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アルランティアの日記   作者: 倉門 輝光
ロートリング
7/114

史朗

 引きこもっている割には忙しい日々。

 ある日、日本にいる史朗からメールが届いた。


 「人生に疲れた。ムシャクシャして会社を辞めた」



 え?


 何があったの?と思って直ぐに電話をしてみると、2コールで電話に出た史朗が「びっくりした〜。メールして直ぐに電話が来るとは思ってなかったよ!」と笑った。

 明るい。ちょっと酒を飲んでいるようでもある。 


 「久しぶりだな。元気か?」と嬉しそうに言って、しばらくComiComi祭りの話をして、あの時は楽しかったなあと笑い合う。

 そして俺が「会社辞めったってどうしたの?」と聞くと「…語っていい?」と聞く。 

 

 「うん、話しを聞く為に電話したんだよ。今空いてるし全然大丈夫。びっくりしたよ、人生に疲れたとか、ムシャクシャしてって書いてあったから、何かあったのかと思って」

 

 「あはは、ごめん。何となくあれを書いてみたかったんだ。ムシャクシャっちゃムシャクシャなんだけどさ、まあ結構スッキリしてるんだよ」


 そう言って、史朗は自分の事を話し始めた。



 「俺さ、ずっとアメリカの学校に行ってただろ。

 8歳の時に両親が離婚して母親と2人で暮らしてたんだけど、11歳の時に母親が再婚して名前が「本永史朗」から「寿頼史朗」に変わってさ。


 ちょうどその頃、学校で性教育があってさ、「受精」って言葉を知ったばかりのガキ共が「じゅせ しろう」って読み方を面白がってさ、からかいの種になっちゃったんだよな。


 「じゅせいしろ!」とか「じゅせいらん」ってからかわれて、笑ってごまかしながら嫌だなと思っててさ、「新しいお父さん」のせいでこんな風に言われる、何で母さんは俺が馬鹿にされる名前になる相手と再婚したんだ!って腹が立ってさ。それで義父さんと口を利かなくなった」


 でも、大人になって会社入ってからは、それをネタにして営業で覚えてもらったりもしたんだけどさ、と笑う。

  

 「からかいがイジメになって、小学6年の後半は不登校だったんだ。まあ、学校に行かないのも悪くなかったけどな。

 家でゲームをしたり、映画やアニメを観て過ごしながら、一応勉強だけはしていてさ。その頃に字幕で観た洋画の影響で外国語に興味を持って、英語を覚えてみようと思ってテレビ講座で勉強した。


 知らない言語って、なんか思考の仕方が違って面白いじゃん。

 あと、アルファベットにすると、大嫌いな自分の名字が結構かっこいいって気付いてさ、発音次第でフランス語っぽくなるし、そんなに嫌じゃなくなったんだ。単純だよな。

 自分を表す表記が変わるだけで自分も変わるような気がしたんだよ」



 わかります。俺もそれもあって「門倉です」って名乗ってた所ある。



 「避けていた義父さんとも話すようになって、家族の雰囲気は良くなったんだけど、中学がダメでさ。

 家では、母親のパソコンでインターネットを始めて、英語で一生懸命に海外の映画やアニメファンとコミュニケーションを取ることにハマって楽しかったのに、学校に行くと居場所がなくて、入学してすぐに、また行かなくなったんだよ。 


 ネットの友達は年齢も様々で、大人が多かったからかも知れないけど、ちょっと英語を間違えても誰もバカにしないし、むしろ頑張って理解しようとしてくれたりな。もう、海外の友達とやり取りしてるほうが楽しくて、英語ばかり勉強してた。

 その様子を見守っていた母と義父も応援をしてくれて、中学を休み始めて数ヶ月でアメリカに留学をする事になったんだ。


 アメリカでも人種差別されたり、いじめはあったけどさ、でも何か心が自由で日本にいるより楽しかったんだよなあ。

 

 2年で一回帰国したんだけど、やっぱ中学に合わなくて、両親は家族で一緒に暮らしたいと言ってくれたけど、結局アメリカの高校に入学する道を選んだ。 

 留学もさ、合う合わないは個人差があるだろうし、ホームステイはホストファミリーとの相性もあるだろうけど、俺には合ってたんだろうな」


 懐かしそうに、時々ちょっと早口になったり、ゆっくり考えながら話したりする史朗。

 話しながら自分の中で心の整理をつけているようでもあった。良く考えたら、こんな話しは誰にもした事がなかったと、「そうだったんだな、俺」と苦笑する。

 

 「でさ、そのままワガママを言わせてもらって、ずっとアメリカで過ごそうと思っていたんだけどさ、高校卒業ってとこで両親が交通事故で死んじゃってさ。俺は呑気に外国で学校に行っている場合じゃなくなって」 


 帰国の理由が両親の葬式だったんだよなあ、と、史朗は苦笑まじりに話している。

 俺は何も言えなかった。

 ちょっと爺ちゃんの事を思い出した。そしてComiComi祭りの時に感じた史朗の、他の人とはちょっと違う気遣うような優しさは、こんな痛みを知っているからなのかと思った。

 

 「母方の祖父母がショックで弱ってちゃって、一緒に住んで支える事にしたんだ。

 祖父さんが「大学は出ておいた方がいい」と言うから、1年遅れで日本の大学に入学して、大学に通いながらバイト生活してさ。


 大学を出て就職をしてすぐに、お祖母ちゃんが死んで、祖父さんもボケちゃってさ。後を追うように3ヶ月後に逝っちゃって、俺1人になっちゃってさ。

 実の父親の居場所は知っていたけど、あいつに会いに行こうとは思わなかった。

 

 寂しくて必死で仕事を頑張ってたんだけど、でもさ、そういうのもう嫌になっちゃってさ」と深い溜め息をつく。 

 

 「辞めます!って言って、引き止められはしたけど、もう決めましたって振り切って。まあ、言ってからもちょっと気持ちは揺れたけど、やっぱり辞めたくてさ。そんで1ヶ月頑張って、今日で晴れて会社員から解放されたってわけさ」


 バンザーイ!と言って、本当にスッキリしているような史朗の声に、ちょっと安心はしたけど、「これからどうするの?」と聞いてみたら、「わからん!」と返ってきた。 

 「俺は日本は無理なんじゃないかと思う。だから出来ればアメリカで就職出来たら良いなと思うんだけどさ、色々難しいわ。今はそういうのはちょっと考えないで、とにかくゆっくりしようかなと思う。貯金も少しならあるしさ」

 

 そう言う史朗に、「じゃあ、うちに遊びに来ればいいのに」と言ってみた。


 「部屋はいっぱいあるし、食費も宿代もかからないし、しばらく居ても全然いいし」

 そう言うと史朗の返事は早かった。


 「マジか!パスポートもあるし、すぐ行く!」




 そして、その電話から1週間後、俺は今、史朗を迎えに駅に向かっている。

 


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