慈悲派の思惑
高原の街スラリーの広場。
ノイエルとヴァルディアが、鎖につながれながらも堂々と健司の前に立つ。
そのやりとり――人間と魔女の価値観の違い、血統の意味、そしてアナスタシアへの想い。
最後に、ノイエルとヴァルディアは涙を浮かべながら「夢を見た気分だ」と呟いた。
その様子を、広場の片隅で見つめていた者たちがいた。
カリスト王国から派遣された、慈悲派と呼ばれる魔女の数名だ。
彼女らは黒い外套のフードを深く被り、誰にも気づかれぬよう視線だけで事の成り行きを追っていた。
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「……まさか、あの二人が」
若い慈悲派の一人が、驚きと困惑を隠せず呟く。
「ノイエルとヴァルディアが……あんな風に敗北を認めるなんて」
「しかも、あの健司という人間を前に涙を流すとはな」
年長の慈悲派は、唇を固く結んだまま低い声で応じる。
「信じられん……彼女たちは審問官の四天王の中でも特に冷徹な二人だ。心を揺らすなどあり得ない」
だが現実に、その「あり得ない」光景は目の前で起きた。
若者はごくりと唾を飲む。
「……帰って、報告を」
数名は視線を交わし、小さくうなずくと、静かに広場を離れた。
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街の門を抜けると、涼しい高原の風が吹き抜けた。
慈悲派は馬にまたがり、山道を下り始める。
道中、互いの言葉は少なかった。目撃した事実があまりに衝撃的で、簡単に整理できないのだ。
山裾の森を抜け、丘陵地帯へ出ると、遠くにカリストの城下町が見え始める。
夕陽に照らされた城壁は黄金色に輝き、その奥にそびえる王城は白亜の塔を天に突き立てていた。
慈悲派の拠点は城下町の西区――そこには彼らの長、カリオペが待っている。
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報告を受けたカリオペは、机上の書類から視線を上げた。
淡い金の髪を結い上げ、蒼い瞳が報告者をまっすぐ射抜く。
「……もう一度、最初から話してくれ」
最年長の慈悲派が一歩前に進み、静かに語り始める。
「我々はスラリーの広場にて、ノイエルとヴァルディアが拘束され、健司と対話する場面を目撃しました」
「ふむ」
カリオペの手が顎に添えられる。
「二人は当初、健司を侮辱し、人間と血統の魔女は相容れないと述べていました。しかし……健司は冷静に、二人が血統ではないこと、審問官の本当の敵が血統の魔女であることを言い当てたのです」
室内の空気がわずかに変わる。
カリオペは黙って続きを促した。
「その言葉を聞いた後……二人は、涙を流しました」
報告者の声はわずかに震えていた。
「……夢を見た気分だと、そう口にして」
執務室の片隅で控えていた若い慈悲派が思わず口を挟む。
「信じられません。あの二人は『審問官の四天王』と呼ばれた者たち。どれだけ追い詰められても、感情を見せることは決してなかった」
カリオペは机に両肘をつき、指先を組む。
「四天王――」
その言葉を口にする声は低く、どこか懐かしさを帯びていた。
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審問官の四天王。それはかつて、審問官組織の象徴的存在であり、外敵にとっては絶望の四柱だった。
ヴァルディア――封印術を極め、敵の魔力を根本から封じることができる稀代の術士。
ノイエル――氷と音の複合魔法を自在に操り、遠距離・近距離問わず圧倒的な制圧力を誇る魔女。
そして、リズリィ、クラリーチェ。
その四人は任務の失敗という概念を持たず、戦場では必ず勝利を収めてきた。
だからこそ、慈悲派にとっても「敗れる」という事実は信じがたかった。
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「……健司、という人間」
カリオペの声が静かに響く。
「彼はただ強いだけではないようだな」
慈悲派の一人がうなずく。
「はい。言葉で相手の価値観を揺るがし、敵でさえ味方にしかねない……そんな力を持っています」
「そして――審問官の本当の目的をも、言い当てた」
カリオペの瞳が細くなる。
「血統の魔女を狙う、か」
報告を聞いていた別の者が恐る恐る口を開く。
「……やはり、それは事実なのですか?」
「そうだ」
カリオペは即答した。
「審問官の表向きの役目は魔女狩りだが、真の標的は血統の魔女――古代の力を色濃く受け継ぐ者たちだ。彼女らの存在は、組織にとっても国にとっても制御不能な危険と見なされている」
「なるほど……健司は厄介だな」
カリオペの唇に、わずかな笑みが浮かぶ。
「力だけでなく、人の心を変える力を持っている。しかも、敵の奥底を見抜く洞察まで備えているとは」
慈悲派の中には不安げに顔を見合わせる者もいた。
「……放っておけば、審問官組織そのものに影響が及ぶのでは?」
「及ぶだろう」
カリオペは立ち上がり、窓辺へ歩み寄る。
夕闇が迫る街を見下ろしながら、低く続けた。
「だが同時に、利用できる可能性もある。敵を敵の手で揺るがす……これは我ら慈悲派の理念にも通じる」
「報告、ご苦労だった」
カリオペは慈悲派の面々を見渡す。
「しばらくは健司の動向を探れ。彼がどこへ向かい、誰と接触するのか――一挙手一投足を逃すな」
命を受け、慈悲派は深く頭を下げた。
扉が閉まると、部屋に静寂が戻る。
カリオペは窓の外を見つめたまま、わずかに呟いた。
「……健司、か。四天王を揺るがした人間。面白い……」
その瞳の奥には、計算と好奇心が複雑に入り混じった光が宿っていた。
やがてその光は、これから訪れる波乱の前触れとなる。




