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3)湖

 湖に落ちたうちは、そのまま力を抜いて、一旦沈むに任せた。ふちに飛び込んだ時と一緒や。力を抜いとったら勝手に浮かぶ。


 阿婆擦れ王妃パメラ陛下が、みっともなくも水面で暴れてはるのが見えるわ。あれは近づいたら危ない。引きずり込まれる。うちは沈んだまま水を蹴って、船から離れた。


 ちょっと泳ぎにくいのは、片手に要らんものを持っとるからや。しっかり掴んだはずの阿婆擦あばずれ王妃パメラ陛下の麗しの御髪おぐしや。人の髪の毛が、そう簡単に頭から外れる訳がない。かつらや。ごっそり手にまとわりついてきた時は驚いたけど。


 お陰で沈めたるつもりやったのに、失敗したわ。腹立つ。けどまぁ収穫や。


 最初にご尊顔を拝したときの違和感は、かつらやったんや。化粧の濃さが違和感の原因やと思いこんどったわ。金髪至上主義の巣窟そうくつに君臨する阿婆擦れ王妃パメラ陛下の麗しの御髪が、かつらやなんて、思わへんやん。びっくりや。


 地毛、どんな色なんやろ。見たかったな。


 ルアナ様には悪いことをしたなと思う。お父様の頭に毛がないことを、きれいな頭をしているのと朗らかに言う、楽しい可愛らしい人や。偽名やけど、今のうちの名前を叫んで手を伸ばしてくれた。ごめんね。心配させて。いつか無事やとは伝えたいけど、今は無理や。


 うちは呼吸の続く限り潜ったまま、岸へと泳いだ。途中で水面にあがったけど、誰もこっちは見とらんかったみたい。船は、一箇所に集まってなにかしとった。水面で暴れる阿婆擦あばずれ王妃パメラ陛下を助けとるんか、うちを探しとるんか、かつらを探しとるんか、知らんけど。


 うちは阿婆擦れ王妃パメラ陛下に殺されかけたんや。やり返したろうと思って失敗したのがつまらん。うちが不貞を見たのを知っとるな、あれは。都合が悪い口を塞ごうとしたんやろうけど、甘いわ。


 蝶よ花よと育てられた御令嬢と違うねん。旅芸人の根性を舐めるな。うちは絶対に仕返ししたる。覚えとれ。


 うちは岸へと泳いだ。ルアナ様には悪いけど、ウーゴ様が紹介してくれはった騎士様には申し訳ないけど、うちは死んだことになったほうがえぇやろ。


 あの阿婆擦れパメラ王妃は、妙に手慣れとった。人を突き落としたのは、うちが初めてやない気がする。自分が突き落とされたのは初めてかもしれんけどね。慌てとったから。


 底まで沈めてやりかったけど、かつらが外れたし、うちはそこまで泳ぎは上手くない。今回は、こうして逃げとるけど、次は上手く逃げられるか分からへん。死んだことにしといたほうがえぇ。うちは二度も三度も突き落とされたくないわ。他にも何されるかわからんしね。


 それにしてもうちの何が気に入らんかったんやろうか。うちが不貞を見たのを気付いとったというのがありがちやけど。フィデリア様の使用人やから、フィデリア様憎しでついでにうちも憎かったんかな。まぁ、うちはあそこまで人間堕ちとらんから、何考えてるかなんてわからんけど。


 うちは岸へ向かってゆっくり泳いだ。いつかまた一座があの山村に行ったら、子供たちにお礼を言おう。川や湖であの子たちと一緒に遊んだから、うちは今こうして泳いで岸に向かっとるわけやし。川に比べたら、湖の流れは穏やかや。岩場から淵に飛び込むのに比べたら、船から落ちるなんて、なんてことない。


 岸についたうちは、湖の真ん中を振り返った。まだ船が一箇所に集まってなにかしとる。見つかったら面倒や。うちは立ち上がらんと這って岸に上がって、葦原に身を隠した。


 案の定、虫だらけや。虫や虫やと叫んどった人ことを思い出してうちは笑ってしまった。行き倒れとかおってくれたら、うちの服を着せるんやけど、どうしたもんかな。なんとかして、上手く死んだことにしたいな。色々と考えてると、気が紛れる。


 うちは葦原の中をひたすら歩いた。ここは避暑地や。当然避暑に来た貴族を相手に商売する人たちが住んどる。うちが乗せられとった船の船頭も、下働きの人たちもこの近くに住んどる人たちや。だから人はおる。誰かの家はあるはずや。


 このまま葦原から出られへんかったらと思いたくなる気持ちに蓋をして、水に濡れて重たい服を引きずりながらうちは歩いた。手に持ったかつらが邪魔やけど、これは意地でも手放さへん。うちは絶対にこれを、フィデリア様に届ける。


 人に親切でありなさいというのが大地母神様の教えや。人に親切にすると、巡り巡って自分も誰かに親切にしてもらえるから。だからお互いに助け合いましょうというのが大地母神様の教えや。


 孤児院の先生たちは、親切にしましょうと言うて、それから意地悪をしたらいかんと言うてはった。人に意地悪したら嫌われて、意地悪されるから、あきません。優しくしましょうねって、子供同士の喧嘩でよく言われたことや。


 確かに、意地悪されたら意地悪仕返したくなる。大事な人へに意地悪しただけでも許されへんけど、自分も意地悪されたとなると、徹底的にやり込めたくなる。


 復讐劇ってちょっと怖かったけど。自分が意地悪されてみると、気持ちがわかるわ。

「大地母神様の御許に貴様を送り届けてやるわ」

復讐劇の定番の台詞が、うちの口をついて出た。阿婆擦れ王妃パメラ陛下を相手に、やり返してやると思うと、力が湧いてきた。うちはこの葦原で終わる女ちゃう。負けるか。


 うちより背が高い葦原の中を、うちは足を泥に取られながら歩いた。



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