第六話 読み合わせ
その日は読み合わせ稽古が行われた。
台詞と歌を、演出家の前でざっとさらうだけの稽古だ。
六、七割の力でリラックスして行うのが通常だが、部外者である私には全力で臨む必要がある。演出家はもちろん、劇団員たち全員が値踏みするような目で見ているからだ。
稽古場に一歩足を踏み入れた瞬間から、それを感じた。刺すような視線だ。皆、近寄ってきて笑顔で会釈してくれるが、離れた途端、その目は好奇と品評の色を帯びる。気のせいかもしれないが、中には非難のまなざしも混じっている気がした。
私が六年前に起こした事件については皆知っているはずだ。
そのことが心身に緊張をもたらした。
ぶざまな姿は見せられない。特に歌に関しては、圧倒的な実力を見せつけ、全員をひざまずかせる必要がある。
読み合わせは、私が所属するA班から始まった。
最初は出番がない。
相手役である詩人のロドルフォと友人たちのシーンである。彼らは思うに任せぬ現実への不満を語り、歌で怒りを叩きつける。
友人たちが去り、ロドルフォが一人残ると、私の出番だ。
貧しいお針子のミミは、ロドルフォの部屋にろうそくの火を借りに行く。
ドアをノックし、
「すみません。下の階の者ですが……」
極度の緊張からだろうか、それとも台詞に対する苦手意識からだろうか、最初の「すみません」で声が裏返ってしまった。笑われたのではないかと顔を上げるが、誰一人頬を緩めている者はおらず、A班は全員台本に視線を落としたまま、B班は真剣な眼差しでこちらを見つめている。
「あ、ちょっと待ってください。今、開けますから」
ロドルフォの台詞で我に返り、すぐに芝居に集中し直す。
ロドルフォ役は、鮫島東吾という三十九歳の俳優だ。私と同じ外部オーディション組で、以前は斉藤歌劇団に所属するオペラ歌手だった。八年前にミュージカル界に転身し、以後様々な作品で準主役級の役を演じている。
経験豊富な鮫島のリードもあり、私は徐々に落ち着きを取り戻していった。
貧しい者同士のミミとロドルフォは話が弾み、意気投合する。
ここで歌だ。
意気込んで第一声を発したが、力み過ぎたのかピッチがわずかに狂ってしまった。軽く明るいトーンで出たかったのに、声が少し重くなっている。普通の歌い手なら気づかない些細なミスだが私の耳は聞き逃さない。すぐに立て直し、ミミのキャラクターとシーンの感情にふさわしいピッチに戻した。それでも何箇所か声が震えているのが分かる。
やはり緊張しているのかな。オペラを歌う時にはこんなことはないのに。
他流試合の難しさを肌で実感した。
ミミはロドルフォに惹かれながらも、部屋を後にしようとする。しかしすぐに鍵を忘れたことに気づき引き返す。その時戸口から風が吹き込んできて、二人のろうそくが消えてしまう。真っ暗闇の中で、二人は触れあい、恋に落ちる。
ロドルフォが歌い、続いてミミが歌う。
やがて二人の歌声は重なり、甘やかで官能的な二重唱が奏でられる。
鮫島と私の声は完璧な調和を見せた。室内の空気がびんびんと震えるのが分かる。
絡み合い、高め合い、支え合って、とろけるように一つにまじわる。そこにはどんな肉体的愛撫よりも崇高で濃密な愛が現出した。
その瞬間、私は完全にラ・ボエームの世界に没入した。
もはや周囲の視線など何も気にならなかった。
あっと言う間に時間は流れ、気づくとエンディングを迎えていた。
ラストの歌を歌い終わり、ミミは静かに息を引き取る。
無我夢中だったので、自分の出来を客観的に評価することはできない。
滝沢の手が打ち鳴らされるや、A班の全員が緊張して彼を見つめた。その口からどんな言葉が飛び出すかと身構える。
だが滝沢は一言も評価を下すことなく、「次」とB班との交代を指示した。
B班が前に出て、代わりに私たちは滝沢の後ろの観覧席に腰を降ろす。
すぐに水原琴美の姿を探した。彼女は三メートルほど離れた左斜め後方のスタッフ席に座っていた。
――どうだった?
口の形だけを作って問いかける。
琴美は胸の前で小さな拍手を繰り返し、何度も頷いてみせる。
――素晴らしかったです。
口の形がそう言っていた。
私は嬉しくなって満面の笑みを向けた。笑い声がかすかに漏れた。
「しっ!」
途端に左隣の席から叱責の声が飛んできた。
見るとアドリアーナ役の女優が唇に人差し指を当て、もの凄い形相で睨んでいる。
明星の正劇団員で、西條敦子という名の中年女優だ。年齢は四十を三つか四つ過ぎたところだろうか。目尻の皺とほうれい線が笑っていないのにはっきり確認できる。皮膚もくすんで、弾力に乏しい。
アドリアーナはミミの友人役で、オペラ台本にはなく、ミュージカル版のために書き下ろされた役柄だ。台詞はそこそこあるものの、ソロパートは一曲のみ。役の重要度でいえば、五番目のポジションにあたる。
「すいません」
頭を下げて謝ったが、西條敦子はチッと舌打ちし、もう一度ガンを飛ばすような視線をこちらに向けてから、ぷいと目を逸らした。
なによ。そんなに怒ることないじゃない。
いけすかない女だ。
B班の本読みが始まった。
B班はほとんどが劇団員だ。
と、奇妙なことが起こった。最初はみんなA班と同様に台本に視線を落として読んでいたのに、一人二人と台本を手放し、空で台詞を言い始めたのだ。やがて外部オーディション組の数人を除く全員が台本を手放した。彼らはアイコンタクトをとりながら、情感を込めた台詞を披露する。身振り手振りも加わり、自由に動き回る者までいた。
もはや、本読みではなかった。
それを横目で見ながら慌てている外部組の反応が面白い。黒目が泳ぎ、額には冷たい汗が浮いて、台本を読んでいることを恥じるように次第に身を縮めていく。
劇団員たちは、すでに台詞が身体に入っていることを演出家にアピールしている。
ミミ役は、片桐あずさという二十五歳の劇団員だ。座内オーディションを勝ち上がってきた昨年入団の新人だという。つまり、外部組の私と内部組の片桐あずさに一騎打ちをさせてミミ役を決定しようということらしい。
さすがに座内オーディションを勝ち上がってきただけあって、片桐あずさの演技は見事だった。台詞は明瞭でよどみがなく、しかもリアルな情感に溢れている。清貧で無垢なお針子のキャラクターを的確かつ初々しく表現していた。
おそらく演技が専門なのだろう。発声といい、表現技術といい、卓越したものを感じる。
しかしこの役で真に重要なのは、歌だ。恋に落ちるシーン、彼との別れを決意するシーン。最後に死んでいくシーン。感動的な場面は全て歌で表現しなければならない。
あずさの歌が始まった。
第一声を聞いただけで、私には彼女の実力が把握できた。
少なくとも声楽が専門ではない。音楽大学出身ではないだろう。しかし、数年間専門家について学んだ経験はありそうだ。基本的な呼吸法は一応できているし、身体の使い方もまあまあ。
しかし――、これはベルカント唱法ではない。
ドイツ唱法だ。それも亜流、というより自己流。
歌い方には大きく分けて二つの方法がある。ドイツ式とイタリア式だ。どちらも腹式呼吸を使う点では同じ。息を吸った時に横隔膜が下がる。
問題は息を吐く――つまり声を出す――時だ。
ドイツ唱法では、横隔膜を下げたままお腹に力を入れて発声する。対するベルカント唱法は横隔膜を徐々に上げながら声を出していく。まったく正反対なのだ。
どちらが正しいということはない。
ドイツオペラを演じる時はドイツ唱法が適しているし、イタリアオペラをやる時はベルカントが相応しい。そして「ラ・ボエーム」がイタリアオペラである以上、この作品はベルカントで歌うべきなのだ。
しかしこれも今回の場合は当てはまらないかもしれない。なぜならオペラではなくミュージカルだからだ。ミュージカルの場合、ドイツとベルカント、どちらが相応しいのだろう。正直、私には分からない。
だが、唱法の違いをうんぬんするより前に、片桐あずさには決定的に欠けているものがあった。
声量だ。
これが完全に不足しているのだ。おそらく、私の十分の一もないだろう。稽古場が広いせいもあるだろうが、か細い声でしかこちらに届いてこない。歌が佳境に入り高音域にさしかかるところでは、信じられないことに、彼女の声はまったく聞こえてこなくなった。
私は自分の耳を疑った。声が消えたのだ。音楽にかき消された。ドイツ唱法は高音が出しにくいという欠点がある。
片桐あずさは確かに台詞の面では素晴らしい。しかし、こと歌に関しては私の敵ではない。そう判断した。
だが油断はできない。これは本読みに過ぎないのだ。実力の四割か五割程度で流している可能性もある。座内オーディションを勝ち上がってきたくらいだから、見くびらない方がいいだろう。
B班の本読みが終了した。
今回も演出の滝沢は何も言わなかった。彼は立ち上がると隣席の三十歳くらいの演出助手に声をかける。
「桜井、後は頼むぞ」
「はい」
「二週間くらいしたら、通しを見せてもらう」
「分かりました」
滝沢はそのまま稽古場を後にしようとする。
水原琴美から聞いて、明星の稽古のやり方は知っていた。滝沢は常時数本の作品を同時進行で手がけているため、一からミザンス(動きなどの外的演出)をつける必要のあるオリジナル作品に多くの時間を割き、すでにミザンスの決定したブロードウェイ作品は演出助手に外形を整えるところまでは任せるのだ。その上で最終段階で芝居に魂を吹き込む。
滝沢は出入口ドアに向かって進んでいたが、ふと立ち止まり、振り返った。
「水原」
「は、はい」
突然名前を呼ばれた水原琴美は、身を固くして立ち上がる。緊張で手先が震えているのが分かる。
「お前は自らすすんで付き人を志願したんだ。責任をもって演技指導しろ」
「はい。分かりました」
滝沢はそのまま出ていった。
私のことを言っているのはすぐに分かった。やはり滝沢は私の台詞には不満だったようだ。だがそれは想定内だ。台詞を読むのは初めてだし、最初からうまくできるはずがない。一ヶ月の間に上達していけばよいのだ。
それに皆に聞こえるように私の演技を指摘したのは、逆にいえば歌に関しては満足しているということの表れともいえる。
おそらくこの最終オーディションは、片桐あずさの歌が向上するのと、私の台詞が上達するのと、その競争となるだろう。
「じゃあ、頭からミザンをつけていきましょう。A班からいきます」
演出助手の桜井が立ち上がり、私たちの方を見て言った。