Episode15-1
「ふぅー、ご馳走様でした。今日のご飯も美味しかったー。いつも美味しいご飯をありがとう、龍貴ちゃん。」
「渼音に喜んで貰えて私も嬉しいよ。こちらこそありがとう。」
私達はいつも通りに夕飯を終えて、食後のお茶を楽しんでいる。部屋の中には、穏やかでのんびりとした空気が流れている。転生したばかりの頃は、こうして自室にいて渼音と食事をとっていてもどこか緊張した空気が漂い、お互いに少しだけ無理をしているのを感じたものだ。そう考えると、ようやく私達にとっての日常と呼べるものが出来上がりつつあるのかもしれないな。
「あのね、エルダも! エルダもタツキのご飯大好きだよ!!」
「ボクも、です! ボクはゴハンもタツキもだいすきだよ、です!!」
私が感慨に浸っているといつも元気なエルダや、先日私の召喚獣になったトンコもわちゃわちゃとくっついてくる。
「ふふっ、エルダもトンコもありがとう。」
「もー! エルダもトンちゃんも、龍貴ちゃんにくっつきすぎだよ! 狡いんだからー!!」
二人に負けじと渼音までが、私の手を握り腕にぎゅっと絡みついてきた。
…嬉しいんだけど、少し苦しいよ。三人ともちょっとだけ離れてくれないかなぁ。
「はぁ…。三人とも? タツキが困っていますよ。」
ロレーナさんの静止に渋々ながらも、私を離し距離を取る渼音とエルダ。トンコだけは、相変わらずマイペースに膝の上から降りてはくれないけどね。
「ロレーナさん、ありがとうございます。最近のロレーナさんはなんだか、頼りになる私達のお姉ちゃんって感じですね。私、お姉ちゃんっていなかったからロレーナさんみたいな美人で素敵なお姉ちゃんがいたらなぁって、ずっと憧れていたんですよ。」
「タツキ…。大変嬉しいですし、光栄なのですが……。」
そこまで言うと、そっと顔を耳に近づけてくるロレーナさん。そして、その大人びた仕草にドキッとしている私に、小声でこう告げてくる。
「タツキ、こんな所で堂々と私まで口説かないでくださいね。ミオンさんとエルダが凄い顔で私を睨んでますので。……ですが、二人っきりの時ならやぶさかではありませんよ? 良い子だから、こういう事は二人っきりの時にゆっくりっと。ね?」
「…え?」
ロレーナさんの言葉の意味が、徐々に頭の中に染み込んでくる。ようやくはっきりとその言葉を理解できた時、私の顔は熱く、とても熱くなってしまった。
「ちょっ、ちょっと!? ロレーナさん、からかわないでください!!」
「あら、私はいつだって真面目ですよ?」
すいっと私から離れて、怪しげに微笑むロレーナさん。いつもは冷静沈着な姿だが、今は妖艶な大人の女性の魅力を全身から漂わせている。
「…ロレーナさん、タツキちゃんに何をお話ししたのかな。…かな?」
「…そうだね、ミオンさん。エルダも、それ、気になるなぁ……。」
「ふふっ、私とタツキの秘密のお話しですよ?」
…もう、どこまでが本気で冗談なのか全くわかんないよ……。
恐らく、私達をからかって遊んでいるのだろう。ロレーナさんにもお茶目な一面があったんだね。うん、きっとそうに違いない。違いないったら違いない。私は冷静さを取り戻すために、膝の上で我関せずと寝息を立てているトンコの体を撫でるのであった。
「そう言えば…。渼音、ちょっといい?」
冷静になった私は、先日から気になっていたある事を思い出す。さっき渼音に抱きつかれた時にも感じたから、気のせいじゃないと思うんだよね。渼音の隣りに椅子を移動させ、手をそっと取り、さわさわと優しくさすってみる。
「…えっ。たっ龍貴ちゃん? いっいきなりどうしたの!?」
「少しだけ、我慢してね。」
やっぱりだ。日本にいる時はすべすべだった渼音の手が、かなり荒れてきている。魔法の練習などで、外に出て活動する時間が増えているせいもあるのだろうか。私は次に、渼音に髪を一房手に取ってみる。
「…うぅ。龍貴ちゃん、くすぐったいし、恥ずかしいよぉ…。」
渼音の長く腰まである、美しく艶やかな黒髪。どうやら、その黒髪の艶も少し失われてしまっている。この世界にも、シャンプーもどきのような石鹸に似たものと、コンディショナーもどきのような油に似たものはあるが、日本のそれに比べるとやはり品質は劣っている。私は根元から毛先まで、丁寧に手櫛ですいて状態を確かめる。…枝毛も少しあるね。
「渼音? 次は、こっちを向いて。そんなに離れちゃダメ。そう…。もっとお顔をよく見せて。」
「へっ!? ちっ近いよ。龍貴ちゃん! だっダメだよ、たつきちゃぁぁん。いっいきなり、そんな。わっわたし、恥ずかしいよぉぉ…。」
「大丈夫だから。私に任せて。ほら、もっとこっちに来て。」
「…はぃ……。」
なぜか、顔を真っ赤にしてもじもじと抵抗する渼音。そんな渼音の顔を、両手のひらでそっと包み込む。耳元から首筋にかけて、優しく優しく渼音の柔肌を傷つけないようにそっと手のひらで撫でた後、頬も指先でさすってみる。
「…んっ。」
渼音の可愛いらしい唇から何かを我慢するような吐息が溢れてくる。少しくすぐったかったかな? それはさておき、やはり肌も荒れているね。普段は、上質の絹のようにきめ細やかなですべすべな肌は荒れており、少しガサついている。肌の水分も少ないらしく、いつもはしっとりもちもちなだった手触りが、今では失われてしまっている。
「じゃあ、次で最後だから…。」
そう言って、渼音の俯いてしまった顔を再びこちらへと向けさせる。そして私は、指先で顎を少し持ち上げて渼音の唇をじっと見つめ、安心させるように微笑みかける。
「えっ? たつきちゃん!? あっあの、さっさすがに、それは! ちっ違うの。嫌、とかじゃないんだよ! むしろ、そのあのっ。全然、うっ嬉しいん…だけど。はっ恥ずかしいって言うか、その、エルダもロレーナさんも見てるしっ。わっ私。…はっ初めてだし……。」
「渼音? 大丈夫だよ、痛くしないから。ね? 良い子だから、じっとしてて…。」
「うぅぅ。……はぃ。…やさしく、して…ね?」
小さな声でそう返事をすると、とても恥ずかしそうにそっと目を閉じる渼音。上気した頬は赤く、胸の前で握られた両手は微かに震えている。私はそんな渼音を安心させるように肩を抱き寄せて、そっとその唇に……。人差し指をくっつける。
「やっぱり、唇もちょっとガサついてるねえ。」
「…ふぇ?」
「手荒れや、髪の痛みも気になるし。顔の肌荒れもなんとかしなきゃだね。」
「えっ!? たっ龍貴ちゃん??」
「ん? どうしたの渼音。」
「えっえっ!? なっなんで?? だっ、だって今のは、今の流れは完全にそうだったよね! そうだよね!? 龍貴ちゃん、そういう雰囲気出してたでしょうおぉぉー!!!!」
「渼音は、いったい何を言っているの?」
なにやら必死で抗議をしてくる渼音。だが、私には残念ながら渼音が何に怒っているのかわからない。
…みんなの前で肌が荒れてるのを言われたくなかったのかな?
確かに少しデリカシーに欠けた行動だったかもしれないね。だが、この二人なら渼音の肌荒れをからかったりはしないだろう。むしろ、心配してくれるはずだ。そう思い、エルダとロレーナさんを見渡してみる。そこには、渼音と同じく顔を真っ赤にさせたエルダと、眉間に手を当て疲れたような顔で溜め息を吐くロレーナさんの姿があった。
「ミオンさん、心中お察しします…。ただ、その…ミオンさんの勘違いだと、私は途中から気付いてましたが……。まあ…その…勘違いする気持ちも分からなくはありません。」
「えっエルダも! エルダも気持ちは分かるよ!! エルダも途中から気付いてたけど…。そっそうだよ、今のはタツキが悪いよね! うん、うん。タツキが悪いよ。ミオンさんは勘違いを、恥ずかしがることないよ! …実際ちょっと羨ましいかったし。」
「二人とも、もうやめてーー!! そんな目で私を見ないでぇぇーー!!!!」
渼音がなぜか絶叫する中、私はシャンプーや基礎化粧品の手作りを決意するのであった。