ヴェリシア対ヴァルディア
雷と土の魔女が倒れ、戦場は一瞬だけ静まり返った。
しかしその沈黙は、嵐の前の静けさに過ぎない。
ヴァルディアが、リーネをじっと見つめていた。
彼女の目は好奇心と警戒、そして獲物を観察する肉食獣の光で満ちている。
「……面白い魔法だね」
声は低く、しかしその裏にぞわりとするような喜悦が混じる。
忘却の魔女ヴァルディアにとって、他者の精神や記憶を弄ぶ術は日常だ。
だが、過去の痛みを現実化させるアンチヒールライトは、彼女の知る体系の外にある。
「でも――恐怖するがいい」
その瞬間、ヴァルディアの周囲に黒紫の光が渦巻き始めた。
光は鎖のような形を取り、空間そのものに亀裂を走らせる。
それは封印魔法メモリア・レクイエム――対象の力を封じるだけではない、“術そのものの存在”を記憶から消し去る禁忌の魔法。
ヴァルディアが杖を振り下ろし、封印の鎖がリーネに向かって襲いかかった、その瞬間――
目の前に紅蓮の壁が燃え上がった。
熱風が吹き抜け、枯葉を一瞬で灰に変える。
「……っ!」
ヴァルディアは思わず後退する。
「――私が相手だ」
炎の壁の向こうから、ヴェリシアが現れた。
彼女の瞳は静かだが、その奥に揺れる炎は燃え盛る戦意を隠してはいなかった。
ファイヤーウォール――ただの防御術ではない、相手の魔力構造を乱し、封印魔法の干渉を弾く特別な炎壁だ。
ヴァルディアの口元に冷笑が浮かぶ。
「……ああ、思い出した。逃げた負け犬の組織ね」
わざとゆっくりと、言葉を切り刻むように続けた。
「カテリーナは逃げたんだよ」
その名が空気を変えた。
ヴェリシアの肩がわずかに揺れる。
カテリーナ――ヴェリシアが属していた組織アスフォルデの環のボスであり、誇りでもあった魔女。
その彼女が敗北を喫し、生き延びるために撤退した――ヴァルディアは、そこをえぐった。
ヴェリシアの目の奥で、炎が音を立てて燃え広がる。
吐息ひとつとともに、彼女の周囲の温度が跳ね上がった。
乾いた枝が弾けるように割れ、地面の苔が熱に縮む。
「……ファイヤージーング」
低く告げたその言葉と同時に、ヴェリシアの両拳が炎に包まれる。
それは単なる魔力強化ではなく、炎そのものを肉体の延長として操る格闘術――かつてカテリーナと共に磨き上げた技。
ヴァルディアは鼻で笑った。
「効かないよ」
彼女は再び封印魔法メモリア・レクイエムを展開する。
今度は炎ごと対象を封じ、“拳を振るう”という行為そのものを忘れさせるつもりだった。
鎖のような黒紫の光がヴェリシアに迫る。
しかし、ヴェリシアは一歩も退かない。
彼女は燃え盛る拳を前に突き出し、そのまま炎ごと全身を捻り込んだ。
ドンッ!
衝撃音とともに、炎が鎖を焼き裂き、封印魔法の構造を粉砕する。
光の鎖は一瞬で蒸発し、残ったのは焦げた空気の匂いだけ。
ヴァルディアの瞳に、初めて驚愕の色が浮かんだ。
その刹那、ヴェリシアの拳が――否、炎を纏った素手が、彼女の胸部を的確に撃ち抜く。
防御魔法を張る暇もなく、衝撃が全身に走った。
炎は皮膚を焼くよりも、魂の芯を揺さぶる。
ヴァルディアの身体が後方へ吹き飛び、地面に叩きつけられた。
「なぜ?」
呻きながらも、ヴァルディアは必死に上体を起こした。
その口から、息と共に言葉が漏れる。
「なぜ……私の封印が……」
ヴェリシアは答えを急がなかった。
炎を収め、ただまっすぐに相手を見下ろす。
「――それは、あんたが負けたことがないからだ」
その言葉は、勝者への皮肉でも、敗者への同情でもない。
“敗北”を知らぬ者は、自らの術が破られる可能性を想定できない。
そしてその一瞬の盲点こそが、ヴァルディアを倒したのだ。
森を吹き抜ける風が、戦いの熱をわずかに冷ます。
遠くで、リーネがゆっくりと雷と土の魔女の方へ歩み寄っていた。
ノイエルは黙ってこの光景を見つめ、何かを計算するように視線を巡らせている。
しかし今、この場を支配しているのは、ヴェリシアの放った炎の余韻だった。
それは単なる勝利の熱ではない――過去と誇り、そして仲間の名誉を取り戻すための、確かな闘志の炎だった。




