婚約破棄された妹がワガママしすぎたので、わたくし、ブチキレましたわ
わたくし、クラリス・フォン・レンベルクは、伯爵家の長女として、慎ましくも誇り高く育ってまいりました。
幼き日々──わたくしと妹リリアンは、広大な屋敷の庭でよく一緒に遊んだものでございます。あの頃のリリアンは、太陽のように輝いておりましたわ。
リリアンは何をやらせても器用で、特に歌声は天使のようでした。庭に咲く白い薔薇の下で、わたくしが小鳥に餌をやっていると、リリアンはくるくるとスカートを翻しながら歌い、その透き通った声に鳥たちすら耳を傾けたものです。
刺繍も舞踏も、誰に教わるでもなく、自然と身につけていきました。まだ五歳にも満たない頃から、リリアンは人々の賞賛を集め、家族の期待を一身に受けておりました。
さらに、リリアンには、わたくしたちレンベルク伯爵家よりも格上の、シュトラール公爵家のご子息との婚約話が早々にまとまっておりました。
そのため、両親は、何かにつけてリリアンを甘やかし、優遇してまいりました。
わたくしが努力して成果を上げても、「リリアンほどではない」と言われ、わたくしが静かに礼儀を守っていても、「リリアンはもっと華やかだ」と比べられる始末。
それでも、あの頃のリリアンは、無邪気で、人懐こく、わたくしのことを「大好きなお姉様」と慕っておりました。わたくしもまた、そんな妹を心から愛しておりました。
ですが、月日が流れるにつれ、リリアンはその才能に慢心し始めました。
彼女は自分が褒められることを当然とし、わたくしが少しでも目立とうものなら、途端に不機嫌な顔をするようになったのです。
両親はそんなリリアンをいっそう甘やかし、何かあれば「リリアンに譲りなさい」と言って、わたくしをたしなめました。
リリアンは、その雰囲気を察してか、どんどんワガママになっていきました。けれども、わたくしは、ワガママでも家族の一員として寛容に受け入れてきたのです。家族の笑顔のために──。
ですが──
雲行きが更に怪しくなっていきました。
リリアンが婚約者であるシュトラール公爵家のご子息に婚約破棄されたのです。
そして、その日から──
「お姉様! わたくしの紅茶に蜂蜜を入れなかったでしょう!? どういうつもりですの!」
「お姉様! わたくしのドレスがシワになっていましたわ! あなたがわざと押し込んだのでしょう!」
「お姉様! わたくしより先に馬車に乗るなど、許されませんわ!」
「お姉様! 今朝の陽ざしがまぶしすぎたのは、あなたがカーテンを開けたせいですわ!」
──リリアンは、日に日に理不尽な八つ当たりを繰り返しました。
食事の席では、「このスープはぬるいですわ!」とスプーンを投げつけ、舞踏会では「わたくしより先に踊るなんて!」とわたくしのドレスを踏みつけました……。果ては使用人たちに「お姉様が睨みましたわ!」と泣き叫ぶ始末。
両親は、そんなリリアンを庇い、わたくしに無理難題を押し付けました。
「クラリス、リリアンの機嫌を損ねるな。姉として当然だろう」
「リリアンは傷ついているのよ、あの子を支えてやるのが、あなたの務めよ」
最初は、理解しようと努めました。妹を思う親心、そう自分に言い聞かせたのです。
ですが、リリアンのワガママはさらに悪化し、わたくしの私物を勝手に持ち去り、訪問客の前でわたくしを嘲笑い、挙句の果てに──わたくしの存在そのものを否定するようになりました。
「お姉様がいるから、わたくしは不幸ですわ!」
あの瞳。あれほど愛していた妹の、あの憎しみに満ちた瞳を、わたくしは一生忘れることができないでしょう。
それでも、わたくしは耐えました。必死に、家族であろうと努めました。
ですが──
わたくしの我慢は、とっくに限界を迎えていました。
◇
そんなある日
「クラリス、お前には出て行ってもらう。リリアンの心が安らぐには、お前が邪魔なのだ」
屋敷の広間で、父と母が冷たく言い放ったその言葉。今まで、家族のため……と思い、堪え続けてきましたが、流石のわたくしも堪忍袋の緒が切れました。
わたくしは静かに、深く息を吸いました。
「かしこまりましたわ。それでは、家族の縁も切って、いただけますか?」
両親は、一瞬、驚いた表情をしました。
しかし──
「リリアン以外に娘はいらない。お前の好きにしろ!」
──逆ギレしながら、了承してくれましたわ。
毅然と頭を下げ、わたくしは、伯爵家を去ることを決めました。
その場にいた家族の誰もが、わたくしが泣いてすがるとでも思っていたのでしょう。
哀れですね。
なぜなら──わたくしは、すでに陛下の第三王子、アルフォンス殿下より正式に求婚を受けていたのですから。
◇
翌朝、わたくしは最小限の荷物だけをまとめ、馬車で伯爵邸を後にしました。
「せいせいするわね! お姉様がいなければ、わたくしが一番ですもの!」
背後でリリアンの声が響く。
ええ、せいぜいご自由に。
馬車に揺られながら、わたくしは思い出しておりました。あの夜の出来事を。
華やかな宮廷舞踏会。煌めくシャンデリアの下で、わたくしが舞踏に臨んだとき、殿下が声をかけてくださったのです。
「クラリス嬢、あなたはまるで、夜空に咲く花のようだ」
顔を上げると、アルフォンス殿下が微笑んでおられました。その目には、確かな尊敬と、仄かな愛情が宿っていたのを、わたくしは見逃しませんでした。
その後、幾度か文を交わし、殿下はわたくしに求婚なさったのです。
もちろん、慎重を期して両親にはまだ知らせておりませんでしたが──もはや伝える必要もありませんわね。
王都に着いたわたくしは、まずは宿へと向かい、その足で王宮へ向かいました。
「クラリス嬢、お待ちしておりました」
王宮の門番たちが、わたくしの名を呼び、恭しく頭を下げる。そのまま通された謁見の間で、アルフォンス殿下は優雅に歩み寄ってきました。
「来てくれて嬉しい。大変だったろう」
「いいえ、殿下。むしろ、清々しい気持ちですわ」
わたくしがそう申し上げると、殿下は微笑み、静かに膝をつきました。
「クラリス、改めて問う。私の隣に立ってくれないか」
わたくしは微笑み返し、そっと手を差し伸べました。
「はい、殿下。喜んで」
その瞬間、謁見の間に控えていた廷臣たちが、祝福の拍手を送ったのでした。
◇
その後──
リリアンは婚約破棄をきっかけに、その名がすぐに貴族社会に知れ渡り、彼女のワガママと無理難題を押し通す性格も、あらゆる社交の場で話題にされるようになったのです。
リリアンは結婚相手を探しましたが、誰も彼女を相手にしてくれませんでした。その高飛車でわがままな性格が、貴族たちにとっては耐えがたいものであったからです。
次々に断られる日々が続き、最終的には遠縁の片田舎の騎士に嫁ぐしか道がなくなったのです。田舎の質素な屋敷で、リリアンは家事や畑仕事に追われる日々を送ることとなりました。
彼女が当初期待していたような華やかな暮らしは、もう見る影もなく、田舎での生活は決して楽ではありませんでした。
日焼けし、粗末な布を纏い、手は荒れ、髪もボサボサに乱れて。
「わたくしは、こんなはずではなかった!」
叫んでも、誰も助けてはくれません。
レンベルク伯爵家もまた、わたくしとの縁を断った代償を支払いました。
王家からの信頼を失い、援助も絶たれ、家計は急速に傾きました。ついには、屋敷を手放し、縮小した小さな家で細々と暮らすことになったのです。
リリアンが実家に泣きついても、もはや余裕のない両親は、彼女を冷たく突き放すしかありませんでした。
かつて社交界を彩ったリリアンの名も、いまや誰の口にも上らず、ただ哀れな失敗談として人々の笑い種となるばかり。
◇
──ある日。
わたくし宛に、一通の手紙が届きました。
見覚えのある、震える筆跡。差出人は、リリアン。
『お姉様、お願いです。
もう一度、わたくしに手を差し伸べてください。わたくし、お姉様の大切さを、失ってみて初めて気づきました。これまでのことを反省しております。どうか、お姉様のお力を……』
けれど、わたくしはその手紙を静かに机の引き出しへしまい込みました。
読むまでもありませんでした。
今さら、どれほど悔やもうとも、すべては手遅れなのですから。
──にもかかわらず。
リリアンは、なお諦めきれなかったのでしょう。数日後、王宮にリリアンが押しかけてまいりました。
華やかなドレスも、すでに古びたもの。髪も肌も、かつての輝きを失い、無理に施した化粧が痛々しいほどでした。
控えの間で待たされる間も、リリアンは周囲を落ち着きなく見回し、王宮の装飾品を羨ましげに眺め、侍女たちに不躾な視線を送っていました。
やがて、わたくしと殿下が姿を現すと──
「お姉様! そして、アルフォンス殿下! わたくしに、お力をお貸しいただきたく──」
リリアンは、まるで地にひれ伏すようにして叫びました。
「わたくしに……王宮の貴族の方を紹介していただけませんか!? 再び、華やかな世界に戻りたいのです! お願いです、もう一度だけ、機会を……!」
まるで物乞いのように、地面に額を擦りつけながら懇願する姿。
それは、かつて貴族社会を軽やかに泳ぎ回ったリリアンの、あまりにも無様な変わり果てた姿でした。
侍女たちも廷臣たちも、哀れみすら浮かべず、ただ冷たい視線を向けるだけ。
そして──
アルフォンス殿下は、静かに言い放たれました。
「この場にふさわしからぬ者だ。すぐに連れ出せ」
衛兵たちが無言でリリアンに近づき、彼女の腕を取る。
「や、やめてください! わたくし、まだお話が──! お姉様、私たち姉妹でしょ! 助けてください!」
わたくしは、わずかに眉をひそめただけで、静かに言葉を紡ぎました。
「──姉妹であったことは、過去のこと。貴女が手放した絆を、今さら拾い直すつもりなど、わたくしにはございません!」
その言葉を聞くと、リリアンは泣き喚きましたが、誰一人手を差し伸べる者はいませんでした。そのまま、リリアンは王宮の門の外へと、無言のまま引きずり出されていきました。
──もう遅いのですもの。
すべては、リリアン自身が選び取った未来。
わたくしは、アルフォンス殿下の隣に立ち、ただ微笑むだけでした。
◇
わたくしの日々は──
王都一美しい離宮にて、絹のドレスに身を包み、ローズガーデンで紅茶を嗜み、夜には殿下の腕に抱かれて、舞踏会へ。
──これが、誇りと努力を忘れなかった者に与えられる幸福ですわ。
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