カリストにないもの
ヴェリシア、リセル、リーネ――戦いの最前線を担った三人は、健司の癒しに包まれ、すでに傷一つない状態へと戻っている。
その奇跡の光景を目にしたヴァルディアとノイエル、そして保護されたラグリナとノエルは、言葉を失っていた。
だが、健司はそこで終わらなかった。
彼はゆっくりと視線を巡らせ、捕らわれの身であるヴァルディアとノイエル、さらにその背後に立つ雷の魔女、土の魔女――カリストの審問官二人の魔女へと歩み寄った。
その足取りには威圧感がなく、戦場で見せた鋭さとも異なる。
ただ、相手の存在そのものを否定しない、穏やかで確かな歩みだった。
健司は四人の前に立つと、何も問わず、ただ両の手を差し出した。
掌から溢れた光は、先ほどと同じ柔らかな金色に、淡く溶け合う蒼色が混じる。
その粒子は風に乗って舞い、触れた瞬間、四人の体を包み込んだ。
ヴァルディアは反射的に身を引こうとしたが、次の瞬間、その温もりに膝が少し緩んだ。
ノイエルは息を呑み、雷の魔女は瞳を瞬かせ、土の魔女はそっと自分の胸に手を当てた。
裂けた衣服が縫い合わされ、火傷や切り傷、打撲が一瞬で消えていく。
しかし――それ以上に、彼女たちは「痛みが消える」以上の何かを感じていた。
ヴァルディアは内心で叫んでいた。
これは……魔法なのか?
癒しの術式に見えるが、あまりにも違う。
温度を持つ光、心にまで届く感触――それは彼女が知るどんな魔法よりも「人の温もり」に近かった。
ノイエルは呟く。
「……温かい……これは……愛なのか?」
雷の魔女は涙をこらえながら笑った。
「こんなもの……カリストには……なかった」
土の魔女は黙っていたが、その瞳は確かに揺れていた。
癒しを終えた健司は、少しだけ口元を緩めた。
「……ノイエルさん、ヴァルディアさん……それに君たちも」
彼の視線は雷の魔女、土の魔女にも向けられる。
「一緒に、共にしないか?」
その言葉は軽くなかった。
戦場で命を賭けて刃を交えた相手に向けるには、あまりにも真っ直ぐすぎる提案だった。
四人は驚き、思わず口を開く。
「……私たちは……敵だったのに?」
その問いに、健司はためらわず答えた。
「関係ないよ」
ヴァルディアが目を見開き、ノイエルは無意識に一歩前へ出た。
「なぜ……?」
「僕たちは、わかり合えるから」
健司はそう言って、彼女たちの瞳を真っ直ぐに見つめる。
「だって、君たちは涙を流した。あの瞬間、僕たちは同じ景色を見たはずだ」
その言葉が、四人の胸の奥に沈んだ氷を少しずつ溶かしていく。
ヴァルディアは目を逸らしながらも、耳の奥で健司の声が響き続けていた。
ノイエルは拳を握りしめ、雷の魔女は小さく嗤いながらも視線を落とした。
土の魔女は、静かに頷きかけて――そして何も言わずに黙り込んだ。
もし、あの輪の中に入ったら……
そんな想像を、彼女たちは否応なくしてしまっていた。
健司の背後では、ヴェリシア、リセル、リーネ、カテリーナ、クロエ、アウレリアたちが静かに見守っていた。
敵に手を差し伸べる健司を誰も止めない。
それは、この仲間たちにとって当たり前のことだったからだ。
健司が選ぶ道は、いつだって「力で押し潰す」ではなく「共に歩く」だった。
高原の風が吹き抜け、広場の旗を揺らす。
四人の心の奥に、小さな火が灯った。
それはまだ弱く、揺れやすい火だ。
しかし――その火を灯したのは、確かに健司の言葉と温もりだった。
ヴァルディアは小さく呟いた。
「……本当に……関係ないのか……」
健司はただ、微笑んだ。
その微笑みが答えだった。
「……今は……まだ決められない。」
しばらくの沈黙の後、ノイエルはそう答えた。
だがその声は、拒絶ではなく、未来を見つめている。
「……でも、未来は……明るい気がする。」
健司は、柔らかく頷いた。
「ありがとう。」
ノイエルは、ふと思い出したように言葉を継ぐ。
「ラグナ様は……慎重な方だ。今は動かない。
勝つ時が来たら……必ず動くはずだ。」
その言葉に、別の声が重なる。
「彼女らしいね。」
周囲が振り返ると、そこに立っていたのはアナスタシアだった。
深い緑の外套が風に揺れ、銀の髪が陽光を反射する。
「アナスタシアさん……どうしてここに?」
「精霊が教えてくれたの。ノエルとラグリナがいるって。」
名を呼ばれた二人――ノエルとラグリナが、駆け寄るようにアナスタシアの前に立つ。
「アナスタシア様……ただいま戻りました。」
アナスタシアは、ふっと微笑んだ。
「お帰り。」
たったそれだけの言葉が、二人の胸を満たす。
張り詰めていた心が一気に解け、ラグリナの目から涙が零れ落ちた。
「……奇跡って……あるんですね。」
「そうね。」
アナスタシアは彼女の肩に手を置き、健司を見た。
「健司がいたからこそ……」
その瞬間、夕陽が街を包み込み、全員の影を長く伸ばした。
それはまるで、未来へと続く一本の道のようだった。




