邪悪なる時空の魔女 ― マリエの出現
静寂が訪れたはずの白い塔の広間に、不意に音が響いた。
――パチン、パチン、と乾いた音。
「……素晴らしい見せ物だったよ」
拍手だった。
その声は女のもの。
低く艶やかな声に混じる冷酷な響きが、場の空気を一瞬にして張り詰めさせる。
皆が声の方を振り向いた。そこには、一人の女が立っていた。
黒い衣に身を包み、瞳は星明かりのように青白く輝いている。笑みを浮かべているが、それは慈悲のかけらもない笑みだった。
その女の姿を目にした瞬間、ベルンドの顔が炎に焼かれるように歪んだ。
全身の血が沸騰するような怒りが噴き出す。
「――マリエ……!」
ベルンドは地に膝をついていたはずが、怒りの力で立ち上がった。
その声は咆哮に近い。
「お前の顔は、絶対に忘れない……! 妻と子供を奪った仇……!」
女――マリエは、涼しい顔で口角を上げた。
「ふふふ……そう、思い出してくれて嬉しいよ。あの時は楽しかったね。お前の妻と子供――最後まで助けを求める顔、絶望に染まるその瞬間……ああ、今思い出しても愉快だわ」
ベルンドの全身が震えた。
「貴様ぁぁッ!」
手にした死神の鎌を大きく振りかぶり、マリエへと叩きつける。
――だが、その瞬間。
鎌は音もなく消え失せた。
「……なに?」
ベルンドの目が見開かれる。
マリエは小さく笑った。
「ふふ。時空魔法――“なかったこと”にしたのよ。その鎌をね」
「そんな……ふざけた魔法が……!」
ベルンドは目を血走らせ、怒りと恐怖をないまぜにして叫んだ。
そのやり取りを目にしたクロエとカテリーナも、体を震わせていた。
怒りと憎しみ。長く抑え込んできた感情が一気に噴き出したのだ。
クロエが声を張り上げる。
「マリエ……! あの時、村によくも……! よくも嘘を吹き込んで、みんなを絶望に陥れたな!」
カテリーナも一歩前へ進み、指を突きつけた。
「忘れもしない……。野蛮な魔女たちの中に、あんたの顔を見た! 人を弄び、壊すためだけに笑っていた……!」
マリエは二人の言葉に、さらに嬉しそうに唇を歪めた。
「そう。わたしはいつだって同じ。そこの男に言ったことと同じよ。――わたしが見たいのは、幸せから絶望に落ちる、その“顔”だけ」
その瞳は氷のように冷たい。だが、燃え盛るような狂気が宿っていた。
その時だった。
健司の体から、異様な圧が溢れ出した。
それは魔力ではなく、もっと根源的な“威圧感”だった。
空気が震え、仲間たちでさえ息を呑んで健司を見た。
健司の声は低く、鋭く響いた。
「……君みたいなのは、魔女ではない」
その言葉に、マリエの笑みが一瞬だけ消えた。
彼女の瞳に初めて警戒の色が宿る。
「……ほう。人間風情が……」
マリエは小さく吐き捨てると、再び笑みを作り直す。
「だけど――ここで君たちは終わりだ」
その瞬間。
轟音と共に、水流がマリエへ襲いかかった。
透明な奔流が空気を切り裂き、渦巻くように彼女を包み込む。
「……水魔法?」
マリエは嘲笑しながら手をかざし、時空の術で消そうとした。
だが次の瞬間、水は凍りつき、鋭い氷の槍へと変貌した。
無数の氷刃がマリエを取り囲む。
「……な、これは……氷……?!」
カテリーナの目が大きく見開かれた。
「この魔法……アナスタシアの……!」
だが、マリエは即座に否定した。
「違う……これは……!」
その瞳に浮かんだのは、恐怖に近いものだった。
「まさか……孤高の魔女……!」
氷の魔法は鋭さを増し、マリエの周囲を切り裂く。
彼女は一瞬、時空魔法を発動するのが遅れた。
だが次の瞬間、空間そのものが歪み、マリエの姿は掻き消えた。
「くっ……逃げたか!」
リセルが悔しげに叫ぶ。
氷の刃が消え、広間には静けさが戻った。
仲間たちは緊張を解かぬまま、互いに視線を交わす。
クロエは息を荒げながら呟いた。
「……あの女……絶対に許さない……」
カテリーナは拳を握りしめ、低く付け加える。
「マリエ……。必ず倒す。あんな奴を野放しにしたら、この世は地獄になる」
健司は仲間を見渡し、静かに頷いた。
「……次に会う時は、必ず決着をつける」
そして彼は、先ほどの氷魔法を思い返した。
もし本当に“孤高の魔女”なら――彼女はどこで、何をしているのか。
不安と期待が入り混じった感情を胸に、健司たちは再び前を向いた。
まだ戦いは終わらない。むしろ、真の敵が姿を現したにすぎないのだ。




