ヴェリシアの覚悟
白い塔の広間に、緊迫した空気が張り詰めていた。
石の壁は冷たく、天井は高くそびえ、弓弦のわずかな音すら反響して響く。
四天王の一人――神速の弓使いバキラエが、獲物を狙う獣のような眼光を放って立ちはだかる。
彼の手には黒光りする弓。その表面には古代の刻印が走り、力を帯びるたびに紫電のような光がほとばしった。
バキラエは口を開いた。
「……あの男を守る価値があるとでも?」
静かだが冷徹な声。矢をつがえた指先が微かに震えるたび、広間全体の空気が切り裂かれるように震動する。
ヴェリシアが一歩前へ出た。
炎の魔女としての誇りが、その紅の瞳に宿っている。
「ある!」
その声は力強く響き渡った。
「健司は奇跡を何度も起こしてきた。あなたには分からないだろうけど、私たちはその姿を見てきたのよ!」
バキラエは鼻で笑う。
「戯言だ。奇跡など弱者の夢想。力で支配する者の前では無力にすぎん」
弓弦が鳴った。
空間を裂く轟音とともに、神速の矢が放たれた。
それは目で追えぬほどの速度。音よりも速く、影よりも鋭い。
狙われたのはヴェリシア――否、その直前で軌道が変わり、横にいたミリィを撃ち抜いた。
「きゃっ!」
ミリィの身体がはじかれ、床に倒れ込む。
「ミリィ!」
ヴェリシアが駆け寄ろうとするが、バキラエの声が遮った。
「どうした? 避けたはずだとでも言いたそうな顔だな」
苦しげに胸を押さえながら、ミリィがつぶやいた。
「……どうして? 確かに……避けたはずなのに……」
ヴェリシアはすぐに気づいた。瞳が細まり、憎悪を帯びる。
「……影の弓を使ったな」
バキラエが唇を吊り上げる。
「当たりだ。神速の弓は伊達じゃない。速さだけではない。影に軌跡を忍ばせ、狙った瞬間に本命を撃ち抜く。わかっても避けられない……それが私の矢だ」
弓弦が再び鳴る。
次に狙われたのはヴェリシア。
矢が光の帯となって、直線的に彼女へ迫る。
「させないっ!」
ヴェリシアは両腕を広げ、炎を展開しようとした。
だが矢は、火炎すら貫く速度を持つ。
その刹那――
ゴウッ、と轟音が広間を包んだ。
突然、バキラエの手から弓が吹き飛ぶ。
彼の足元に赤い炎が広がり、瞬く間に床全体を舐めるように燃え上がる。
「なに……!?」
バキラエの瞳が驚愕に見開かれた。
ヴェリシアは低く告げる。
「あなたの攻撃は直線すぎる。だからこそ、先を読めば……狙い撃てる」
炎が一層強く輝く。
「――フレイヤボム!」
轟音と共に、爆炎が広間を覆った。
炎の渦がバキラエを中心に爆発し、逃げ場を奪うように燃え広がる。
彼の身体を炎が絡みつき、瞬く間に衣を焼き尽くした。
「ば、ばかな……! こんな……っ」
バキラエは必死に弓を取り戻そうとするが、すでにそれは炎に包まれて砕けていた。
彼の身体が徐々に崩れ落ちていく。
「……なるほどな。さすが……炎の魔女たちがいる街にいたことだけはある……」
最後の言葉を吐き、バキラエは絶命した。
彼の姿は灰となり、炎に飲まれて消えていった。
――静寂。
ヴェリシアは大きく息を吐き、炎を収める。
そのとき、倒れていたミリィがふらつきながら立ち上がった。
「……私、まだ……戦える」
駆け寄ったヴェリシアが彼女を支える。
「無理しないで。あなたは影の矢を直撃したのよ」
「大丈夫。健司がいる……彼なら、きっと治してくれる」
ミリィは痛みに耐えながらも、真剣な眼差しでヴェリシアを見上げた。
「ねえ……さっき、あの人が言ってたわよね。“炎の魔女たちがいる街”って」
ヴェリシアは少し黙り込み、首を振った。
「知らないわ。けど……気になる。私たちと……誰かを勘違いしているのかもしれない」
「勘違い……?」
「ええ。炎の魔女が複数……“街”と呼ばれるほど集まっていたとすれば……」
二人の間に、不安がよぎる。
それは過去の記憶か、あるいは未来に待ち受ける運命か。
だが今は、その答えを探す余裕はない。
彼女たちは互いに支え合い、健司の後を追うべく階段を再び登り始めた。
燃え残る炎の匂いと、バキラエの最後の言葉だけが広間に残されていた。
――炎の魔女たちの街。
それは、塔のさらに上で明かされる新たな真実の予兆だった。




