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琥珀の王国の探偵少女  作者: 澤野玲
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第9話「警部の貫禄」

 クロエが住む街にある、ケニントン警察署の広い署内は、いつも警部たちや巡査たちが忙しく動き回ったり大声で話をしたりしていて、落ち着くことが一時もありません。

 壁紙の張られていない赤黒いレンガの壁が、署内に重厚感をもたらしています。

 警察署内のほぼ全員がパイプや紙煙草を吸うのでしょう、署内の空気は秋の霧のように曇っています。


 岩のように頑強で、聖者のように知慮深い人物、ビル・ダグラス警部の席の向かいに、クロエ・ガーネットは座っています。

 ビル・ダグラス警部は、聖人の目と古代騎士の目を合わせたような瞳を有する40代の男性です。ビル・ダグラス警部のオオカミの長のように力強く知的な顔を、クロエはしっかりと見ています。


 クロエは、いま調査している案件の全容を、ダグラス警部に話していました。

 ウィル少年が依頼にやってきたときからはじまり、女性教師コートニー氏が、指の大怪我で、夜中に診療所に駆け込んだところまで……。


「ダグラス警部、まだ話しは続くんですが、お忙しいところ、大丈夫ですか?」


ダグラス警部はチェロのような、なめらかかつ低く響く声で言います。


「いやいや遠慮はいらないよ、クロエ。さあ、傾聴しているから、話しを続けて」


「ありがとうございます。それで、医師パトリック先生の話しだと、教師コートニー氏が診療所に駆け込んだのは、8日の0時頃だったそうです」


 クロエは、肩さげ鞄から、コートニー氏の家でくすねた欠けたノミを取り出し、ダグラス警部に見せます。


「コートニー氏は、このノミで怪我をしたんです」


 クロエは、こんどは、鞄から小さな麻の袋をとりだし、そのなかから、広場で拾った〝金属の破片A〟を取り出します。


 ダグラス警部の目の前に、ノミと破片をもっていきます。


「この破片は、井戸の広場で拾ったものなんですが……」


 そう言いながら、ノミの欠けた部分に、金属の破片を近づけます。広場で拾った破片は、ノミの欠けた部分に、ぴったりとくっつきました。


「みての通りです。わたしが広場で拾った破片は、コートニー氏のノミから割れ落ちたものです」


 ダグラス警部は言います。


「なるほど。つまり、教師コートニー氏は、7日の22時から8日の0時にかけて、井戸の広場で何かをするためにノミを使った。そのときに、自分の手を切ってしまった。そして、その日、彫像がなくなった。そういうことだね?」


「その通りです」


 そこでクロエの声は、少し小さくなります。


「ダグラス警部、これはとてもスケールの小さい事件だっていうことは、よくわかっています。それに、リトル・ハダムの村が、この署の管轄外だっていうこともわかってます。でも、ここから先は、わたしひとりじゃ、どうにもならないんです」


 ダグラス警部は、右の眉を少しあげます。


「コートニー氏を連行してほしいと?」


 少女は、やや弱々しい口調で言います。


「そうなんです。無理な話ですか?」


 ダグラス警部は、知的な瞳を上に向け、あごを軽く撫でます。


「そうだね、わたしはきみの父さん、アンドリューの頼みごとは、よくきいてきた。アンドリューが手がける事件の犯人を連行したり、法的な強制力がないと立ち入れない場所にアンドリューを連れて行ったり。なのに、きみの頼みごとには耳を貸さない、などということができるかね?」


 少女は瞳を夜空の星のように輝かせます。


「じゃあ、協力していただけるんですね!?」


「うむ。明日、コートニー氏のところに事情聴取に行こう。きみと一緒にね。連行するかどうかは、そこで判断するよ」





 ビル・ダグラス警部から調査協力の承諾を得て、事務所に帰ってみると、もう午後をすぎていました。その日はリトル・ハダムの村には、行きません。

 

 クロエは事務所の机に脚をのせ、帳簿を見つめています。

 少女は、今回の調査で、ここまでにかかった経費を勘定します。


 えーと、街と村の往復運賃が2シリング。アプリコット・パイが4ペンス……あれは本当に美味しかったなー。えっと、それから、子供たちに配ったチョコレートが1ペンス……まって、あのチョコレートはわたしの私物……。これは帳簿に付ける必要があるの? んん? どうなのかしら?


 事務所の扉が開きました。ドアチャイムが乾いた金属音を奏でます。


 ウィル少年でした。


「やあ、ガーネットさん」


 クロエは、前回のようにあわてて姿勢を直すのではなく、ゆっくりと机から脚を降ろします。


「あら、わたしに会うために、こんな遠くまできたの?」


「いや。今日は街の求人掲示板をみるために、ここまで来たんだ。せっかくだから、この事務所にも寄っていこうと思って」


「そう。いいお仕事はあった?」


「イワシ漁の期間乗組員っていうのが、よさそうかな、と思ったよ」


「あら、なかなか稼げそうじゃない」


「うん」


 クロエは接客用のソファを指さします。


「座ったら?」


「いや、そんなに長居はしないから。調査のほうはどうだい?」


 クロエは丸く愛らしい瞳を上に向けます。


「んー、そうね。万事順調!ってほどでもないけど、前には進んでるわよ」


「そうか。よかったよ」


 クロエは、ウィル少年の顔をじっとみます。少年は〝そうか。よかったよ〟という表情はしていませんでした。なんとなく顔には血色がありません。目つきは、傷を負った蝶々のように弱々しいです。唇は、何かの痛みを我慢しているかのように引きつっています。


 クロエは低い声で言います。


「ウィル」


「なんだい?」


「なにかあったのね?」


 少年は、顔をがくりと下げ、チーク材の床を見つめます。


「そのね、母さんがもう何日も食事を摂らないんだ。頬がこけてきたよ。口もまったくきかない……目つきも、死人のように、うつろだよ……」


 そこで、ウィル少年は、がくりと床に膝をつきました。

 少年はだらりと顔をさげて、しばらくの間、黙っています。

 そして、ウィル少年は泣き出します。

 

 肩を震わせて涙を流す少年の姿を見るクロエは思います。


 この子はずっと我慢してきたのね……。つらかったろうにね……。


 クロエは、少年にちかづき、自分も床に膝をつきます。

 クロエ・ガーネットは、少年をやさしく抱擁します。見た目以上に小さく痩せた体だと思いました。

 腕のなかで、悲し気に揺れる少年の体を感じながら、クロエは耳元でささやきます。


「だいじょうぶ……わたしが、なんとかするから。ねえ……泣かないで……だいじょうぶよ……」


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