5)ライの心
しまったと思っても、口から出た言葉は消えへん。
『暗くて冷たくて、何もなくて。鉄格子の向こうに必死で手を伸ばしても、掴めるものは、草や土ばかりだった。今でも時々』
石板の上でライの字が震えた。ライはそれ以上、石板には書かんと、ただ、うちの手を握った。うちは、地面に落ちとった手を見つけたときのように、そっと包んだ。怪我が治って爪も生えてきて肉付きを取り戻したライの手は、あの頃のように包み込むには、大きすぎるけど。
ライが、一人で寝られへん理由が少しわかった。うちの手を握って離さへん理由も多分同じやろう。ライは普通にしとるけど、心の何処かはまだあの穴蔵に閉じ込められとる。可哀想な人や。芝居の王子様たちは、もうちょっと幸せやのに。
ライは、声を奪われて穴蔵に閉じ込められた。阿婆擦れ王妃パメラ陛下を道連れにするために、わざと湖に飛び込んだうちとは事情が違う。
ライの心が、まだあの穴蔵に閉じ込められとっても、事態は待ってくれへん。移動が難しい冬の間に、ライが静かな日々を過ごせたらいいなとうちは願うけど。その間にライの気持ちが落ち着いたらえぇなとうちは思うけど。無理な話や。うちはただ、ライの手を包んで落ち着くまで待った。せめてうちだけは、待ってあげたかった。
待っとられへん理由はいろいろある。
王都にある辺境伯様のお屋敷は今、この先王国をどうするかという政局の渦の只中や。フィデリア様が動かしとるんかと思っとったけど。違ってん。
先王の妹殿下であるフィデリア様は隠れ蓑や。スレイとアスとライの三人は生き返るための算段を組んどる。今も王宮の文官達との強いつながりがあるウーゴ様の知恵と人脈と、先王の妹殿下フィデリア様の御人望と、辺境伯イサンドロ様の武力と、皇国の皇帝ビクトリアノ陛下の存在が後ろ盾や。世俗とは関係ないはずやけど、皇国の大神殿におられる大神官ハビエル様もスレイとライの味方やろう。
「王国の貴族は、皇国に乗っ取られると考えるのではありませんか。皇帝ビクトリアノ陛下のお力を借りたら」
いつやったか、うちの疑問にライは首を振った。
『兄上を国王とするか、皇国の一部となるかの二択だ。彼らの盟主となるはずの第三王子ペドロ殿下は、罪人の子だ。担ぎ上げるものがない』
こういう時のライは、王族やなって思うけど。この威厳が続かへんのが問題や。
「罪人の子ペドロである証拠は」
『それが無いのが問題だ。私たちの母を殺した証拠があればよいが』
「難しいですなぁ」
あの時そうおっしゃったウーゴ様は、どこぞへの旅の空や。長くお会いしてないから心配や。証拠探しやっていうけど、証拠残す人なんて、そうそうおらんやん。
「ビクトリアノ伯父上に関しては、問題はない。表立って何かをなさるおつもりはない。反感を買いたくないからな」
スレイが人の悪そうな笑みを浮かべとるから、嘘にしか聞こえへんけど。
「皇帝陛下は、王国を王国のままにしておきたいと思っておられます」
アスが言うと本当に聞こえる。
「下手に侵略したなどとなっては、他の国と婚姻関係を結び、当面の和平を得る伯父上の計画が頓挫しかねない。皇帝陛下が最愛の妹君を嫁がせた王国だ。私が愛するこの王国は、周辺の国々に帝国の方針を知らしめるための見本だ」
伯父である皇国皇帝ビクトリアノ陛下の思惑を語るスレイは、未来の国王陛下らしくて格好良いと言えなくもないけどな。その前に大問題がある。
今のままでは、事態は動かへんよ。うちでもわかる大問題や。




