3)肖像画
暇なせいやろか。ライが見せろ見せろ言うから、うちの鞄も見せたったよ。芝居の小道具や。ライに化粧しようとしたら、凄い顰め面された。黒真珠の君によく似てはるから美人やのに。もったいない。若いのに冗談が通じへんってのは、つまらへんねぇ。
今の王宮では、書庫にある記録は軽視されとるみたや。来るのはウーゴ様のご友人たちだけやで。えぇんか。まぁその分、ライとうちはこの王国の成り立ちとか、法律の変遷とか、皇国との関係とか隣国の関係とかを、本物の資料を使って勉強させてもらった。
『これはお祖父様の署名だ』
ライはそう言うと、皇国との和平条約にあった先王陛下の署名をそっと撫でた。両国間の和平の証に嫁いできはったのが、皇国の黒真珠の君、ライのお母様フロレンティナ様や。
「この署名があるから」
ライがおると言いかけて、うちは止めた。あかん。ここは王宮や。
『私が居る』
ライは声でなく、石板に文字を書いて話す。誰かに聞かれる心配もない。
「はい」
『お祖父様にはお会いしたことがあるはずだけれど、私は覚えていない』
「小さい頃のことなど、覚えていないものですよ」
うちも親のことなんてなにも知らん。うちがおる以上は、親は当然おるんやけどね。
先王陛下の署名は、力強い堂々とした勢いがあった。先王陛下は、国力で勝る皇国を相手に王国が不利にならない条約を締結しはった英傑やとうちは思う。
苦労しはったやろうに。息子の現国王プリニオ陛下は、国の内側から先王陛下が皇国と交わした約束を破ろうとしてはる。なんで父親が成し遂げたことを壊そうとしはるんかな。その上に立って、より国を発展させたらえぇんと違うの。親がおらんうちにはわからんわ。
書庫にはフロレンティナ様が今のライと同じような年齢の頃の肖像画があった。
『母上のことも、覚えていない。こうして肖像画を見たことがあるだけだ。多分、これは初めて見る』
婚約するとき描かれたんやろうか。ライに良く似ていて、もっと綺麗な人やった。
『ライも化粧したら映えると思うねんけど』
少し悲しくなってしまった気持ちをなんとかしたくて、うちが書いた軽口に、美人な母親によく似たライが笑った。
フロレンティナ様の他の肖像画を、うちは王宮で見た覚えがない。王宮の全部を見たわけと違うよ。そやけど、あの阿婆擦れ王妃パメラ陛下と国王プリニオ陛下や。ライが子供のときに見た肖像画が、今もあるとは思えへん。本当にライは可哀想や。
まぁ、旅芸人のうちがあれこれ考えても文句を思ったところで何も変わらへんし。仕事はちゃんとすべきや。うちは心に思うことはあるけれど、現国王夫妻であるプリニオ陛下とパメラ陛下の肖像画も掃除した。したくなくても仕事は仕事や。せんといかん。嫌やけど。腹立つけど。絵に罪はないし。画家は仕事をしただけや。
先王陛下の業績を、叩き潰そうとしとる現国王プリニオ陛下やけど。自分がそんなことされたら嫌なんと違うんかな。
いつやったか、座長が軽業師の双子を思いっきり叱った後やったと思うけど。
「人の親になるとな、見えてくるもんもあるんや」
クレト爺ちゃんが言った。
言ってるのが、娘さん一家の家を飛び出して、一座の用心棒をしてくれとるクレト爺ちゃんで。頷いとったのは、結婚もしとらんのに、一座の若いもん全員が俺の子供やと言い切る座長やったから、信憑性はあれやけど。
座長は結婚せぇへんねん。座長は、今は亡き黒真珠の君フロレンティナ様に心を捧げとるからね。生身の女には勝ち目ない。
父親としては少々以上に変わっとるあの二人の言葉やから。真に受けてえぇんか言われると、少し難しい気もするけれど、ちょっと信じとったけど。息子三人おっても、見えとらん尊いお方がおられるというのが、何かなぁ。先王陛下がお可哀想や。
ふとした時に思い出す、一座のみんなが懐かしい。
書庫での時間が穏やかに流れていても、残念ながらうちがおるのは王宮や。王侯貴族が覇権を争う恐ろしい場所や。
政治闘争の挙げ句の惨劇とか、芝居でもよくあるけど。他にも芝居の元になりそうなことを、うちが見てしまうとは思わんかったわ。




