ひろいました。
自称記憶喪失の男を拾った。
本人の申告によれば、昨日までいた精霊だったという。
確かに面影はあるが、これはいきなり成長しすぎではないだろうか。
そう現実逃避したくなる。
なぜ、ぎゅっと抱きしめられなければいけないのか。
そのまま意識を失って、器用にも座り込んで膝の上に抱えられているのか。
漂白したように白い髪は硬い。先ほど見えた目は青空のように澄んでいた。
透けて見えたりはせず、質量が存在する。
ただ、とても冷えていた。
「起きて」
そう何度か声をかけてようやく目蓋が震えた。
「ん、んー?」
いいものを見つけた子供のように、笑った。
意識を取り戻した彼を何の説明もせず寝台へ押し込んだ。恐ろしいほどの冷たさは、死んだのではないかと恐怖させるには十分だった。
春先の暖かさで昼間に使うことはなかった暖炉に火を熾す。上掛けを肩までかけて、そんな慌てた自分がおかしく感じる。
「ありがとう」
ご機嫌にそう言う彼の額に手をあてる。
「あったかいなぁ」
冷たくはなかった。
それにほっとした。手を離せば、逆に手首を捕まれた。
「なまえ、聞いていい?」
「レア」
長かった名前の一部を告げた。
彼はその名を真面目な顔で復唱した。そう言えば、精霊であった少年に名を聞かれた事がなかった事を思い出した。
精霊自体に個人名の概念がなかったのかもしれない。
それを不便に感じたことがないのは二人しかいなかったせいだろうか。
「あなたは?」
おそらく、名も無いでしょうけど。とは口にしなかった。
「僕は、あれ?」
眉を寄せて悩むような顔は初めて見ると気がついた。
「だれだっけ?」
そうでしょうね、とは言わずに私は笑うことにした。
そっと手首をつかんでいた手を外す。それにさえ気がつかなかった。
うーんと唸っている姿が、年よりもずっと幼い。
「まあ、いいや。君が名付けてよ」
すぐに諦めたようにそう言い出す。
「サイラスはどう?」
それは好きだった本の主人公の友人だ。主人公の代わりに呪いをうけ、子供に戻される。それまであったことを忘れて。
「ん。わかった」
彼は真面目な顔で、こう続けた。
「で、僕はなんだってこんなところにいるのかな?」
おそらくは最初に聞くべき事、だと思う。
「私にもわからないわ」
そして、答えを知らない。
ヒトならざるモノが何を考えていたのかわからない。
彼は本当に、復讐を名乗る精霊なのだろうか。
その姿は大人になったらと思い描く範囲内だ。
ヒトであればと思った通りに。
「ひとまず、おやすみなさい」
「ん」
私の答えを不審に思った様子もない。安心できる場所にいると心から信じているように目を閉じた。
「ありがとう」
なにか、大切なものになったような気がした。
私のつまらない半生が、少し報われたようで慌てて背を向けた。
ここは小さな家だった。
入り口から家の全てを見渡せると言っても過言ではない。
一つの寝台と食事用のテーブルとイスが一つ、暖炉と料理用のストーブ。食器や色々な道具を置いている棚と少ない衣服をおさめるクローゼット。
それだけだ。
一人で住むなら問題はなかった。
夏であろうとストーブの火を絶やしたことはない。常に置いていたヤカンからお茶の準備をする。
カモミール、ミント、乾燥オレンジ。ゆっくり蒸らして、注ぎ、ハチミツをひとさじ。
甘くさわやかな匂いが満ちる。
寝台に顔を向ければ小さな寝息が聞こえた。
それを確認してお茶を口に含む。
どうしよう?
この小さな家に他の誰かが入る余地は物理的にない。床に寝るくらいしかできない。しかし、その十分な床があるかと言えば……。
「……ムリだわ」
例え掃除していたとしても、藁で寝る場所を作ったとしても、いろんなモノを寄せてもそんな余地はない。
精霊は物理的に存在しているわけではない。そもそもここに住んでいたわけではなく、気が向いた時にやってきていた。
毎日顔を見るときもあれば半年近く不在だったこともある。
長くいなかったとき、決まって小さくなった。
いなくなると本気で思っていなかった。
こんな形で、戻ってくるとも。
……そもそも、本物なのかしら?
そう疑う気持ちに蓋をして。
お茶を飲みきり、片付けを始めた。