リセル対ノイエル
ヴァルディアが炎に打ち倒された光景を見届けた瞬間、ノイエルの表情がわずかに揺らいだ。
彼女にとって、ヴァルディアは同じ審問官として信頼できる仲間であり、同時に切り札の一枚だった。
それが敗北するなど、想定外の事態――。
「……まさか、敗れるとは」
吐き捨てるような声には、驚きよりも焦燥が混じる。
だが次の瞬間には、口元に冷笑が戻っていた。
「でも、もう遅い」
ノイエルが杖を軽く振る。
空気が揺れ、目には見えぬ波紋がリセルへと押し寄せた。
音と氷の複合魔法トリニティ・フロストノート――その第一段階は、耳をつんざく高周波の音撃だ。
鼓膜だけでなく、神経に直接作用し、反射的な動きを封じる。
続く第二段階――高周波が空気中の水分を急速に振動させ、瞬間的な凍結を引き起こす。
そして第三段階――氷だけを物理的に射出する純粋な破壊術。
連続三段構え、時間差で発動するため、対処を誤れば防御のタイミングを外される。
しかし、ノイエルが放った波紋がリセルを包み込んだ直後――彼女の姿がかき消えた。
「……幻影?」
ノイエルの目がわずかに細まる。
「ダークイリュージョン」
リセルの声が背後から響いた。
それは影の中から現れる幻術。対象の感覚を歪め、見ているもの、聞こえるもの、感じるものすべてを虚像に変える。
今のノイエルの攻撃は、幻影にしか当たっていなかった。
「効かないわ」
リセルは冷ややかに言い放つ。
ノイエルは振り返り、わずかに笑った。
「さすがに……しつけられているね」
「……しつけ?」
リセルが眉をひそめる。
「だって、そうだろう? 叶わない夢を見ているだけだから」
ノイエルの声は、同情にも似た冷たさを帯びていた。
「夢見がちな者ほど、現実の前で砕ける。お前たちはそうやって滅びる」
リセルはゆっくりと首を振る。
「……あなた、羨ましいんだね」
「何?」
「だから、現実しか見ない。見ようとしない」
その言葉には、観察者としての鋭さと、戦う者の誇りが同居していた。
ノイエルは吐き捨てる。
「現実がすべてだ」
そして間を置かずに続けた。
「アナスタシアが一人になったのが現実だ」
その瞬間、リセルの瞳が鋭く光る。
仲間を侮辱されることは、彼女にとって最大の挑発だった。
しかし感情を爆発させる代わりに、彼女は沈黙を保つ。戦場で感情に飲まれた者は負ける――それを熟知しているからだ。
ノイエルが再び複合魔法を展開する。
まず空気を裂く甲高い音。リセルの耳には届かない――はずだったが、闇魔法でも完全には防ぎきれず、一瞬だけ視界が揺らぐ。
続けざまに周囲の水分が凝結し、鋭い氷の刃が形成される。
最後に純粋な氷弾が雨のように降り注いだ。
リセルは防御の闇膜を張ったが、三段目の氷弾のいくつかが突破し、肩や脇腹を裂く。
鮮血が雪のように散った。
ノイエルは口元を歪めて笑う。
「その程度だよ」
しかし、その笑みは一瞬後には凍りつく。
リセルが左手をかざし、低く呟いた。
「ダークボム」
闇の球体が、ノイエルの足元、背後、頭上――三方向に同時に出現した。
次の瞬間、それらは黒い閃光を放ちながら炸裂する。
音ではなく衝撃そのものが襲いかかり、ノイエルの体を持ち上げて地面に叩きつけた。
「なっ……!」
彼女は咄嗟に防御を試みたが、爆発は空間ごと抉るため、障壁をすり抜けて直撃する。
「何……? こんな魔法が……」
ノイエルは苦しげに息を吐く。
ダークボムは闇魔法の中でも異質な術で、攻撃点を“空間に直接”作り出す。位置取りや軌道予測が無意味になるため、防御のタイミングを奪われるのだ。
リセルは血を拭いながら前に歩み出る。
その足取りは揺れていない。
「現実は……自分で作るんだよ」
その言葉と同時に、最後の爆発がノイエルの背後で起こった。
吹き飛ばされた彼女は木に激突し、そのまま力なく崩れ落ちる。
風が吹き抜け、焦げた匂いと冷気が混ざった空気が森を満たす。
リセルは深く息を吐き、周囲の闇を消し去った。
ヴェリシアとリーネが駆け寄ってくる。
「……終わった?」
とリーネ。
「ええ。でも、まだ完全じゃないわ。あの人は、すぐには死なない」
リセルの声は冷静だったが、その指先にはわずかな震えがあった。
彼女もまた、今の戦いで限界に近い魔力を消費していたのだ。




