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魔女達に愛を  作者: アモーラリゼ
セレナ編⑤脱出

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慈悲派

磨き抜かれた黒曜石の床が、朝の陽光を鈍く反射している。

 天井は高く、白金の梁が幾筋も走り、その中央からは巨大な瑠璃色のシャンデリアが吊り下げられていた。光は冷ややかで、ここが権力の中心であることを強く印象づける。


 その玉座に座るのは、カリスト王国の女王――カリオペ。

 薄く色づいた唇、氷のような青い瞳、そして感情を決して大きくは見せない、均整の取れた美貌。


 この国の統治機構は大きく二つに分かれている。

 一つは慈悲派。寛容と秩序を重んじ、支配下の民や従属国との安定的な関係を求める派閥。

 もう一つは審問官。異端とみなした者を徹底的に粛清し、恐怖によって秩序を保つことを旨とする派閥。


 女王の間は、慈悲派の領域である。ここに審問官の姿はない――それは古くからの不文律だった。

 しかし、その均衡はここ数年、特に審問官筆頭のラグナが権勢を増してから、少しずつ揺らぎつつあった。


「陛下」

 

女王の右脇に控える、慈悲派の側近の一人ハートウェルが進み出る。深緑のローブをまとい、胸元に金糸で慈悲派の紋章――天秤と鳩――が刺繍されている。


「何だ」

 

カリオペは短く返す。その声は、宮殿の冷気と同じ温度を帯びていた。


「……審問官の動きが、最近おかしくございます」


「おかしい?」

 

女王の眉がわずかに動く。


「はい。ラグナ筆頭以下、主要な審問官が、王都を離れる機会が増えております。

 これまで審問官は女王陛下の命令以外で大規模に動くことは稀でしたが……ここ二月ばかりは、頻繁に高原方面へ兵を伴っております」


「……いつものことだ」

 

カリオペは冷ややかに答える。


「審問官は常に敵を探し、粛清の理由を欲している。あの者たちにとって、血統や正統性など無意味な飾りだ」


 慈悲派の側近は一瞬ためらい、そしてさらに低い声で続けた。


「ですが陛下……今回の動きには、ある一点がございます」


「言え」


「――“健司”と名乗る男の存在です」


 玉座の間の空気が、わずかに重くなった。

 カリオペの瞳が、氷の奥に潜むような興味を帯びる。


「……続けろ」


「この男、審問官の監視網にも属さず、どの魔女派閥にも加担せず……にもかかわらず、各地で目撃されております。

 そして――審問官の一部の報告によれば、“奇跡”を起こしたと」


「奇跡?」

 

カリオペの口元が、わずかに皮肉な笑みを形作った。


「審問官が口にするとは、笑えるな」


「はい。しかし……信じ難いことに、死者を生き返らせたと」


 その言葉が落ちると、周囲の慈悲派の廷臣たちがざわめいた。


「生き返らせた……?」


「それは禁呪の領域では……」


「いいえ、報告によれば、呪詛や屍術ではなく――まるで魂そのものを呼び戻したかのような……」


 側近はさらに声を落とす。


「しかも――二度、でございます」


 カリオペは、わずかに目を細めた。


「……二度も、か」


 女王の脳裏に、ある古い記録が浮かんだ。

 この大陸の歴史の中で、“真の蘇生”と呼ばれる事例は極めて稀だ。

 屍術師が操る死体はあくまで器であり、魂は呼び戻されない。

 しかし“真の蘇生”は、失われた魂を現世へ戻す――それは世界の理そのものをねじ曲げる行為だ。


 古の予言書には、こう記されている。

 ――「魂を二度呼び戻す者、王国の均衡を砕く」と。


「……審問官は、この男をどう扱おうとしている」


「恐らく、抹殺です。

 ですが、慈悲派の一部は……利用できると考えております。特に――」


 側近は一瞬言葉を濁し、そして言った。


「――カリストの影響力を衰えさせるために」


 女王の目が鋭く光る。


「つまり、内乱の火種か」


「はい……」


 この国では、慈悲派と審問官の対立は表向きは均衡しているように見える。

 しかし実際には、審問官の苛烈さと行動力が上回る場面が多く、慈悲派は防戦に回ることが多かった。


 ラグナ筆頭の審問官は、慈悲派を「腐った果実」と呼び、ことあるごとに権限縮小を迫ってきた。

 一方で、慈悲派も審問官を「国を滅ぼす病巣」として水面下で排除の機会をうかがっている。


 そして今――健司という“異質”の存在が、その均衡を大きく揺るがそうとしていた。


 カリオペはしばし沈黙し、静かに立ち上がった。

 玉座の背後の窓から、朝の光が差し込み、彼女の銀の髪を淡く照らす。


「……健司。

 もし本当に二度も魂を呼び戻したのなら、それは神話か、あるいは災厄だ」


 慈悲派の廷臣たちは息を呑む。


「ラグナにこの件を任せるわけにはいかない」

 

女王の声は冷たくも揺るぎなかった。


「奴は恐怖で動く。だが恐怖は、時に国を破壊する」


「では、陛下は……?」


「私自ら動く」


 その言葉に、廷臣たちは顔を見合わせた。

 女王が前線の事案に関与することは滅多にない。それは国家の重みそのものを動かすということだ。


「慈悲派の者を選抜し、健司と接触する。

 ただし、直接保護するのではない――まずは観察だ。彼が何者で、何を望むのか……」


 女王は歩み出し、広間の中央に立った。

 その姿は、氷の彫像のように凛としていた。


「もし彼が我らの秩序を脅かすなら――その時は、慈悲派自ら裁く」


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