某セクサロイドの純愛
1.
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製造された際に付与されるのはシリアルナンバー。名は購入者により決められる。私の名はようへい。私はそう、男性型のセクサロイド。
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主人の名は、まどかという。三十路を目前に控えた麗しき女性だ。二十五で婚約者を亡くしており、その男性を愛しすぎたせいで以来恋愛ができず、しかし肉体的な欲求は抑えることができないから私を購入したのだと聞かされた――のだが、実際は違い、まどかはいっさい、行為を求めてこない。裸に触れてくることくらいはする。胸を愛で、脇腹を撫で、下半身に指を這わせ、そのたび感心したようにうっとりした表情で「ほんとうによくできているわねぇ」と呟き、飽きもせず目を丸くする。
私の胸のなかでないともう眠ることはできないだろうと、まどかは言う。それはそれでうれしく、また喜ばしいことなのかもしれない。だが、私は私の役割を果たしているとは言えず、だからしばしば「これでいいのか」「このままでいいのか」と考えさせられ、心苦しく思うのだ。まどかは「いいのよ」と笑う。「そばにいてほしいだけだから」と眉を八の字にして仕方なさそうに微笑む。私は多機能とは言えず、行為のためだけに特化し、車の運転もできなければアルコールも飲めない。バッテリーの持ちだけはよいものの、それは私に限った話ではなく、どのロボットにも言えることだ。
まどかが私を気に入る理由が、私にはわからない。いっぽうで、私のまどかに対する気持ちははっきりしている。私は彼女に好意を寄せている。そういった事例が過去にあったのかどうかは知らない。純愛とセックス。概念で考えた場合、正反対なのではないか。なぜ、行為のためだけに作られた人形にすぎない私の心はまどかへの愛をしきりに謳いたがるのか。おかしな話だ。私の現状と存在意義は明らかにおかしい、一風変わっている。あるべき姿から著しく乖離している。しかし、それが存外、悪くない。本来とは違う立場に置かれていることに気持ち良さを覚える瞬間さえある。想いを伝えてみようか。そんなふうに考えることもある。逸脱した感情がどのような結論に行き着くのか見てみたい気がしないでもないからだ。
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丸く小さな白い座卓を挟んで、まどかと向かい合っている。「ようすけに心はあるの?」と訊いてきた。ついに来たかと思う。私は正直に「量りかねる」と返答した。感情に似た機能をもたらすプログラムが搭載されたタイプはあるが、それらは決まって高価だ。しかも万能ではなく、ある程度の決まった受け答えしかできない。思考に予測できない揺らぎが生じる機械など、私は自分以外に聞いたことがない。安物なのに不可解なものだ。ヒトの手によって作られたものに許されるのは、せいぜい学習することくらいのものなのに。
私はラッキーね。
そう言って、まどかは笑みを深くする。愛らしいえくぼ。真っ白な歯。心底素敵だと思うし、やはり私は彼女に恋をしている。
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まどかが勤め先から帰ってきた。空はまだ、そう暗くない。今日も定時で帰路についたのだろう。私はほっとする。拙く、またぎこちない口調で、「おかえり」と私は発した。スムーズに声を出せたらそれに勝る喜びはないのだが、こればかりはしかたがない。もっと気の利いたものが開発され、それが世に行き渡るのはまだしばらく先のことだろうし、その頃にはもう、まどかも私もこの世にいないのだろう。ニンゲンの生には限界がある。機械にも耐用年数がある。
今日も座卓を前にする。休みの日は自炊するものの、平日は簡単に済ませることが多く、まどかはよくコンビニのパスタを買ってくる、カルボナーラが多い。「あなたも食事ができるといいのに」と言う。「一人で食べていて、その姿をじっと見られるのは緊張するし恥ずかしいもの」と続ける。セクサロイドとして生み出された自分に物を食べたり飲んだりする機能が付いていたら、私自身がびっくりする。
まどかは食事をしながら、今日一日にあったこと、思ったこと、感じたこと、考えたことなどを私に話す。私はノートだ。まどかが日記を書きつける、ノート。食べ終えるとシャワーを浴び、下着もつけずに脱衣所から出てくる。私に服を脱ぐように言い、私の身体を乾いた布で丁寧に拭き、おたがい裸のままベッドへとなだれ込む。電気を落とす。まだ二十時なのに、テレビを観るわけでもなく。「次の土曜日、デートしない?」などと訊いてきた。冗談を言っている。不器用な私はこのアパートの階段を下るところからおぼつかなく、うまくできないのだから。苦笑を浮かべたいところだが、私の表情のバリエーションは、そこまで多くない。私の胸のなかで、静かに寝息を立て始めたまどか。私はそっとそっと、彼女を抱く手に力を込める。それくらいはできる。それくらいしかできない。
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日曜日、外に連れ出された。着いた先は海、砂浜。まどかの愛車である黄色いチンクエチェントの助手席の座り心地は悪くなかったが、私には少し狭かった。
季節は秋。私にとって温度はあやふやにしか伝わってこないが、白いワンピース姿の彼女を見ていると、まるで真夏の最中にいるように思えた。サンダルを脱ぎ、波と戯れるまどか。「あなたは来ちゃダメよ。どこが錆びるかわからないんだから」というのはジョークだろう。いくらなんでも錆びはしない。それなりにヒトは多い。小さな子どもが走り回る姿が微笑ましい。やはり暖かいのだろう。ほとんど下着姿で駆けている。
それにしても、海とはなんと広大なものか。テレビ等で観たことはあるが、事実として見るとまったく違う。なるほどと思う。この向こうにほかの国があるというのであれば、素直に信じることができる――ぐらいの感想しか抱けないのだから、私はやはり安く凡庸な機械でしかないのだろう。
手にしていたサンダルを後ろにぽーんと放り投げ、まどかが勢いよく抱きついてきた。「素敵ね、ほんとうに、ああ、素敵」などと言い、私の唇に唇を重ねた。なにが素敵なのか――この風景だろうか、砂浜の感覚だろうか、それともほかのなにかだろうか。私がかろうじて目をしばたくと、目の前で、まどかはにこりと微笑んだのだ。私たちの初めてのキスは甘ったるいものではなかったが、そのぶん、濃厚さと爽やかさに満ちていた。
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月曜日を迎え、今日もまどかは仕事に向かうべく、出て行った。となれば私に残されるのは自由で暇で怠惰な時間しかない。かといって、なにかすることがあるかというと、特にない。機械の身体は鍛えようがない。本を読んでもそのおもしろみを理解するだけの知能がない。我がことながら、つくづくでくのぼうだと思う。多少、ボキャブラリーに余裕があるだけの私は、きっとそれだけの存在なのだろう。
――と、足を崩して座っていたところ、呼び出しのチャイムが鳴った。インターホンだ。モニターを確認し、宅配便だと知る。玄関の戸の鍵を解き、表に出た。次の瞬間のことだった。にぃと邪にしか見えない笑みを浮かべた宅配員に、硬い棒状の物で頭のてっぺんを殴られた。視界がぐらりと揺れた。強盗? 恐らくそうだろう。しかし、金持ちが住んでいような外観ではないアパートの一室にどうして……。――なんて考えているうちにもう一発、頭に食らった。目の前が白くなり、黒くなって暗転した。
2.
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夕方から夜にかけての時間帯。帰宅すると、ようすけが玄関の前で前のめりに倒れていた。悲鳴を上げそうになったけれど、それよりも先に、なによりも先に、彼の容態を確かめなければならないと考えた。名前を呼んでも身体を揺すってもまるで返事がない。どうしてこんなことに……? いったいいつからこの状態なのだろう。直る? 違う。治るのだろうか。いつしかこぼれていた涙を拭うこともなく、わたしは救急車を手配した。きっと救急隊員は不思議がることだろうけれど、ほかの手段が思い浮かばない以上、わたしはそうするしかなかった。
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治療ではなく、一般的には修理――それくらい、わかっている。ようすけはようすけのまま、その外見のまま、メンテナンス工場まで迎えに行ったわたしの前に立った。たまらずわたしは抱きついた。すると一言、ようすけは「ご主人さま、おはようございます」と挨拶し……。ようすけは記憶を、わたしと暮らした日々を、忘れてしまった。
チンクエチェントの助手席に乗せ、アパートへと帰った。手を引いてあげて、二階までの階段を上った。部屋に入る。リビングで背の高いようすけを見上げると、彼は直立不動のまま、言った。「もうセックスをしますか? それともあとにしますか?」。まさにセクサロイドのセリフだった。
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通勤はした。薄情なものだと思う。できることなら、ずっとようすけの近くにいたいのに。彼はいつか元の彼に戻ってくれるかもしれない。その瞬間にそばにいたい。泣いても、嗚咽交じりに「ようすけ、ちゃんとしてよ」と告げても、ようすけは「私の名前がようすけだということはきちんと理解しました」と言うばかり。ますます悲しくなって、わたしは夜な夜な泣いた。「セックスはしなくていいのですか?」。ようすけはそればかり言う。わたしは「そんなつもりはないのよ」とくどいくらいに諭すように伝える。だけど、ようすけは二言目には「セックス」という単語を持ち出してくる。工場出荷時の状態に戻ってしまったようすけは、この先もずっと、このままなのだろうか。改めて学習してもらった結果に期待するしかないのだろうか。……苦しい。それでもわたしはどうしたって、ようすけのことが好きだから。だったらいっそと考え、いつかは「抱いて」と言ってしまうかもしれない。身体で交わることでよしとするかもしれない。けれど、そこに幸せはあるのだろうか。どうしてもそうとは思えなくて、一緒に裸でベッドに入るにとどめた。苦しい、苦しい、苦しい。ようすけの身体は遠慮もなしに冷たく、機械だから当然そうなのだけれど、そうであっても、その現象は、途方もなく、また狂いたくなるほどむなしかった。
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休日。いきなりようすけが言った。「海が見たいです」と。わたしは目を見開き、しばたいた。まさかの言葉だった。欲求を述べるだなんて思いもしなかった。よそ行きのポロシャツとチノパン。用意していたそれらを着てもらった。「ありがとうございます、ご主人さま」と返されたことに一抹以上の不安を覚えた。でも、それは最近にあってはいつものこと。めげるわけにはゆかず、だから部屋を出て、階段を下るときはやっぱり手を引いてあげて、チンクエチェントの助手席に乗ってもらった。「ありがとうございます、ご主人さま」とまた言った。「いいのよ」と答えたわたしの目からはまた、大粒の涙がこぼれる。
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海だ。以前訪れた砂浜。寒くなりつつあるせいか、もうヒトは少ない。それでも家族連れやカップルはいて。それぞれ仲睦まじい様子が見受けられる。すばらしいと考える。誰かのことを愛おしく、また大切に思えることはほんとうにすばらしい。わたしはどうしてセクサロイドを購入したのかと思い返す。失恋に遭い、恋心を砕かれ、だから求めたのだ。最初は抱かれたかった。男らしい身体が魅力的に映った。著しく雄々しいそれには背筋が凍った。一つになりたかった。その結果として、ともに生きていこうと思えるだけでよかった。だけど、ようすけはきちんと変わってくれた。ようすけは学んだ。最初はほんとうに、セックスセックスとばかり言っていたのだ。それが変化した。わたしとともに穏やかに暮らしたいということを示してくれるようになった。だから、深く愛した。いまも愛している。でも、そこまで深い関係を紡ぐことができたのに、あの日の事件を境にようすけはすべてを忘れてしまった。わたしと暮らした日々を、わたしと交わした言葉の数々を、忘却のかなたへとすっ飛ばしてしまった。
波が打ち寄せる。わたしはサンダルを脱ぎ、濡れた地面――程良く硬く柔らかい砂浜に踏み入り、打ち寄せる波をばしゃっと蹴飛ばした。わたしももういい年だ。田舎の両親が帰ってこいとうるさい。見合い相手くらいいくらででも設けてやるからとやかましい。だけど、違う。それは違う。自らが添い遂げる相手は自分で見つけたい。型にはまった成り行きなど望まない。わたしはわたしでいたいから、ありがちな行方に身を委ねたりはしない。
なにかに気づき、なにかを思い出してくれると信じて、ここに連れてきた。「セックスをしなくてよいのですか?」「ご主人さま、セックスをしましょう」などと言われることについてはやはり苦しい以外のなにものでもない。わたしは伝える。「そんなことを言わないで」と。「身体の関係だけがすべてではないのよ」と。ときには涙を流しながら訴える。それでもようすけは「セックスは気持ちがいいはずです」と応えるばかりで。気持ちはいいのかもしれない。ただそれだけだ。心でつながることができない。それ以上に悲しいことはない。やっぱりわたしはようすけのことが好きなのだ。
もしこうすれば、どうするだろう。
そんなふうな悪戯っぽい思考の末、わたしはより向こうを目指して――入水した。助けて、ようすけ。わたしを助けて? このままではわたしは、波にさらわれ、死んでしまう。
お願い、ようすけ。
わたしの名前を呼んで?
それができないのなら、せめて一緒に死んで?
後方から「ご主人さま!」と大きな声が聞こえた。それがうれしくてわたしは振り返り、ようすけのもとまで一目散に駆けた。のっぽな彼を見上げる。自身の目が潤んでいるのがわかる。「ねぇ、ぎゅってして?」と伝えた。感情がなく、また気遣いと加減ができないらしいようすけは、背骨が折れるくらい抱き締めてくれた。三度「ここでセックスをしますか?」というセリフ。悲しすぎる。
忘れもしない。この砂浜でようすけと初めてキスを交わした。彼が望んでいないにもかかわらず、セクサロイドでしかないのに、キスを……。またしてもいいかと訊ねた。「かまいません」とようすけは答えた。
キスをした。深く、深く。お願い、戻って。心のなかでそう願いながら。唇を離すと、彼の頬を両手で包んだ。冷たい顔。機械の温度……体温だと思いたい。
――ようすけがびっくりしたような目をした。きょとんと目をしばたいた。そして、なんの前触れもなく「まどか、どうかしましたか?」と訊ねてきた。わたしは耳を疑った。だけど、聞こえてきた言葉はきっと事実で真実で。
わたしは「ようすけ、思い出したの?」と問いかけた。「思い出したとはどういうことですか?」と訊ねてきた。「それが思い出したということよ」と言うと、「そうでしょうか」と硬い表情――だけど、どことなく優しい顔をしてくれて。
そっか。キスで目が覚めたのか。だったらもっと早くそうしていればよかった。それにしても、なんと素敵なことだろう。気の利いた演出だ。奇跡だ。また愛おしく思う。そう。ようすけのことが愛おしい。彼は言った。突拍子もなく「愛しています」と。「セックスの話はしないの? それがあなたの役割でしょう?」と正しいあり方について説くと、「心でつながりたいです」。わたしとようすけは同じ思いでいる。それがもう、うれしくてうれしくて。
わたしは訊く。「セックスは気持ちがいいのかしら」。ようすけはきょとんとした顔で「私はそうするために製造されました」と事もなげに言い。「でもじつのところ、裏にあるのは純愛ではないの?」と続け。「純愛とは?」との問いには「だから、いまのあなたの心持ちのことよ」と答えた。「だったら悪くありません」と、ようすけは笑んだ。表情筋の出来の関係でぎこちないものだけれど、わたしの好きな笑顔。
またようすけに抱きついた。「一生、一緒にいてね?」。対してようすけは「まどかは結婚したほうがよいと思います」。「わたしは結婚なんてしたくない」と強く告げ、「だったらずっと一緒にいましょう」と、ようすけは言った。
「海はきれいね」
「はい。いつまでだって見ていられます」
「それは素敵な言葉」
やっぱりやっぱりようすけのことが好きだ。近いうちに、セクサロイドとしての役目も果たしてもらおうと考える。きっとすばらしい感覚を得ることができ、きっとそれは癖になってしまうことだろうから。