カリオペの妹レディア
白亜の塔は、夜の闇の中でも淡く光を放っていた。
まるでそこだけが月に照らされているかのように、塔の壁面は冷たく輝き、近づく者の心を圧する。塔の内部はさらに異様だった。荘厳な大理石の廊下、無数の封印の紋様が刻まれた扉、そして空気に満ちる魔力の圧迫感。そこは牢獄であり、祭壇であり、実験場でもあった。
領主ブラッジは最上階に立ち、巨大な窓から外を見下ろしていた。
重厚な赤黒の外套が夜風に揺れる。彼の眼差しは冷徹で、しかしその奥に熱狂めいた炎を宿していた。
「……もうすぐだ。」
その声に、部屋の中央で鎖につながれた女性が顔を上げた。
金色の髪が乱れ、額には汗が滲んでいる。けれどその瞳は決して濁らず、清らかな光を宿していた。彼女こそ、聖光魔法を継ぐ者、レディア。カリオペの妹であり、かつて「聖なる盾」と呼ばれた女だ。
「お姉さまが……来るのですか?」
か細い声でありながらも、その言葉は真っすぐだった。
ブラッジはゆっくりと振り返り、薄い笑みを浮かべる。
「そうだ。お前の愛する姉がここにやってくる。そして──彼女の隣には、あの男がいる。」
「……あの男?」
「名は健司。お前も耳にしただろう。アスフォルデの環を倒し、さらにアナスタシアをも屈服させた存在だ。」
レディアの瞳が揺れる。
彼女は囚われて久しく、外の情報は断片的にしか入っていない。それでも「アスフォルデの環」や「アナスタシア」という名は知っていた。いずれもこの世界を震撼させた強大な魔女。その二人を……?
「……信じられません。」
「信じる必要はない。」
ブラッジは嗤った。
「だが事実だ。あの男は魔女を倒し、従わせ、そして惹きつける。魔女どもは彼を慕い、共に歩む道を選び始めている。」
「それが……何になるというのです?」
「何になる?」
ブラッジは歩み寄り、囚われの少女の顎を指で持ち上げた。冷たい笑みが間近に迫る。
「すべては我らホワイトヴェルのためだ。この地こそが秩序の中心。魔女どもが好き勝手に国を築き、街を奪い、民を惑わすなど許されん。健司の力を利用すれば、奴らを容易く支配できる。」
「利用……?」
「そうだ。」
ブラッジの瞳は狂気じみていた。
「健司は魔女の希望。ならばその希望ごと奪えばいい。魔女どもは逆らえなくなる。彼を“象徴”として担ぎ上げ、我らが支配を盤石にするのだ。」
レディアは胸の奥で怒りを燃やした。
姉が信じた者を、利用するだと? だが鎖は重く、魔力を封じられた身体では抗えない。ただその清浄な瞳で睨み返すことしかできなかった。
「お姉さまは……そんなことを許さない。」
「許すさ。」
ブラッジは吐き捨てるように言った。
「妹を人質に取られてはな。お前がここで囚われている限り、カリオペは抗えない。」
レディアの頬を冷や汗が伝った。
──姉を縛るために、自分が利用されている。わかっていた。だがそれを突きつけられると、胸の奥が締めつけられた。
「……あなたは間違っています。」
震える声で、それでも毅然と告げる。
「人を縛り、支配しようとしても、決して心までは縛れません。姉は必ず来る。健司という方も……きっと、あなたの思うようにはならない。」
ブラッジの笑みが消える。
代わりに冷たい怒気が漂った。
「ほう。囚われの身でありながら、まだ信じるか。愚かしい。」
「愚かではありません。」
レディアは瞳を逸らさず言い切った。
「信じることこそ、力です。」
しばしの沈黙。
やがてブラッジは背を向け、窓の外を見上げた。白い塔を包む夜空に、幾筋もの流星が走る。
「……ならば、その信念ごとへし折ってやろう。」
低い声で呟く。
「カリオペも、健司も。お前が絶望するその瞬間に。」
塔の外では、黒い翼を持つ魔獣たちが低く唸り、群れを成して旋回していた。
白い塔は戦の前夜を告げる鐘楼のように、不気味に輝きを増していった。
レディアは目を閉じ、心の中で祈った。
──お姉さま。どうか……健司さんと共に、私を、そしてこの絶望を打ち砕いてください。
その祈りは、まだ遠く離れた地を進む一団の心に、確かに響こうとしていた。




