Episode1
「みおんー、この後カラオケ行こーよ!」
SHRが終わり下校時の喧騒の中、いつも通り渼音はあっという間にクラスメイト達に囲まれている。北条渼音はこの高校のアイドルだ。現役の人気女子高生モデルであり、当然クラスカーストはトップ。そんな彼女の周りはギャルや各部活動のエースなど周囲から一目置かれている存在、つまりは陽キャと呼ばれる人種の人達で溢れている。
もっとも容姿端麗・スタイル抜群・成績優秀・運動神経抜群、おまけに性格までもが良く男女問わず誰にでも優しくて、陽キャだろうが陰キャだろうが子供だろうがお年寄りだろうが分け隔てなく接してくれるという、神様が二物も三物も与えたような超絶完璧美少女が人気者にならないはずもないのだけれど。
そんな益体もないことを考えながら、渼音を横目に私はいそいそと帰り支度を整えて人混みに紛れるように教室を後にする。今日は近所のスーパーで卵のタイムセールがある。お一人様1パック限りではあるが、98円という価格は昨今の物価高のご時世においては見逃せないイベントなのだ。
「おーい、たつきちゃんー。龍貴ちゃんってばー!ちょっと待ってよー。」
下駄箱でお気に入りのライムグリーンのスニーカーに履き替えていると、透明感のある声が聞こえた。その私を呼ぶ声に振り返ると、キラキラしい笑顔を振り撒きながら渼音が駆け寄ってくる。
「もう、龍貴ちゃんったら酷いよ。私を置いて先に帰っちゃうなんて。」
少し息を切らし雪のように白い頬をうっすらとピンク色に染めながら、上目遣いで顔を覗き込んでくる渼音。形の良い唇をちょっとだけ尖らせた、その仕草の可愛らしさといったら…。その辺の男達なら一瞬で恋に落ちるに違いない。幼馴染であり、親友でもある同性の私でさえ一瞬ドキッとしてしまうのだから。背景に薔薇の花が見える気すらするよ…。
「…酷いって。一緒に帰る約束なんてしてなかったじゃないの。それよりカラオケはよかったの?」
「うん!だって今日は龍貴ちゃんと帰りたかったんだもん。」
渼音は自然な仕草でそっと手を繋いでくると、ご機嫌な様子で歩き出す。
「ほんとはね、龍貴ちゃんも一緒に皆んなと遊びに行ってくれたら嬉しいんだけどなぁ。」
「…前から言ってるでしょ。私には渼音のお友達はキラキラしすぎてて、ちょっと苦手なのよ。良い人達だって事はわかってるんだけど。ごめんね…。」
実際、渼音のグループは良い人ばかりだ。本物の陽キャとは、ああいう人達のことなんだろう。自分達の優れている部分を鼻にかけず、周囲を攻撃や口撃することもない。実は私も彼女たちのことは好きなのだ。ただ一緒にいると気後れをしてしまうだけで。
「もう、謝らないで。龍貴ちゃんがそういう性格なのは知ってるよ?皆んなのこと嫌ってるわけじゃないってことも。私はそれで十分だよ。」
「そっか。…そうだね。ありがと。」
ふんわりと微笑む渼音の横顔がなんだか大人びて見え、とても綺麗に思えた。私は繋がれたままの手を軽く引き、ちょうどあった小さな公園に入って行く。
「どうしたの?スーパーのタイムセール始まっちゃうよ。」
確かにタイムセールは大切だ。育ち盛りのチビ達に、栄養のあるものをお腹いっぱい食べさせてあげたい。だけど、今日の渼音はどこかいつもと違う気がする。時折見せる雰囲気が、何か悩んでいて話したいことがある時の渼音だ。その内容が何かまでは分からなくても、私にだってそれぐらいのことは分かる。渼音に私の予定を言わなくてもスーパーへ行くことを分かっているのと、きっと同じなのだ。だから今は、タイムセールの卵より幼馴染の話しの方が優先なのだ。
「何か話したいこと、あるんでしょ?」
ほんの少しだけ息を呑む渼音。視線を左右に彷徨わせ、それでも何かを決意したように向き直り正面から私を見つめる。微かに震える両手で私の右手を握り直し、そっと胸元へ持って行く。一陣の風が渼音の腰まである、艶やかな黒髪をゆらゆらと揺らす。私は二人を包む空気が変わったことに、そこでようやく気がついた。
「お見通しなんだね。私ね、ずっと…ずっと言うつもりはなかったの。だって龍貴ちゃんはきっと想像もしていないことだから。でもね?もう自分じゃ抑えられないくらい気持ちが膨らんで…」
心臓がどくどくと波打っている。鼓動の音で、周囲の音は何も聞こえない。だけど、渼音の声だけはやけにはっきりと耳に届いている。渼音の大きな瞳は潤み、溢れそうな雫を長いまつ毛が支えている。
…これは、もしかして。でもだって、渼音と私は幼馴染で、親友で。それ以前に、二人とも女の子で。でも、これってもしかしたらそういう…。いやいやいやいや。渼音は美人で性格も良くて、男の子にだってモテモテで。それに私なんかを…。想像もしていなかった雰囲気に、頭が真っ白になっていく。
「私は、龍貴ちゃんのことがっ」
風が、風が吹いている。季節は外れの突風に、渼音の言葉が一度途切れる。混乱した頭の中で、それでもその儚げで美しい渼音に目を奪われていた私の意識が一気に覚醒する。いやでもこれ、いくらなんでも勢いが強すぎるでしょ。誰もいない夕方の公園で、風は木の葉を巻き込みながら渦を巻くように私達を包み込む。身の危険を感じ、咄嗟に空いている左腕で渼音を抱きしめたその時。足元がカッと激しく光った。
夕方なのにやけに明るいはっきりとした黒色と金色の二色の光は、徐々に円形に姿を変え、円の中にはどこか異国の記号や文字のようなものが浮かび上がる。…これは魔法陣?
「龍貴ちゃん‼︎」
「渼音‼︎」
重力から解放されたような、ふわっとした感覚を感じたような気がする。とにかく渼音を離さないように。それだけを思ってぎゅっと抱きしめたけれど、意識を保てていたのは恐らくそこまでだった。