救世主
ホワイトヴェルの戦いを終えた健司たちは、カリストへの帰路を急いでいた。
夜明け前の風が冷たく、荒野の道を馬の蹄が打ち鳴らす。
沈んだ空気の中で、誰も言葉を発しなかった。
カリオペの表情は険しい。
彼女の額には汗が浮かび、唇はかすかに震えている。
戦場に残された仲間の中で――レディアの姿だけが確認できていなかった。
「急ぎなさい!」
彼女の声が風を切る。
「レディアがいるはずだ、必ず! 探せ!」
その号令に、グルバルやリーネ、クロエたちが動き出す。
それぞれが自分の魔法を使い、索敵の光を放つ。
カリストの白い城壁が見えた時、健司はふと何かを感じた。
(……嫌な予感がする)
胸の奥で、鈍い痛みのような直感があった。
彼は馬を止め、周囲を見回した。
「……セイラさんが以前話していた時、“絶望という言葉を何度も口にしていた。」
「絶望?」
とカリオペが振り返る。
「ええ。あの時、彼女がいたのはおそらく“王の間”です。――もしかしたら」
カリオペの瞳が大きく見開かれた。
「……あの女の趣味か」
「絶望を味わわせることが目的なら、間違いない」
健司は短く言い切り、王の間に走った。
彼らは城内に踏み込む。
冷たい石畳に、血が散っていた。
廊下の奥から、かすかな声が聞こえる。
「――ぁ……け……て……」
その声を聞いた瞬間、カリオペが走り出した。
後を追うように、健司たちも駆ける。
重厚な扉を開けると――そこには、玉座の前に倒れ伏す一人の女性の姿があった。
レディアだった。
金の髪は血に染まり、体中に傷が刻まれている。
白いドレスは裂け、肩口から黒い血が滲んでいた。
それでも、彼女は薄く笑っていた。
「お姉様……」
その声に、カリオペの足が止まる。
震える手で、妹のもとへ駆け寄った。
「レディア! お願い、目を開けて!」
レディアはかすかに瞼を動かし、姉を見た。
唇が微かに動く。
「お姉様……私、幸せでした……。カリオペ様の妹で、よかった……。さよなら……です」
「やめて! やめてよ!」
カリオペは彼女を抱きしめ、声を張り上げた。
涙が頬を伝い、肩が震える。
「何も終わってない! まだ助けられる!」
だが、レディアの瞳の光はゆっくりと薄れていった。
その時――健司が一歩、前に出た。
「……なかったことにしてあげます」
その言葉に、全員が振り返った。
「な、何を言っているの?」
カリオペの声は震えていた。
グルバルが腕を組み、険しい目で健司を見る。
「死を“なかったこと”にする? そんな理屈、通るわけがない」
「奇跡なんて、言葉で済むものじゃないわよ」
ハートウェルが低く言った。
だが、健司の瞳は静かだった。
恐れも迷いもなく、ただ一点を見つめている。
「僕の魔法は、“結果をなかったことにする”ことができます。
ただし、対象は同時に三人まで――
今なら……まだ間に合う」
誰もが息をのんだ。
健司はゆっくりとレディアのそばに膝をつき、手を差し伸べる。
その手が彼女の胸の上に触れた瞬間、空気が震えた。
白い光が広がる。
冷たい風が渦を巻き、まるで時間そのものが逆流していくようだった。
流れ出た血が戻り、裂けた衣が修復され、レディアの肌が色を取り戻していく。
「な、なに……?」
ハートウェルが目を見張った。
「そんな……時間逆行級の魔法を、あんな簡単に……」
グルバルが低く唸る。
「本当に“なかったこと”になってやがる……。魔力の流れも正常だ。傷の痕さえねぇ」
カリオペは信じられないように妹を抱きしめる。
「レディア……あなた……生きてる……」
レディアの瞳が、ゆっくりと開いた。
光が宿り、薄く微笑む。
「お姉様……? あれ、私……?」
彼女は健司を見た。
その目が、驚きと喜びに輝く。
「……あなたが、助けてくれたのですね」
健司は微笑んだ。
「ええ。もう、大丈夫です」
レディアは涙をこぼし、健司に抱きついた。
「ありがとうございます、健司さん……あなたは、救世主です」
その言葉に、カリオペは息を呑んだ。
妹の命を救った男――それがどれほどの意味を持つか、カリオペには痛いほどわかっていた。
健司は彼女を支えながら、穏やかに言った。
「僕の魔法は万能じゃありません。同時に三人までしか使えないです。……でも、やる価値はありました」
部屋に光が差し込む。
城の外では、夜が明け始めていた。
カリストの街並みが朝の色に染まり、長い夜が終わりを告げる。
カリオペは健司に向かって深く頭を下げた。
「あなたには、言葉では足りないほどの感謝を」
「いいえ。レディアさんを助けられて、僕も救われました」
レディアは姉と健司の手を握り、笑顔を見せた。
「お姉様、私……もう泣かない。あなたと、健司さんと生きていきます」
その言葉に、カリオペは涙をこらえきれず、妹を抱き寄せた。
グルバルが後ろで腕を組み、ぼそりと呟く。
「これで、依頼は達成ってわけか」
「ええ」
健司が微笑む。
「カリオペさんの“レディアを救ってほしい”という願いは、叶いました」
カリオペは頷き、静かに言った。
「――あなたこそが、本当の“癒しの魔法使い”です」
健司はその言葉に、わずかに苦笑した。
「そんな大層なものじゃないですよ。ただの旅人です」
外から風が吹き込み、カーテンが揺れた。
朝の光がレディアの頬を照らし、まるで新しい命の証のように輝く。
カリオペは空を見上げ、小さく呟いた。
「……ありがとう、神よ。そして――健司」
健司は視線を上げた。
白い空の向こうに、確かに何かの気配を感じた。
(まだ終わりじゃない)
そう心で呟き、健司は再び剣を握りしめた。
これから待つのは、西の魔女達。
だが今だけは――
この穏やかな光の中で、救われた命のぬくもりを感じていた。




