1)怖(こわ)ないから大丈夫やよ
辺境伯様は、御領地にある砦だけやなくて、王都にも立派なお屋敷をもってはる。今晩は、うちらが王都から旅立つ前に、送別を兼ねてのお祝いや。うちらはお礼に、お屋敷の人達の前だけでお芝居をするねん。皇国の黒真珠の君のお芝居や。一座の得意な芝居やった。あの事件以来、今年まで、座長が王国では封印しとった芝居や。
座長は、今年、王国のそれも王都で封印を解いた。今日も皇国から嫁いでこられたカンデラリア様の御前で、演じると決めた。皇国の黒真珠の君フロレンティナ様は、王国の人にとっては亡くなられた先の王妃様やけど。カンデラリア様にとっては姪にあたる方や。うちには家族がおらんけど、家族が特別やってくらいはわかるわ。
御一家の前で、黒真珠の君のお芝居を演じるとなると緊張する。観客は、辺境伯様に縁の方々だけやと思うと、今までで一番緊張するわ。そやけど、御一家にお会いできると思うと本当に楽しみや。
うちは楽しい気分やけど。うちの隣では、誰かわからん神官様が青白い顔をして、両膝の上で手を握りしめてはった。緊張しとるんやろうか。
「大丈夫やよ」
うちは、膝の上の握りこぶしに手を添えた。傷はあらかた治った。爪はまだやけど、いずれ元通りになるやろう。指もきちんと動く。よかった。うちは大地母神様に感謝のお祈りをしとる。あとはあの誰かわからん人のお弔いがどうなるか、心配や。まさかうちらが王都を去るときになっても、誰も気づかんままやとは思っとらんかった。
それにしてもまぁ、この真っ青ぶりも予想外や。
「大丈夫やよ。優しい人達やから。うちにね、いろいろお行儀を教えてくれはったくらいや」
青ざめた頬に、うちはそっと手を添えた。痩せこけていた頬も、少しましになって良かった。ボロボロやった髪の毛も、櫛で梳かしてあげている間に、艶々と光るようになったし。良かったわ。
「ほら、見てて」
うちは立ち上がると、フィデリア様方に教えていただいた通り背筋を伸ばした。丁寧にお辞儀をする。
「上手やろ。うちにこれを教えてくれはってんで」
うちの手を握り返してきた誰かわからん神官様の手が、少し震えているような気がした。
「大丈夫やって。なにも心配せんでも」
やっぱり返事はなかった。どこかでまだちょっと、うちらに気を許してはいはらへんのやろなと思う。旅芸人やしね、うちらは。神官様のお立場と、うちら家なしは違う。いつか話してくれるやろうか。ちょっと寂しい気持ちで、うちは誰かわからん神官様を安心させるために微笑んだ。
「大丈夫やよ」
芝居をするには、いろいろと道具がいる。お屋敷について、荷降ろしをするはずやってんけど。
「ほれ、ちっこい母ちゃん、でっかい息子についとったれ」
クレト爺ちゃんに、うちは追い払われてしまった。そりゃ、重たい荷物は持たれへんよ。うちは、か弱く美しい女性やからね。いずれ貴婦人のコンスタンサと呼ばれる役者になるんやから、力持ちとは違うわ。そやけど、軽い物くらい持てるやん。
「荷物はな、誰かが降ろしたらえぇ。あれは、お前が面倒みたらな可哀想やろ」
力自慢の男達が顎をしゃくった先には、膝を抱えて座り込んで動こうとしはらへん誰かわからん神官様がおりはった。
「さっきは少し、普通やったのに」
「さっきはさっき、今は今や。ほれ、ケチくさいこと言わんと行ったれ」
荷物の影に座り込んだ神官様は、大きく目を見開いていはったけど、何かを見てはる様子ではなかった。
「このお屋敷の方々は、怖いことないよ」
武勇で知られた辺境伯様や。お強い方ではいらっしゃるけど、怖いお人や無い。フィデリア様とカンデラリア様は、お美しくて、少ぉぉし怖かったけど、旅芸人のうちらは関係ない。社交界で、お二人と対立してはる方々からしたら、どえらく怖いやろうけどな。エスメラルダ様は可愛いお方や。美人さんやから、大人になったら、楽しみや。
「一緒にご挨拶してあげるから」
隣に座ったうちが声をかけても、返事はなかった。言葉が無いのはいつものことやけれど、緊張感も一切緩まないというのは珍しい。
「一緒におったげるから。ね」
声をかけたうちの手を、誰かわからん神官様は、強く握っただけやった。最初の頃、指が傷だらけだった頃とは違う力強さがあった。
「一緒に行こう。ね」
少し手をひくと、ゆっくりと立ち上がってくれた。
「荷物は俺らに任せとけ」
「そうそう。うちが見張っとるから大丈夫よ」
荷物は一座の仲間にまかせることにした。誰かわからん神官様は、うち以外の人には懐いとらんから、うちが面倒みたらな仕方ない。
「コンスタンサ、一緒にこっちおいで。お前はお世話になったんやから、俺と一緒に挨拶や。新顔も挨拶せんならんから、一緒についてこい」
誰かわからん神官様の手をひいて、うちは、案内の人の後ろを歩く座長についていった。




