1)クレト爺ちゃんの教え
クレト爺ちゃんはいつも言うとった。
「勝負の勝ち負けは、勝負が始まる前に決まっとると思え。まずは相手を知る。作戦を立てる。最初の作戦が失敗した時の手は最低三つは考えとけ。一つではあかん。それしか思いつかん阿呆では、そもそも勝たれへん。辞めとけ。あとは日頃の稽古と気合と運や。稽古せんやつは、そもそも剣を触るな! 」
懐かしいなぁ。うちは稽古熱心やったから、叱られへんかったよ。女の子でクレト爺ちゃんの弟子は、うちだけやったからね。うち頑張ってん。
うちは旅芸人や。劇中の人物に化けるのが仕事や。仕事道具と、道具入れの鞄は、座長の思いつきでな、うちの分は置いていってくれたんよ。そやからうちは、いつでも他人に化けられる。化粧の腕も磨いとったからね。うちは役者や。
うち、今まで準備しとったようなもんや。うちが適任やと思うねん。それに、うちはフィデリア様にお世話になっとる。お世話になっとる以上、お礼するのは当然や。
「フィデリア様。私の名前はエスメラルダです。たった今から」
耳元に囁いたうちの言葉の意味を、フィデリア様は最初おわかりでなかった。
「私は孤児です。コンスタンサという名前は、座長が考えてくれた名前です。たった今からうち、いえ私はエスメラルダです。たまたま、辺境伯様の御令嬢エスメラルダ様と同じ名前の侍女が、お屋敷にいたのです」
お使いの人が持ってきた手紙には、辺境伯様のお屋敷にいるエスメラルダをとしか書いていなかった。どのエスメラルダかなんて書いてない。
「すでに婚約が解消された今、何度も使者が来るのでおかしい思われたフィデリア様が調べたところ、最近雇われた侍女の名前がエスメラルダだったのです」
そやったら、うちがエスメラルダになったらえぇねん。王宮、ちょっと見てみたいし。ここにおると噂しかわからんし。後々、芝居の台本書きたいから、王宮を見ときたいわ。せっかく書くなら座長に負けたくないから、ちゃんと本物を見ときたいねん。
ライが石板に手を叩きつけた。
『駄目』
顔がものすごい怒っとるけど、えっと怖いけど、ごめん。クレト爺ちゃんのほうが怖いから、あんまり怖くない。
『危ないから駄目』
ライがまた、石板を叩いた。石板の字が雑で、ライが怒っているのがわかる。
「でも、他の子を行かせるわけにもいかないでしょう。誰かが行かないと収まらないでしょうし」
『だから、なぜ君が行く』
「他に誰が行くの。私なら、今から名前はエスメラルダですといったら、そのとおりになるから、何も問題はないでしょう。どこにも嘘はないわ」
そもそも孤児の旅芸人の根無し草、誰でもないから、誰にでもなれるもんね。
ライが何か言いかけたけど、声は出えへん。口は動くねんけど。やっぱり声は出えへん。もう治らんのやろうか。あの声は、もう二度と聞かれへんのやろか。
ライが、石板になにか書いて、フィデリア様に見せはった。止めてくれと言いたいんやろうけれど。うちは決めた。フィデリア様を説得してでも、うちはエスメラルダになって、王宮をこの目で見てくる。芸の幅も広がるやろうし、芝居の台本も書きたい。座長を悔しがらせるくらいの台本を書くと決めたんや。
「ライ。今は、コンスタンサの、いえ、エスメラルダの案が最も早く問題を解決できる方法です」
フィデリア様の言葉に、ライは悔しそうな顔になった。フィデリア様がうちの案を認めてくれはったのは嬉しかったけど。ライが少し可哀想になった。




