2)父と母
芝居を見てからだと、ルシオの眼の前の光景が若干異なって見える。
『今がいい。眠いが気になって眠れそうにない』。
「そうね、ライ。気になっていたら眠れないものね。私も聞きたいわ」
両親の仲の良さがなんだか気恥ずかしい。
「ルシオが見た芝居は、エステバン座長の台本のようよ。湖の件があったそうだから」
父は笑うが声はない。
『私の話がほとんどなかっただろう』
笑いながらのせいだろうか。父の書く文字は少し揺れている。
「はい」
父の言葉に、ルシオは素直に答えてしまった。父に申し訳ない気持ちだったが、父は平然としている。
「父上は、本当は何をしておられたのですか」
ルシオの質問に、父と母が微笑んだ。
『秘密だ』
「暗躍だからって、私にも少ししか教えてくれないのよ」
先程までルシオを相手に悠々とはぐらかしていた母が、父の頬を突く。
「暗躍とは具体的に何を」
『秘密だ』
ルシオが食い下がってみても、父は微笑んだままだ。
「ライ」
母の甘く優しい声に、父が態度を変えるかもとルシオは期待した。父は微笑みを浮かべたまま、母に口づけた。父と母の口づけは珍しくもなんともないが、母のおねだりが父に通用しないのは珍しい。
父の様子から察するに、当面教えてもらえないだろうことをルシオも察した。両親が耄碌する前に教えてもらえることを期待するしか無い。
父が突然、ルシオの隣りにいるハビエルを指した。
「寝ましたね」
ルシオは、慌てて声を潜めた。父が声もなく笑う。父の寝かしつけでは寝なかったハビエルだが、先程までの話の最中に寝てしまったらしい。
父に抱き上げられたハビエルは、長椅子に寝かされたが目を覚まさない。
『あとで寝所に連れて行く』
手慣れた様子の父に、ルシオの記憶にない幼い頃、きっと自分も同じように抱き上げられていたのだろうと思う。
『エステバンが書いた朗読劇が、少し私の暗躍を匂わせているはずだが。エステバンもめったに興行しない。私が何をしていたかは、記録には一切ないが。歴史を知れば、察しが付くはずだ』
優しく微笑む父が、優しいだけではないことを、ルシオは実感したばかりだ。
「ルシオ、お芝居の感想を聞きたいわ。さっきあなた、私のお転婆を確認しただけだもの」
『お転婆?』
「ルシオがわざわざたしかめた私のお転婆は、湖の件よ。飛び込んだのかって」
父が母を抱きしめた。
「お芝居よ、ライ」
母の言葉に頷く父が、母を心配しているのか抱きしめる口実を活用しているのか、同じ男であってもルシオにはわからない。
「ライ、これではいつまでたっても、ルシオに、芝居の感想を教えてもらえないわ」
父が母に石板を見せた。
「ライ、確かにこのままでも、話は聞けるけど」
母の言葉に、ルシオは父が母を抱きしめたいだけだと察した。父は愛妻家で有名だ。ルシオも婚約者と結婚したら、父と母のように仲睦まじくありたいと思っている。それは今も変わらない。
ただちょっと、芝居を見る前と後で、母を抱きしめる父の姿が少し違って見えるのは気のせいだろうか。仲睦まじい父と母を見るたびに、皇国に暮らす曽祖父ハビエルは、仲が良ぇのはえぇけど、まぁしかしと言う。
しかしのあとは何だろうと、ルシオは考えたことがあった。芝居を見た後の今ならわかる。きっと曽祖父ハビエルは、甘えたやなと思っているだろう。
「ルシオ、ね、どうだったか聞きたいわ」
抱き合ったままこちらを見て微笑む両親に、芝居でみた若い頃の二人が重なった。芝居は芝居、事実ではないと母は言うけれど。波乱万丈な芝居を、肯定も否定もしなかった、母の態度がひっかかる。
一体全体、あの芝居のどこからどこまでが真実で、どこに作り話が仕込まれているのだろう。何が隠されているのだろう。
何が真実であれ、波乱万丈を乗り越えて、結ばれた二人の息子であることが嬉しい。父も母も姉も弟のハビエルも大好きだが、ルシオは妹がほしい。
今回の旅の前、ルシオは、同じく妹がほしい姉と一緒に作戦を立てた。昼間の間にルシオがハビエルと沢山遊んで疲れさせ、夜はなるべく早く眠らせる。ルシオも早く寝て、父と母に夜二人きりで過ごしてもらう計画だ。
元気いっぱいのハビエルは寝ないし、父も母も仕事で疲れているからすぐに寝てしまうし、なかなかうまく行かない。
今日も父と母は、ルシオの気も知らずに、芝居の感想を聞きたがっている。姉になんと報告しようかと悩みかけて止めた。今考えても仕方ない。それよりも、芝居の感想を話して、父と母には早く寝てもらおう。
「一番驚いたのは、先程母上に確認をした湖の件です。あとは、」




