魔女の名とかつての仲間
風は静かだった。
さっきまでの戦いがまるで幻だったかのように、丘の上には穏やかな時間が戻ってきていた。
クロエは小さな焚き火を囲みながら、火に当たっていた。
その隣に、ルナが座り、ミイナも少し離れた岩の上に腰掛けている。健司は、クロエの向かいにいた。
言葉は、誰も口にしなかった。
だが、やがてその沈黙を破ったのは、健司だった。
「……さっきの人たち、クロエのことを知っていたみたいだった」
クロエは火の揺らめきを見つめたまま、目を伏せてうなずいた。
「うん。ヴェリシアと、ローザ。ふたりとも、私の“昔の仲間”よ」
「仲間……?」
ミイナがゆっくりと視線を向けてくる。
ルナもまた、唇をかすかに引き結んで、クロエの言葉を待っていた。
「……そうね、話す時が来たかもしれないわ」
クロエは深く息をついた。
炎が揺れ、その赤い光が彼女の表情を照らし出す。
「私はね、かつて“アスフォデルの環”という、魔女の組織にいたの。正確には、魔女たちが集まる小さな共同体……自分たちで守りあいながら、人間から距離をとって生きる場所だった」
健司は、クロエの目がわずかに寂しげに揺れたのを見た。
「そこには、いろんな魔女がいた。夜を恐れる子もいれば、声を失った子もいた。みんな、力と心に“傷”を抱えていて……それをどうにかして生き抜こうとしていたのよ」
「……ヴェリシアとローザも、そこにいたの?」
ルナが問いかけると、クロエは静かにうなずいた。
「ええ。ヴェリシアは、規律と誇りを大切にする子だった。正義感が強くて、自分の信じる道をまっすぐに歩こうとしていた。一方、ローザは……とても優しい子だった。あんなふうに攻撃的だったなんて、信じられないくらい」
「じゃあ、どうして……」
健司が小さく呟く。
クロエはしばらく沈黙し、そして口を開いた。
「ローザの村が、襲われたのよ。人間たちに。“魔女の呪い”があるって理由で。実際には、病気だったの。ただの、自然に広がる病」
ミイナが唇を噛んだ。
その言葉には、彼女の過去にも重なる何かがあったのだろう。
「ローザはそれを止めようとした。力を使っても、話し合いを求めても、何も変わらなかった。むしろ恐れられて……燃やされたの。家も、家族も、すべて」
「そんな……」
「ヴェリシアは、その時も冷静だった。復讐ではなく、組織として力を蓄えることが必要だと言って、アスフォデルの環を拡大させていった。でも私は……」
クロエは、炎から視線を外した。
「私は、信じたかったの。人間にも、変われる人がいるって。世界はすぐには変わらなくても、歩み寄れる日が来るって。でも……それは、組織では許されなかった。『理想論者』って呼ばれて、やがて孤立して……私は、出ていったの」
風が、ふと吹き抜けた。誰も言葉を挟まなかった。
それは、クロエの痛みの記憶に、誰もが敬意を払っていたからだ。
「でも、君は戻らなかったんだね」
健司がやさしく言った。
「ええ。私には、まだ諦められなかったから。そして、あなたに出会って……少しずつ、希望が現実に変わっていくのを見てる。だからこそ、きっとヴェリシアやローザも、変われる。そう信じてるの」
ルナが、そっと手を重ねた。
「私も、変われたよ。あの時、健司に“歌っていい”って言ってもらえたから」
ミイナも静かにうなずいた。
「私も……夜が怖くて仕方なかったけど。健司と一緒にいて、少しずつ光を受け入れられるようになった。クロエが信じる道、私も歩いてみたい」
クロエは微笑んだ。
「ありがとう。ほんとに、ありがとう。ふたりがいてくれて、私は……怖くない」
健司は立ち上がり、手を差し出した。
「クロエ。これからも一緒に歩こう。どんなに遠回りでも、きっと“信じられる未来”がある。僕はそれを見たい。君たちと一緒に」
クロエはゆっくりと立ち上がり、健司の手を取った。
「ええ、もちろん。私も一緒に歩くわ、健司」
夜空には、星がひとつ、またひとつと浮かび始めていた。
風があたたかくなった気がしたのは、焚き火のせいだけではなかった。




