決断
野蛮な魔女たち――セイラが去った後、戦場には深い静寂が訪れていた。
空気は重く、血の匂いと焦げた魔力の残滓が混ざり合っている。風が吹いても、煙が立ち昇るだけで何も動かない。
健司たちはその場に倒れ伏していた。
立ち上がろうとしても、体が言うことをきかない。反転の魔法――セイラが最後に放ったあの呪文が、肉体と魔力の流れを逆転させているのだ。回復魔法を使えば傷が深くなり、動こうとすれば痛みが倍増する。
健司は奥歯を噛みしめた。
(……これじゃ、誰も助けられない)
カテリーナはうつ伏せのまま、必死に指を動かしていた。
「くっ……体が……動かない……」
唇を噛み、血が滲む。それでも、健司のほうを見ようとしていた。
クロエが荒い息を吐いた。
「反転魔法……最悪ね。普通の治癒も、魔法強化も全部裏目になる。」
「そんな……じゃあ、どうすれば……」
リセルが弱々しく問う。
沈黙が降りた。誰も答えられない。
健司は、地面に手をついた。
冷たい土の感触が、生きていることをわずかに思い出させる。
(どうすれば……この状況を、変えられる?)
考えろ。焦るな。必ず、道はある。
心の中で繰り返す。
――その時、低い声がした。
「お前の魔法では、どうにもならんのか?」
声の主はブラッジだった。
大柄な体を横たえながらも、彼の瞳はまだ鋭く光っていた。血に濡れた胸が上下している。もう長くはもたないだろう。
健司は顔を上げた。
「……三人までなら、僕の魔法で“なかったこと”にできます。でも、それ以上は――」
「限界か」
ブラッジは微笑を浮かべた。
「なら、それで十分だ」
その言葉の意味がわからず、健司は眉をひそめた。
ブラッジはゆっくりと体を起こし、リーネのほうを見た。
彼女は青ざめ、魔法陣を維持するだけでやっとの様子だった。
「リーネ。お前の“アンチヒール”を、俺にかけてくれ」
「な、何を言ってるんですか!? そんなことしたら――」
「俺に全部、移せ。みんなの傷を、俺にだ」
リーネの顔が真っ白になった。
「無理です! そんなことをしたら、あなたが――!」
ブラッジは笑った。
「いい。気にするな。それに――お前らなら、西の“化け物の魔女ども”にも通じる」
その言葉に、カリオペが目を見開く。
「あなた……まさか……」
「気づいてたさ。最初から、俺が長くないことも、あの魔女たちがこの地を“試している”こともな」
ブラッジは目を閉じ、ゆっくりと息を吐いた。
「戦争の時代を生きてきた。奪うしか知らなかった。……だが、健司。お前たちを見て思ったんだ」
「何を、ですか」
「……守るってのは、悪くないな、ってな」
静かな笑みだった。
その瞳には、かつて戦場で多くの命を奪ってきた者とは思えない、穏やかな光があった。
リーネの頬を涙が伝った。
「わかりました……でも、絶対に後悔しませんね?」
「しねぇよ。どうせもう、残りは短ぇ」
リーネは震える手で魔法陣を描く。
黒い光がブラッジを包み、周囲の仲間たちへと伸びていく。
彼らの傷が、痛みが、血が、ゆっくりとブラッジの体に吸い込まれていく。
皮膚が裂け、筋肉が焼けるように赤く染まる。
それでも彼は、歯を食いしばって耐えていた。
「……これで……少しは……動けるだろ」
健司は立ち上がろうとしたが、ブラッジが手で制した。
「お前は動くな。最後まで、見てろ」
リーネの魔法が終わる。
ブラッジの体はもう、血に染まりきっていた。
だが、その表情には苦痛はなかった。
リーネがそっと近づき、ブラッジの胸に手を当てた。
「最後に……癒しを、あなたに」
柔らかな光が彼を包む。
痛みは消え、冷たさだけが残る。
「……心地よい……」
ブラッジは目を閉じた。
穏やかな表情のまま、息を引き取った。
風が吹き抜け、焼けた大地の上に静けさが戻る。
セレナが泣き、リーネが声を殺して祈り、クロエは黙って空を見上げていた。
健司はそっと膝をつき、ブラッジの手を握る。
「……ありがとう」
その言葉だけが、やけに遠く響いた。
――空が、少し明るくなってきた。
雲の隙間から、朝の光が差し込む。
血に染まった地面を照らし、まるで新しい始まりを告げるように。
カリオペが立ち上がり、風に髪をなびかせた。
「帰りましょう、健司。……カリストへ」
「……ええ」
彼らの旅は、まだ終わらない。
西に潜む“化け物の魔女”たち。
そのすべての糸が、少しずつ交わり始めていた。




