3)フィデリア様とライ
フィデリア様に抱きしめられて、うちは幸せやった。
「コンスタンサ、貴方が無事に帰ってきたと聞いて、本当に安心しました」
「遅くなり、申し訳ありませんでした」
「いいえ。無事に帰ってきてくれたのです。これ以上のことはありません。本当に良かった。本当に良かった。あの子が聞いたら喜ぶでしょう」
ライに何かあったんやろうか。
「聞いたらって」
「えぇ、もうすぐ来ますよ」
なんや。よかった。ライに何かあったのかって思ったやん。
「コンスタンサ、あなたがいない間に色々あったのですよ」
フィデリア様が微笑まれた。
誰かが走ってくる音がして、乱暴に扉が開いた。
「ライ、ただいま」
大きく息を呑んだライの手が、うちの頬に触れた。
「遅くなってごめんね。いろんな行商人の馬車に乗せてもらって帰って来てん」
頬に触れる手の皮が少し硬い。剣の練習とかしとったんやろうな。
ライの目に涙が光っとった。
『無事で良かった』
「無事よ。ありがとう。心配かけてごめんね」
うちの言葉にライがゆっくりと首をふる。口がゆっくりと動く。ライの手がそっと、うちの手をとった。痩せこけてた頃が嘘みたいな大きな手が、うちの手を包み込む。
「うちはちゃんとここにおるよ」
夜、ライがうちの手を握って、うちがおるのを確かめとったことをうちは知っとるからね。ライが苦笑した。ライはもしかして、うちが知らんと思っとったのかな。
『何があったか、聞かせてくれる』
「勿論。何があったか言おうと思って来たんやもん。ライも何があったか聞いてくれるでしょ。そやけど、うちがおらん間、何があったかも教えてや」
うちの言葉にライがまた笑った。
『本物だ』
何を言うとるんや。ライは。
「本物よ。あたり前やん。偽者ちゃうよ」
うちの文句にもライは嬉しそうに笑った。
フィデリア様のご提案で、お茶が用意された。いい香りや。帰ってきたんやという思いが、味や香りと一緒にうちのなかに染み渡っていく。
「パメラから、あなたの事故の一報があったのは、内密に報告があってから一週間も後のことでした」
まぁ、そんなことやろうと思っとったけど。ウーゴ様にお仕えしとる方は優秀やね。
「私たちが最初に受け取った報告では、パメラが突然、船で暴れ出してあなたを突き落とそうとして、あなたもろとも湖に落ちた。水面で暴れていたパメラは引き上げられて、船でも喚いていたけれど、あなたは水から上がってこなかったというものでした」
水面で暴れる人を引き上げるって大変やのに。王妃様やってことで頑張ったんやろうけど。見捨てたら罪になるもんねぇ。王宮でお勤めするって大変やわぁ。うちは行方不明ついでに退職やから関係ないけど。
「あなたに関しては、生きている可能性が高いとの報告でした。理由の一つ目が、岸の葦原の葦が不自然に揺れるのを見たこと。二つ目が、湖に転落したときのあなたが突き落とそうとするパメラに抵抗せず、パメラを巻き添えに飛び込んだようにも見えたということ、三つ目は水死体が見つからないということ、四つ目は湖周辺の村の人々が、パメラが侍女を湖に突き落としたことを知っていたことでした。足跡を見たというのもありましたから五つになりますね」
ウーゴ様の部下は、ほんまに優秀やね。恐ろしく優秀やわ。葦原の動きまで見られとった上に、あの葦原に入って確かめたんか。有能な人は怖いな。
「次にあの子、ルアナが屋敷に来てくれました。あなたの鞄を抱きしめて。これは大切なものだとあなたが言っていたからと。あなたが良いお嬢さんとお友達になってくれていたことが、私は本当に嬉しかったですわ」
ルアナ様が友達って素敵や。心配させてしまってルアナ様には悪いことしたな。
「パメラからは、あなたが溺死した。荷物らしいものも特にないので、こちらで処分したという書状だけが来ました」
阿呆やね。聞いとるだけで腰抜かしそうなくらい阿呆やね。謝罪の手紙とそれなりの品を相手に届けるとかするのが当然とちゃうんか。
人に嫌われる天才やね。まぁ、そういう人やから、船で暴れてうちを突き落とそうとしたんやろうけど。二度成功したからって、調子にのって阿呆なことをする人は、やっぱり阿呆やな。
「そのうちに、行商人たちの噂話があちこちで聞かれるようになりました」
あ、うち、口止めするの忘れとった。あかん、座長に呆れられる。
「パメラが女の子を湖に突き落とした。殺そうとした。王妃は人殺しだ、殺人王妃だという噂です。可愛らしいから嫉妬に狂ったのだとか、愛人を取られたからだとか、不貞を知られたとか、理由は随分といい加減なものでしたけれど。巷では口にするのもおぞましい蔑称がパメラには使われているそうですけれども。最近では、殺人王妃と呼ばれるとか」
うちは、阿婆擦れって心の中では言うとったけど、声に出したことはないはずや。特にフィデリア様の御前では絶対に言うとらん。これからも言わんように気をつけんと。それにしても殺人王妃か。まぁ、本当のことやし、もっと言うてやれとしか思えへんな。
阿婆擦れでなくて、殺人王妃パメラ陛下と呼ばれるようになったらしい御方が、殺そうとしたのが一人やないってわかったらフィデリア様はどう思いはるやろうか。
「本当に色々あって、その間、ライを止めるのが本当に大変でした」
うちの隣におったライが、そっぽを向いたのがわかった。
「ライ、なにしとったの」
ライはうちと反対の方向を向いたまま、黙りや。
「ライ、何をしようとしとったの」
ライの手に石墨をもたせたけれど、完全無視や。
「ライ」
突然、ライがうちを見た。
『心配した』
「うん。心配してくれてありがとう。あと、心配させてごめんね。でも、伝える方法が無かってんよ」
手紙預けようにも、誰が信頼できるかわからへんし。行商人の馬車を乗り継ぐうちの方が、手紙より先に着くやろうと思ったし。
『とても心配した』
ライは拗ねて不貞腐れとるけど、
「ごめんね。沢山心配させて。でも、他にどうしようもなかってんよ。お金も何もないうちには、紙もインクも、手紙を運んでくれる使者を雇う金もなかってんから」
ライの眉間には皺が刻まれとる。仕方ない子やねぇ。こんな甘えたなことするから、クレト爺ちゃんにでっかい息子って言われるねん。
「ありがとう」
うちはそっとライの両手をとった。痩せこけてたころは、細い指をうちの手で包み込むことが出来たけど、今は出来へんな。
ようやくライの眉間の皺がとれた。甘えたやねぇ。ほんまに。
でっかい息子め。クレト爺ちゃんの空耳が聞こえた。ちっこい母ちゃんは甘やかし過ぎちゃうかという空耳は聞こえなかったことにした。
いつもの甘えたなライに戻って安心しとったうちは、突然の大きな音に、おもわず隣にいたライにしがみついた。




