口内炎と社内恋愛
22時を過ぎても、矢沢 流華に仕事の終わりは見えていなかった。隣のデスクに座る同期入社の山中 遥輝と二人、無言でパソコンに向かい続けている。
だだっ広いオフィスに、二人がキーボードを打つ音のみが響いている。
今夜の流華は、仕事のペースが上がらない。理由は分かっている。
連日の長時間残業のせいか、口内炎が出来てしまったから。
流華は残業中に酒のつまみのような辛い物、しょっぱい物をよくつまんでいたがそれらの物は口内炎に酷く沁みた。更に流華が大好きなメンソールのタバコも沁みた。
何とも落ち着かない。仕事に集中出来ない。
「ねえ、山中」
流華は、モニターを観ながら隣の遥輝に呼び掛けた。
「なんだよ?」
遥輝もモニターから目を離さず応えた。
「キスしてくんない?」
「……なんで?」
遥輝の声色に全く慌てた様子は感じられない。キーボードを打ち続けている。
「なんか口寂しいから」
「オレには関係ねえよ。飴でもガムでも食ってろよ」
「甘いの嫌いって知ってるでしょ」
遥輝はため息を一つ吐いて、自身の椅子を回転させた。
流華も同様に椅子を回転させる。
二人は向き合った。
「今は我慢して、家に帰ったら彼氏に頼め」
「今、ケンカしてるからヤダ」
流華は、自分でも「めちゃくちゃな理屈」だと思う言葉で反論した。
「知らねえよ。だいたいオレに彼女いるの、矢沢も知ってるだろ?」
「うん、かわいいよね」
「なら、仕事してくれ。オレは少しでも早く帰りたい」
遥輝は椅子を戻し、仕事を再開させた。
「わかった! ならさ、フェアにいこうよ」
「フェア?」
怪訝そうな声で遥輝が返した。
「うん、フェアに。まずジャンケンをします。で、私が勝ったら山中は私にキスするの」
「オレが勝ったら?」
「……私にキスさせてあげる」
遥輝が2つ目のため息を吐く。
「『フェア』の意味を目の前のパソコンで調べてくれ」
遥輝の言葉を流華は無視する。
「はい、ジャーンーケーン……」
「ああっ! もうっ!」
遥輝は立ち上がり、流華の両頬に手を添える。遥輝が腰を曲げる。
一瞬だけお互いのくちびるが触れ、すぐに離れた。
「ほらっ。キスしたんだから仕事戻れよ。……おい、矢沢!? おいっ!?」
結局、矢沢 流華の仕事のペースは上がらなかった。
いや、むしろ落ちた。
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