問いかけの刃
森の奥、月の光が柔らかく差し込む開けた草原。
健司とクロエは小さな焚き火の前で、今宵の食事を終えたところだった。
クロエは、空を見上げていた。
彼女の銀色の髪が夜風に揺れ、焚き火の赤と月光の青白さに照らされて、美しくも儚げに光っていた。
健司は静かに彼女の隣に腰を下ろす。
「今日も……平和だったね」
「ええ。でも、それが……怖くもあるわ」
「どうして?」
「静けさの後には、必ず嵐が来るものよ」
その瞬間だった。
風がぴたりと止み、空気が変わった。
木々が揺れもしないのに、鋭く突き刺さるような視線が、森の奥からふたりに注がれた。
健司が立ち上がると、闇の中から一人の女性が姿を現した。
紅い髪に、黒と銀の装束。
鋭く研ぎ澄まされたような目と、迷いのない足取り。
それは、明らかにただ者ではなかった。
「……来たのね」
クロエが呟いた。
「久しぶりね、クロエ」
女は冷ややかに言った。
「こんなところで、まさか“人間”と仲良く焚き火なんて」
「……ヴェリシア」
クロエは立ち上がり、彼女と向き合う。
「聞かせて。あの噂は本当だったの?」
「魔女が、人間と行動を共にしていると――」
「……ええ、そうよ」
ヴェリシアの目が、健司に向けられる。
その瞳は氷のように冷たいが、微かに揺れも感じさせた。
「この男が……お前が選んだ“人間”?」
健司はクロエの前に出ようとしたが、クロエが手で制した。
「私が選んだわけじゃない。彼が、私に手を差し伸べたのよ」
「手を差し伸べた? 魔女に?」
「ええ。過去も、痛みも、能力も、全部を見た上で、それでも“君は君だ”って……そう言ったの」
ヴェリシアの目が細められる。
「それで? それで過去を捨てるの? 私たちとの時間を?」
「捨てたわけじゃない。私は、今でも魔女よ。力を誇りにもしている」
「だったら、なぜ人間と?」
クロエは少しだけ微笑んだ。
「たぶん、あのときの私と、今の私とでは、見ているものが違うのね」
「……何を言っている」
「人を信じたことがある? 自分が“嫌われても構わない”と思えるほど、誰かを信じたことが」
ヴェリシアは言葉を失った。
健司が一歩前に出る。
「僕の名前は健司。彼女たち――魔女を“魔女”じゃなく、“一人の人”として見ていたいんです」
「……理想論だ」
ヴェリシアが吐き捨てた。
「それで何人が傷ついた? どれだけの魔女が人間に裏切られたか、知らないはずはない」
「知ってます」
健司は真っ直ぐに返した。
「でも、だからこそ、僕は変えたいんです。ひとりひとりと向き合って、信じ合える道を探したい」
ヴェリシアの目が、ふたたび揺れた。
その表情に、クロエが静かに問いかける。
「あなたは、どうするの? 私を連れ戻しに来たの?」
「……私は、真実を確かめに来ただけ。あなたがどんな想いで“ここにいる”のかを」
クロエは一歩、ヴェリシアに近づいた。
「私の答えは変わらない。私は、健司と一緒にいる。それは、私の意志よ」
沈黙の中で、ヴェリシアの拳がわずかに震えた。
その目には、怒りでも憎しみでもない、複雑な色が宿っていた。
「……変わったのね、本当に」
「あなたも、変われるわよ」
「私は……」
ヴェリシアは、言葉を失いかけて、しかし最後にはふっと息を吐いた。
「まだ答えは出せない。でも、もう少しだけ様子を見させて。……あんたが本当に彼を“信じている”のか、私の目で」
「……ええ」
ヴェリシアは背を向けて歩き出した。
「一つだけ忠告しておくわ。谷の組織は、あんたたちの動きを見張っている。……その先には、もっと厄介な魔女もいる」
「それでも進むわ」
クロエが言う。
「彼と一緒に」
「……あんたらしいわ、クロエ」
夜の静寂に戻った森。
ヴェリシアの姿が完全に消えた後、クロエは静かに呟いた。
「ありがとう、健司。……私、少し怖かったの」
「ヴェリシアのこと?」
「ええ。でも、話せてよかった。昔の私と、今の私が、少しだけ繋がれた気がする」
健司は微笑んだ。
「じゃあ、またひとつ前に進めたね」
焚き火の火が小さく揺れ、ふたりの影を優しく照らしていた。




