宣戦布告
王の間は、夜でも炎の光に満ちていた。高くそびえる黒曜石の柱には、魔法の紋様が刻まれており、静かに揺らめく紫の光が宮殿の空気を不気味に照らしている。ここは純血主義国家カリスト、その頂点に立つ王――魔女カリオペが座する玉座の間だ。
側近のひとり、魔女グルバルが深々と頭を垂れ、報告を始めた。
「カリオペ様。報告いたします。ラグナと審問官達は……どうやらリヴィエールに滞在していることが判明しました」
カリオペの鋭い瞳がわずかに動いた。椅子の肘掛けを指先で軽く叩く。その仕草ひとつで、空気が緊張に張りつめた。
「……そうか。わかった。ならば今は静観しておこう」
「よろしいのですか?」
とグルバルが目を細める。
「ええ。あの者たちは健司という男に敗北した。誇り高き審問官でさえ打ち砕かれた以上、今さらカリストへ戻る面目はないだろう。しばらくは身を潜めるはずだ」
言葉は冷徹だが、そこには見えぬ余裕があった。カリオペの判断は常に冷静で、彼女の言葉は臣下にとって絶対だった。
「問題は……」
カリオペは片眉をわずかに上げ、低く言葉を続けた。
「ソールの件だ」
その名を聞いた瞬間、王の間の温度が下がったように感じられた。グルバルでさえわずかに顔をしかめる。
ソール――かつてカリストに仕え、影の工作をし、審問官達を欺いたスパイ。その動向は長らく不明とされてきたが、最近になって不穏な噂が流れていた。
「まったく厄介なものですな……」
とグルバルが口を開いた時、別の扉が軋む音を立てて開いた。
入ってきたのは、まだ若いがその才を買われて側近の座を得た魔女ハートウェルだった。彼女は細身の体に似合わぬほど重そうな木箱を抱え、膝をついて恭しく頭を下げる。
「カリオペ様、荷物が届きました」
「荷物?」
玉座から声が落ちた。
「誰からだ」
「不明です。ただ……奇妙な封印が施されておりました」
カリオペは立ち上がり、自らの手で箱に触れた。箱を覆う赤黒い封蝋は魔法の力を帯び、ただの文ではないことを示していた。指先で軽く弾くと、封印は一瞬のうちに砕け散る。
中には一通の手紙と、小さな銀の指輪が収められていた。
カリオペの目が見開かれた。空気が一変する。彼女の纏う威圧感は、王の間にいる者たちの喉を締め上げるかのように濃くなった。
「……どうしましたか?」
ハートウェルが恐る恐る問う。
カリオペは深く息を吐き、しかし表情は氷のように冷たかった。
「宣戦布告だ」
「な、なんと……!」
「しかも……あの“白い塔”のある国からだ」
その言葉に、グルバルの顔色が変わった。
「白い塔……大陸中央の要塞国家……」
「そうだ」
カリオペは指輪を掲げた。細かな宝石が埋め込まれたそれは、間違いなく見覚えのあるものだった。
「妹の指輪と共にな」
「妹君……!」
グルバルが呻く。
カリオペにはひとりの妹がいた。しかし数年前、謎の失踪を遂げ、消息は途絶えていた。カリスト中を探しても痕跡すら見つからなかったのだ。
「妹は……捕らえられている」
その声には怒りではなく、冷えきった決意がこもっていた。
カリオペは手紙を広げ、目を通す。文面には明確な要求が記されていた。
――期日までに、健司という者と共に来い。
――さもなくば、妹の命はない。
「……ソールの雇い主か」
低く吐き捨てるような声。
「奴らは、我々を侮辱している。妹を人質に取り、我を縛ろうとしているのだ」
「しかし……なぜ健司という者まで……?」
ハートウェルが震える声で尋ねた。
カリオペの瞳は鋭く光った。
「それが、あの国の狙いだ。白い塔の国は、既に健司の存在を知っている。審問官たちを退けた異邦人……大陸を揺るがす新たな力。奴らは、彼を抱き込むか、潰すかを選ぼうとしているのだ」
グルバルは唇を噛んだ。
「つまり……期日までに“共に来い”というのは……」
「健司を誘き出すための餌だ。妹と、我を同時に縛るためのな」
王の間に重苦しい沈黙が落ちる。
カリオペは立ち上がり、玉座の階段を一歩一歩降りた。その歩みのたびに、彼女の黒衣が音もなく揺れる。
「いいだろう。挑戦を受けて立つ。妹を救うためにも、あの国の思惑を暴くためにも」
「しかし……」
グルバルが口を開きかけたが、カリオペは彼を遮った。
「静観はここまでだ。動く時が来た」
ハートウェルは不安げに目を伏せながらも、その姿に圧倒されていた。
「……カリオペ様」
「安心せよ。妹は必ず取り戻す。そして、あの塔の国に思い知らせてやろう。我らカリストの力をな」
その言葉は、冷たい炎のように燃え盛る決意だった。
王の間に響くその声を、誰ひとりとして疑う者はいなかった。
――こうして、カリストと白い塔の国の間に新たな火種が生まれた。
そして、その渦中にまたしても「健司」という名が巻き込まれていくのだった。




