戦闘開始
ノイエルの「捕らえろ」という低い号令が響くや否や、森の空気は一変した。
沈んでいた夕闇が一気に緊張の色を帯び、落ち葉の上を走る風がまるで生き物のように巻き上がる。
その命令に応えるように、ノイエルとヴァルディアの背後から二つの影が前へ躍り出た。
一人は淡黄色のショートヘアに雷光の刺青を頬に刻む女――雷の魔女。
もう一人は背が高く、褐色の肌に大地の符を刻んだ重装の女――土の魔女。
彼女たちは審問官直属の戦闘魔女であり、迅速かつ容赦のない殲滅行動で知られていた。
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「……私たちにお任せください」
雷の魔女が、短く息を整えながら言った。
その隣で土の魔女が頷く。
「ノイエル様達は、他の者を抑えてください。ここは私たちが終わらせます」
ノイエルは無言で頷き、わずかに後退して戦場を俯瞰する位置に移動した。
ヴァルディアはその場に立ち、霧のような魔力を纏わせながら、様子を観察する。
雷の魔女は両手を前に突き出し、詠唱を開始した。
その声は短く鋭く、ほとんど呪詛のように耳を打つ。
「――ボルティング!」
次の瞬間、雷鳴が森を裂き、青白い稲妻が一直線にリーネへと走った。
空気が焦げる匂いが瞬く間に広がる。
同時に、土の魔女も詠唱を終える。
大地に手を触れ、低く響く声で言葉を紡ぐ。
「――アースウェイブ!」
地面が唸りを上げ、波のように隆起した土と石が前方へと押し寄せる。
リーネは上下から挟まれる形になった――雷と、大地の津波。
しかしリーネの表情は、驚きでも焦りでもなかった。
彼女の唇が静かに開く。
「……甘い」
瞬間、彼女の足元に淡い銀色の円陣が展開した。
円陣の縁は古代文字のような紋様で覆われ、淡い光が鼓動のように脈打つ。
「――アンチヒールライト」
その言葉と同時に、銀色の光が稲妻を呑み込み、土の波をすり抜け、二人の魔女の足元から噴き上がった。
光は直接的な衝撃や焼き焦がす熱を持たない。
だが、それは二人の魔女の身体に“刻まれた記憶”を掴み、引きずり出す。
雷の魔女は、数年前に受けた胸部の深い裂傷を、まるで今受けたかのように再び感じた。
鎧越しに焼けるような痛みと呼吸困難が襲い、稲妻を制御していた魔力が暴発して木々を焦がす。
土の魔女は、十代の頃に戦った獣に折られた左腕の激痛を再び味わった。
骨が砕ける鈍い感触と同時に、握っていた大地の魔力が崩れ、隆起していた土が無力に崩れ落ちる。
「な……っ!」
雷の魔女が膝をつき、胸を押さえた。
「これは……何……」
「こんな魔法……見たこと……ない……!」
土の魔女は腕を抱え、苦悶の表情を浮かべた。
彼女たちは知っている。通常、治癒された傷は肉体的には残らない。
しかしリーネの放ったアンチヒールライトは、肉体の記憶、魂に刻まれた“痛み”そのものを現実化させる。
それは治癒魔法の真逆、時間の記録を引きずり戻す禁忌の技。
ヴァルディアの瞳が細められる。
「……興味深いわね」
彼女は忘却と精神操作の専門家であり、痛みの記憶を扱う術も知っている。だが、それを物理的現実として顕現させる技など、聞いたことがなかった。
ノイエルも、わずかに口角を上げる。
「なるほど……人間に飼い慣らされた魔女、ね……。この力がその“鎖”か」
だがその声には、焦りとも警戒とも取れる硬さが混じっていた。
リーネは二人の魔女の様子を見ても、表情を変えない。
足音ひとつ立てず、ただゆっくりと前へ歩み出る。
その歩みは、逃げ場を狭める捕食者のそれだった。
「……あなたたちの痛みは、まだ浅い」
低く告げる声に、二人の魔女は本能的な恐怖を覚える。
痛みはただの損傷ではない。恐怖や屈辱と結びつくことで、魂を支配する。
リーネは、それを理解し、利用している。
雷の魔女が必死に片膝を立て、再び魔力を練ろうとする。
だが、胸を締め付ける痛みが集中を阻害する。
土の魔女も、左腕の感覚が失われ、詠唱の構えを取れない。
アンチヒールライトは直接の破壊力こそないが、持続的に過去の痛みを“今”として再生し続ける。
治癒するには、ただの回復魔法では足りない――痛みそのものを魂から切り離す高度な術式が必要だ。
森の上空を飛ぶ鳥たちは、異様な気配に恐れをなし、一斉に飛び去った。
落ち葉の香りに混じって、焦げた雷の匂いと、崩れた土の湿り気が漂う。
ヴェリシアはその光景を冷静に見つめ、杖を軽く地面に突いた。
「……この場は、私たちが制する」
リセルは未だ怒りを湛えたまま、ノイエルから視線を外さない。
雷と土の魔女の敗北は、戦いのほんの序章に過ぎなかった。




