純血と混血
広間にはまだ張り詰めた緊張が残っていた。
魔女グルバルとハートウェルは、互いに目を合わせ、しかし何も言わずに唇を噛んでいた。リーネが魔法を放ちかけた瞬間の、あの冷たい気配が空気にこびりついて離れない。
「認めない!」
グルバルの声は低く、震えていた。長く積み上げてきた誇りを否定されたかのように。
しかし、その直後、彼女は胸を押さえて膝を折った。吐き気とめまいに襲われ、指先が冷たくなる。魔力の流れが滞り、普段なら即座に術式を完成させられるはずの自分の力が、鉛のように重たく動かなくなった。
「……な、何だ、これは……」
周囲の視線が集まる。その原因はすぐに分かった。
リーネが前に出ていた。彼女の周囲に漂うのは、闇に近い灰色の魔力。いつもの優しさも柔和さも消え失せ、その目には強い怒気が宿っていた。
「これだから純血共は」
吐き捨てるような声。その響きは鋭く、冷ややかで、空気を凍らせた。
ハートウェルは眉を寄せた。
「リーネ、やめろ。今はそんなことを言う場じゃない」
だが、止まらなかったのはエルネアだった。
彼女が一歩前へ出て、リーネとグルバルの間に立った。
「やめろ、リーネ」
その声音には、厳しさと同時にどこか哀しみがあった。
「私たちは仲良くすると決めたはずだ」
リーネの目が一瞬揺れた。だが、すぐに視線を落とすと、小さく頭を垂れた。
「……すみません」
謝罪の言葉が出たのは、エルネアへの敬意からだった。だが、内心は煮えたぎるような思いが渦巻いている。純血主義者がどれほど多くの同胞を傷つけてきたか、リーネは知っている。それを忘れろと言うのは、彼女にとって容易ではなかった。
静寂の中、アナスタシアが立ち上がった。
彼女の長い銀髪が揺れ、冷ややかな視線が場を射抜く。
「純血は関係ない」
その一言が、沈黙を破った。
リーネが顔を上げる。グルバルも、ハートウェルも、誰もが彼女の次の言葉を待った。
「違うかな? カリオペ」
視線が横に送られる。アナスタシアの側に控えていたカリオペが、ゆっくりと立ち上がった。深い紫の瞳が周囲を見渡し、ため息をひとつ。
「その通りだ」
彼女の声は穏やかでありながら、重く場に響く。
「純血も、混血も、思想に過ぎない。ただの枠組みだ。血に意味などない」
その言葉は、信念としての力を持っていた。カリオペ自身が、過去にその思想によって苦しめられたからこそ言える言葉だった。
だが、グルバルは唇を強く結んだ。
「思想だと? お前たちは分かっていない。純血の誇りがあったからこそ、私たちは生き残ってきた。血は力だ。混じりものは、弱い」
その主張は長く続いてきた純血派の論理だった。だが今、その言葉は重みを失いつつあった。実際、健司という人間がアスフォルデの環を打ち破った事実がある。血よりも意志、そして行動が世界を変えている。
リーネが再び言い返そうとしたが、エルネアが小さく首を振った。
アナスタシアは腕を組んで、にやりと笑った。
「弱い? なら問おう、グルバル。お前は今、この場で私に勝てるか?」
沈黙が落ちた。
グルバルは返事をしなかった。否、できなかった。先ほどリーネの魔法によって体調を崩し、魔力の流れを乱された今、彼女は戦える状態ではない。
アナスタシアは、答えを聞く前に続けた。
「勝てない相手が、純血か混血かで決まると思うのなら、滑稽な話だ。力は血に宿るのではない。意志と、歩んできた道に宿る」
ハートウェルは腕を組み、重々しく頷いた。
「……私も、アナスタシアの言葉に同意する」
この場の均衡は、完全に崩れつつあった。
リーネは拳を握りしめたまま、心の中で葛藤していた。彼女にとって純血派は許しがたい存在だ。しかし、エルネアやアナスタシアの言う通り、争いを続けても未来はない。彼女はようやく、自分の怒りを抑え込む理由を見つけようとしていた。
カリオペが、静かに締めくくるように言った。
「血は記号にすぎない。そこに価値を見出すのは、恐怖からだ。変化を恐れる者が、拠り所として純血を持ち出す」
グルバルの目が揺れる。その言葉は図星だった。彼女も本当は分かっている。血がすべてを決めるのではない。だが、過去の誇りと歴史に縋らなければ、自分の存在が揺らいでしまう。
――結局、この日の話し合いは一旦終わりとなった。
表面的には収まったが、心の奥底に残る対立は消えていない。
アナスタシア一派が去っていった後、リーネは小さく息を吐いた。
「私は……間違っていたのでしょうか」
エルネアは優しく微笑んだ。
「間違っていたわけじゃない。あなたの怒りは正しい。でも、それをどう使うかが大事なの」
リーネはその言葉を胸に刻んだ。
純血派との対立は終わっていない。けれど、確かに何かが変わり始めている。
そして、誰もが思った。
――この先、彼女たちがどう生きるのかによって、世界の未来が形作られるのだ、と。




