魔法の代償
夕暮れのカリストは、今までにないほど穏やかだった。
長く続いた戦いようやく終わり、街のあちこちから笑い声が響く。
王都の広間では、カリオペが催した祝勝の宴が始まっていた。
「さあ、杯を掲げなさい!」
カリオペの凛とした声が響き、光の魔法が天井を照らす。
まるで星空のようにきらめく光の中で、健司、クロエ、リセル、エルネア、カテリーナたちは顔を見合わせ、微笑んだ。
長い戦い。
失われた命。
それでも、今日だけは涙よりも笑顔を選びたかった。
「お疲れさま、健司」
リセルが杯を差し出した。
健司は受け取り、軽く笑う。
「ありがとう。みんなのおかげです」
その笑顔に、クロエは胸の奥が温かくなった。
誰よりも傷つき、誰よりも優しかった男。
彼が今、こうして隣にいる――それだけで救われる気がした。
「ねえ、健司。これから、どうするの?」
クロエが尋ねる。
健司は少し考え、優しく言った。
「……この光景を、忘れないように生きていきたい」
その言葉には、確かな誓いがあった。
あの血と絶望の中で得た希望。
この平和が、ただの一時の夢ではないように。
グルバルが酒を飲みながら、笑った。
「おいおい、真面目すぎるぜ。お前がいなかったら、私たち今頃灰だぜ?」
「そうですね、もう少し肩の力を抜きましょう。」
ハートウェルがからかうように言った。
健司は苦笑しながら、グラスを傾けた。
笑い声が絶えず続き、夜はゆっくりと更けていった。
宴の終わり、カリオペが立ち上がった。
「今日、我らが勝利を手にできたのは、すべて――この旅人の勇気と愛のおかげです」
その言葉に、会場は静まり返った。
カリオペは杯を高く掲げる。
「健司に、感謝を!」
次の瞬間、無数の杯が掲げられた。
「健司に!」
歓声とともに光が弾け、祝福の風が吹き抜けた。
健司は少し顔を赤らめ、笑った。
「みんな、本当にありがとう……」
その笑みを見て、クロエとリセルは胸がいっぱいになった。
夜が深まるころ、健司たちはそれぞれの部屋へ戻った。
クロエとリセルは同じ部屋に泊まることになっていた。
豪華なシーツ、窓の外に見える満月。
戦いの緊張から解放され、ようやく安堵のため息をつく。
「……今日は、夢みたいだったね」
リセルが呟いた。
「うん。みんな笑ってた。カテリーナだって、少しだけ優しい顔してた」
クロエがベッドに腰を下ろし、柔らかく笑う。
窓から差し込む月の光が、2人の横顔を照らしていた。
その時――ノックもなく、扉が開いた。
「え……健司?」
クロエが驚きの声をあげる。
部屋に入ってきたのは、確かに健司の姿だった。
「どうしたの、こんな時間に?」
リセルが立ち上がり、少し頬を赤らめながら言う。
健司は静かに近づき、2人の前で立ち止まった。
「……クロエ、リセル。愛している」
その言葉に、2人は一瞬動けなかった。
顔が真っ赤になり、視線が泳ぐ。
「ちょ、ちょっと……いきなり何を……!」
「健司、酒が残ってるの?」
クロエとリセルが慌てる中、健司――いや、“それ”は、静かに笑った。
「ばれたか」
その瞬間、健司の姿がふっと揺らぎ、次の瞬間には赤い髪の女性へと変わっていた。
艶やかな笑み、そして挑発的な瞳。
孤高の魔女――ルメだった。
「あなた……どうしてここに?」
クロエの声には警戒が混じる。
だがルメは肩をすくめ、軽く微笑んだ。
「別に、怪しい者じゃないわよ。今日はお祝いでしょう? ちょっと挨拶に来ただけ」
「それにしては、登場が紛らわしいです!」
リセルが頬を膨らませる。
ルメは楽しそうに笑った。
「ふふ、あの子に似せてみたら面白いかと思って。……でも、違和感に気づくなんて、やっぱりあなた達ね」
クロエが息を整え、真剣な目で尋ねた。
「それで、何しに来たの? 本当の理由を」
ルメの表情が、少しだけ陰を帯びた。
部屋の空気が変わる。
冗談や笑みが消え、静かな緊張が漂った。
「……健司の魔法について話しに来たの」
クロエとリセルが同時に顔を見合わせる。
「魔法? まさか――」
「ええ。“なかったことにする”あの魔法。あれには、代償があるのよ」
ルメの声は穏やかだが、どこか切なげだった。
「代償って……何なの?」
クロエが問い詰めるように言う。
ルメは一瞬、目を伏せた。
「――“感覚”を失うの。少しずつ、ね」
その言葉に、2人は息を呑んだ。
リセルの手が震える。
「感覚って……痛みとか、温度とか、そういうこと?」
「そう。彼は代償として、自分の“感情の触覚”を失っていく。魔法を重ねるほどに、心が静かになり、痛みも、愛も、薄れていく」
クロエの目から涙がこぼれた。
「……そんなの、いや」
「あるわ」
リセルが声を震わせながら言った。
「カテリーナ達と対峙した時……健司が傷を負っても、顔色ひとつ変えなかった。あれは、そういうことだったのね……」
ルメは静かに頷いた。
「ええ。あの時すでに、彼は一部を失っていた」
沈黙が流れた。
部屋の中の時計の音だけが、ゆっくりと響く。
「……でも、彼はそのことを気づかせないようにしてる。
きっと、“自分が痛みを感じなくなっても、誰かを救えるなら構わない”って思ってるから」
ルメの瞳が、少しだけ潤んでいた。
その横顔には、悲しみと尊敬が混じっていた。
「だから――お願い。あの子を守って」
クロエは涙を拭い、顔を上げた。
「守るわ。絶対に。彼がどれだけ自分を犠牲にしても、今度は私たちが守る番」
リセルも頷いた。
「うん。彼は優しすぎるから。私たちが、そばにいなきゃ」
ルメは小さく微笑み、2人を見つめた。
「……それでいい。あの子は、“愛”を信じる力を持ってる。
もし、彼の心が完全に静まり返る前に、あなた達がその心を呼び戻せるなら――
セイラさえも、救える」
クロエとリセルの瞳に、光が宿った。
「セイラを……?」
「ええ。彼女もまた、愛を失った女。
でも、健司の光なら、届くはずよ」
ルメは踵を返した。
扉の前で振り返り、にこりと笑う。
「それじゃ、いい夢を。……次に会う時、あの子を支えているのが、あなた達であることを願ってる」
月光の中で、ルメの姿が消えた。
残されたクロエとリセルは、しばらく言葉を失っていた。
「健司が……感覚を、失ってる……」
リセルの声が震える。
クロエは彼女の手を握り、強く言った。
「でも、彼の心はまだある。私たちが信じれば、絶対に戻ってくる」
窓の外では、月が静かに輝いていた。
その光が、まるで健司の優しさそのもののように感じられた。
クロエはそっと目を閉じ、心の中で誓う。
(健司……あなたが痛みを忘れても、私が覚えている。
あなたが涙を流せなくても、私が代わりに泣く。
だから、どうか――自分を失わないで)
風が静かに吹き抜け、二人の頬を撫でた。
その夜、クロエとリセルは互いに寄り添いながら、眠りについた。
穏やかな眠りの中で、遠く、孤高の魔女ルメの声が聞こえた気がした。
――“彼なら、セイラを救える。
その時こそ、真の“愛の魔法”が目覚める”――
夜は、静かに明けていった。




