1)知らせ
「落ち着け」
羽交い締めにされた。
「立て」
耳元で囁かれた声に、脚に力を入れ直した。大丈夫だと伝えるため、相手の腕を軽く叩く。腕が外れた。アキレスが差し出した椅子に腰掛けた。隠し小部屋のなかにある簡素な椅子だ。私の背後に立ってくれたアキレスを背もたれにしなくては、座っていられそうになかった。
コンスタンサ。私の命の恩人。引き止めるべきだった。私の名前はエスメラルダですと言った時に、止めればよかった。金髪の鬘をかぶり、別人でしょと笑っていた。美しい黒髪を躊躇いもなく切り、鬘の材料だと言っていた。化粧で顔に雀斑を描いて、ここにあったほうが自然だ、このくらいだと可愛いとか、楽しげにしていた。
隠し扉の向こうからは、報告の声が続く。
「はい。ただ、未だになにも見つかっていません。また、対岸の葦原が風になびくにしては少々奇妙だったと思うのです。葦原を人が歩いた痕跡もありました。ただ、湖周辺の村人は、余所者など知らないと繰り返すだけです。他にも奇妙なことがございます。避暑地周辺では、王妃の不貞を見咎めた侍女を、王妃が湖に突き落として殺そうとしたという噂が、既にかなりの範囲まで広がっています」
噂などどうでも良い。生きていて欲しい。やはり行かせるのではなかった。止めればよかったと思うが、時は過去に帰らない。ここで逃げたら女が廃るわなどと、威勢の良いことをいっていたコンスタンサの明るい声を、私はもう聞くことが出来ないのか。
「死んだとは思えません」
隠し扉の向こうから聞こえてくるのは私の願望だ。肩に兄の手が、私を気遣うかのように触れた。土砂崩れに巻き込まれて行方不明となっていた兄は生きていた。兄の親友アキレスも無事だった。私は二人の無事を喜んだ。一方で、兄と兄の親友は、私の身に起こったことを知って動揺したらしい。私は兄と兄の親友の過保護ぶりに戸惑っている。今はそれがありがたい。
「死体が見つからないだけではなく、いくつか奇妙なことがありました。あの時、確実なことは言えないのですが、あの娘は、舟で暴れた王妃を巻き込んで水に飛び込んだように見えたのです」
コンスタンサならやりかねない。うちはクレト爺ちゃんの弟子やと、木剣を元気よく振り回していた。クレトは師として優秀なのだろう。女性は非力なはずだが、意外と様になっていた。
「叫ぶ声を聞きました。私を含めあの場にいた者ほとんどが、あの娘が、王妃パメラ陛下を淫売と呼んだのを聞いております。淫売が、あんたも終わりやと、はっきりした皇国語でした」
私は天を仰いだ。コンスタンサなら言いかねない。肩にあった兄の手が外れる。アキレスと二人顔を見合わせているが、コンスタンサはそういう子だ。
「あの娘と同室の侍女が、同じ舟に乗っていました。何もとくには聞かされていないとのことでした。しかし、疑われては危険です。王都に戻したいのですが、王妃の側仕えのままでは」
「こちらで引き取りましょう」
大叔母フィデリアの即決する声が聞こえた。
「ありがとうございます。実はもう、王都に向かうよう手配はしております」
ウーゴらしい。出過ぎた真似をするからと、あの男プリニオの不興を買った前宰相だ。結局はいまも、ウーゴがこの国を支えている。それに気づかぬ愚か者が、自分の血を分けた父であることが恥ずかしい。
「パメラからもプリニオからもなにも連絡はありません」
当然だ。あの二人は兄と私の安否を確かめようともしていない。
「湖では捜索を続けさせています」
見つかって欲しいのか、見つからないで欲しいのかわからない。
「無事を祈りましょう」
「はい」
「そうですな」
大叔母フィデリアの声に、事件を伝えに来た男と、ウーゴの声が続いた。




