ったの?」
リセルの問いに、ヴェリシアは慌てて手を振った。
「ないよ、そんなの。ほんとに。ただ……健司の隣って、居心地がいいの」
「……そう。居心地がいい、ね」
クロエがぼそりとつぶやいた。
「隣、隣……いいよね。うん、いいと思う。とても」
その声が、少しだけ怖かった。
ヴェリシアは小さく笑って、肩をすくめる。
「クロエ、そんな顔しないで。ほんとに何もなかったから」
「そう言っても、見た目がね……」
リセルが呟くと、健司はますます困った表情になる。
「ごめん、ほんとに誤解だよ。昨日はヴェリシアの過去の話を聞いてたんだ。炎の魔女に助けられた話……それで、夜更かししてたら眠っちゃって」
「ふうん……」
クロエはあからさまに納得していない。
だがヴェリシアが静かに笑って言った。
「健司の魔法の話も聞いたよ。痛みを取るあの魔法、やさしいね。ああいう魔法を使える人、初めて見た」
その言葉に、クロエの怒りが少し和らいだ。
「まあ……健司の魔法は特別だからね。だからこそ、危ないの。あんまり距離を詰めすぎないで」
「嫉妬してるの?」
ヴェリシアが茶化すように言った。
クロエの頬が一瞬、ぴくりと動く。
「別に、してないわ。ただ――」
彼女は健司の腕を軽く掴み、目を細めた。
「この人は、魔女に好かれやすい。だから、注意してるだけ」
健司は苦笑した。
「そう言うけど、僕は何もしてないんだよ?」
「何もしなくても、あなたは“してる”のよ」
クロエの言葉に、リセルも笑みを浮かべる。
「それが健司の罪ね。優しすぎるのよ、あなた」
健司は頭をかいた。
「うーん……罪って言われると、困るなあ」
ヴェリシアはそんなやりとりを見て、穏やかに微笑んだ。
「ねえ、リセル、クロエ。私は、こうして笑ってる時間が好きだよ。昔は、笑うことも忘れてたから」
その言葉に、部屋の空気が少しだけ変わる。
リセルが問いかけるように目を細めた。
「ヴェリシア、あなた……路地で寝てたって言ってたわね」
「うん。小さい頃、家族がいなかった。雨が降った夜、炎の魔女がファイヤーウォールを張ってくれて。あの時、初めて“生きてていいんだ”って思えた」
クロエが静かに頷く。
「だから、あなたの魔法はあんなに優しいのね」
「うん。炎って、壊すだけじゃない。守ることもできる。あの夜の炎は、私にとって“ぬくもり”だった」
健司がその言葉に目を細めた。
「炎の魔女か……その人、ラグリオンの出身だったのかな」
「多分ね。でも、もういないと思う」
「それでも、ヴェリシアの中にその人の炎は残ってる。僕は、そう思う」
ヴェリシアは少し照れたように微笑み、健司の手を取った。
「ありがとう。あなたは、ほんとにそういうこと言うのが上手いね」
「え、そうかな……?」
「うん。だからクロエたちが放っておかないんだよ」
その言葉にクロエが反応した。
「放っておかないって……あなたねぇ」
だが、どこか照れくさそうに頬を染めていた。
リセルが小さく笑いながらまとめるように言った。
「まあ、もう朝食の時間よ。話の続きは、あとで聞かせてもらうわ」
ヴェリシアがベッドから降り、髪を整える。
クロエが健司の袖を引っ張って、少し拗ねたように言った。
「次は、私の隣で寝てね」
「え?」
「……冗談よ。少しだけ」
ヴェリシアがくすくすと笑い、リセルも呆れたように息をついた。
「ほんと、あなたたちって騒がしいわね。でも――悪くない」
窓の外では、朝の光が強くなっていた。
昨日の嵐が嘘のように、空は晴れ渡っている。
健司は深呼吸をし、心の中でつぶやいた。
(こんな朝も、悪くないな……)
ヴェリシアが隣で微笑む。
その笑顔に、健司はふと、あの夜の彼女の言葉を思い出した。
「炎は、消えない」
――そうだ。誰かに受け継がれた想いは、消えない。
たとえ過去の記憶が薄れても、温もりは生き続ける。
その朝、健司はまたひとつ、“愛の形”を学んだのだった。




