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【コミカライズ】歌姫の罪と罰  作者: 琉莉派
第三章 指につばを吐いて描く
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第十話 深まる疑惑

             

 翌日、夕刻に稽古場へ行った。


 滝沢の取調べの関係で稽古が夜に変更されてから、ラ・ボエーム組は朝のダンスレッスンを免除され、芝居の稽古だけに専念するよう言われている。


 第一稽古場のドアを開けようとした時、中からミミの歌声が聴こえてきた。誰の声かはすぐに分かった。小窓から中をのぞくと、鮫島と楽しそうにデュエットしている。


 私は取っ手に手をかけたまま、しばらく歌声に耳を傾けた。

 私の歌を真似て練習してきただけあって、抑揚のつけ方や感情の込め方など、私の歌い方の癖をそのまま踏襲している。まるで質の悪い劣化コピーだ。


 声が途切れたところでドアを開け、中へ入る。甲高い笑い声が聞こえてきた。琴美と鮫島が稽古場中央でじゃれ合うように互いの身体を叩き合っている。


「あ、百合亜さん」


 琴美は私に気付くや表情を引き締め、慌てて飛んできた。


「何をしてるの?」


 冷静に言ったつもりだが、声が険を含んでいる。


「ミミの練習をしていたんです」

「勝手なことしないで」ぴしゃりと言った。


 琴美は驚いたように目を大きくした。


「あなたはアンダースタディに過ぎないのよ」

「すいません」


 琴美は慌てて謝りつつも、


「稽古開始前なら使わせていただいてもいいかなと思って」

「鮫島さんだって迷惑じゃない。稽古前に引っ張り出されて」

「いや、俺なら構わないよ」


 鮫島が笑いながら言った。


「むしろ俺の方から誘ったんだ。練習しといた方がいいぞって。いつ何が起こるか分からないから」

「悪いけど」


 私は琴美に視線を戻すと、


「明日から昼間もここを使わせてもらう。一人で確認したいところがあるの。あなたは個室で練習しなさい」

「はい。分かりました」


 琴美はぺこりと頭を下げ、こわばった顔つきで逃げるように稽古場を後にした。


「あんまり意地悪するなよ」


 鮫島が苦笑しながら言った。


「意地悪じゃないわ。物事には節度というものがあるの。それは守ってもらわないと」

「彼女だっていつなんどき出演することになるか分からないんだぜ」

「練習するなとは言ってないでしょ。()をわきまえなさいと言ってるだけよ」


 鮫島は再び苦笑すると、意固地な私と距離を置くように、窓際のほうへ歩み去っていった。


              ☆


 その日は通し稽古が行われ、滝沢によるダメ出しの後、二、三、演出上の変更が加えられた。一幕四場のダンスシーンで私がなかなか動きに対応できないところがあるのだが、滝沢の判断でそのパートがごく簡単なステップに改められた。


「とにかく百合亜のダンスの負担を減らせ。歌と演技に集中させるんだ」


 滝沢が振付師に命じ、ブロードウェイ版とは異なる群舞になった。この判断は桜井には無理で、滝沢のみに与えられた特権だ。

 この変更は私にとって大変ありがたいものだった。苦手なステップへの負担が減るのみならず、息が上がって呼吸が乱れることもなくなり、より完璧な歌唱に専念することができる。


 滝沢は新しい振り付けに満足したように頷くと、思いついたように言った。


「琴美の芝居も少し見てみたいな」


 その一言で、急遽一幕のみ、琴美版の通しが行われることになった。予定にはなかった稽古のため、琴美は慌ててピンマイクをつけ、事前の発声練習もままならないまま通し稽古に臨んだ。

 集中力を欠いているのか、終始ふわふわと地に足がつかない状態で演技も歌も進行していった。ミミとしてのキャラクターも存在感もまるで示せないまま、表面的なストーリーだけが消化されていく印象だった。


 見終わった滝沢の評価は厳しかった。


「そんな出来じゃ、とても舞台には立てないな」


 明らかに機嫌を損ね、顔には失望の色がありありと見てとれる。


「百合亜の芝居と比べたら、天と地の開きがあるぞ」

「はい」


 琴美はしょげ返った様子でうなだれた。

 実際、ほぼ仕上がった状態の私と比べれば、圧倒的な実力差があることは明らかだ。たった数ヶ月の努力で埋められるレベルの違いではない。滝沢もこれで、琴美にミミ役が無理なことを、はっきり認識したことだろう。


「明日から特訓だ。桜井、午前中から抜き稽古を入れろ。夕方までぶっ通しでやれ」

「はい」

「A班とB班は一日おきに琴美の稽古に付き合うように」

「はい」


 全員が大声で返事をする。


 私は耳を疑った。

 琴美のためにそこまで労力を割く意味が分からない。今はファーストキャストである私のためにこそ、時間と労力を注ぎ込むべきではないのか。


 私はたまらず、稽古終了後に滝沢の部屋を訪ねた。


「どうした」


 彼は眼鏡ごしに、切れ長の目を向けてきた。


「水原琴美をアンダーから外してください」

「なに」

「あの子にミミは無理です。別の女優に変えるべきです」


 これは私情とは関わりのない客観的な意見だ、と自分に言い聞かせる。

 滝沢は眼鏡を外して、私を見据えた。


「確かに今日の出来は酷かったが、共演者と合わせていないことが原因だ。交流稽古を重ねれば良くなる」

「そうは思えません。彼女には基本的なスキルがないんです。主役をやる器ではありません」

「そんなことは分かってる」


 ぶっきらぼうに言った。


「劇団には若くて実力のある方が他に何人もいるでしょう」

「みんな別の作品に入っている」

「ラ・ボエームは新作なんですよ。それも十年、二十年とロングランが続いていくかもしれない特別な作品です。何より優先されるべきではありませんか」

「公演まで時間がないんだ。琴美は歌も台詞もミザンも完璧に入っている。他の者を一から作り上げるより負担が少ない。まずはセカンドキャストとして琴美を仕上げることが先決だ。幕が開いた後、別のアンダーも順次作っていく」

「でも……」

「劇団の方針に口出しするな!」


 滝沢は机を叩いて立ち上がった。


「君は黙って自分のミミを作り上げればいいんだ。それだけに集中しろ。キャスティングは劇団が考えることだ」


 そう言われては、押し黙るよりほかなかった。


「琴美がどんな女か知っていますか。あずささんを殺した犯人かもしれないんですよ」


 口元まで出かかった台詞は、しかし声として発せられることはなかった。

 証拠があるわけでもなし、まして滝沢が琴美と付き合っているのなら、発言が彼女に漏れる恐れもある。


 滝沢の部屋を出て玄関に向かいながら、徐々に外堀が埋められていくような恐怖を覚えた。


 貝原が言うように、全ては琴美の計画通りに進行しているのではないだろうか。一連の事件が巧妙に仕組まれた罠だとしたら、最後の一手は、私の抹殺ということになりはしまいか。


 私が命を落とすか、あるいは大怪我でも負えば、琴美はミミ役を手にすることができる。スキルも経験もない二流の女優が、世紀の傑作ミュージカルのファーストキャストに名を連ねる。

 そのために仕掛けられた、一世一代の大博打。


 ――だが、あの琴美がそんな悪巧みを本当にするだろうか。


 いまだに信じることができない。

 無垢で献身的な琴美と、邪悪な殺人者の顔を持つ琴美。

 一体、どちらが真の彼女の姿なのだろう。

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