彼女の場合
『ふくしゅうをかんがえないの?』
声は、子供のようにたどたどしく誘う。
私はそれを聞かないようにお菓子を差し出した。
「今日もおいしくできました」
『ん。さいしょはひどかった』
空に浮かぶ子供が今日もまじめくさった顔で言う。
世界の果てと呼ばれた森の入り口で、私は生きていた。おそらく、たぶん、きっと生だと思っている。
人外に片足突っ込んでるどころか、肩までどっぷりつかっている気もしている。
あの日から三年。ちょっと身に覚えのある事と身に覚えのないことを虚実交えて罪とされれば否定しずらい。
要は政争に巻き込まれて、負けてポイ捨てされたのだと理解したのはこの子供が目の前にやってきたころだ。
修道院にたどり着く前に命を刈られそうになって。
この子が来た。
『我は復讐』
少年と言えるくらいには、そのころは大きかった。
今は、幼児ともいえるくらいに小さくなった。
復讐を望むモノに見えるという精霊だと彼は言った。否定されるごとにちいさくなるという性質だという。
私が育てた、復讐という名の精霊、と言う。復讐を遂げても、せずに否定しても消えるという。
最初は何かの冗談かと思ったが、小さくなっている現状を考えても、そうなのかもしれない。
彼は甲斐甲斐しく私をここに連れてきて、家を用意した。生活のすべを教えてくれた。
その一方で、復讐を遂げることをそそのかす。
私を裏切った婚約者を惨殺せよ。
私から婚約者を奪った女を辱めよ。
私を捨てた家族を血祭りにあげよ。
私を嘲る民を飢えさせよ。
国を滅ぼし、その血を、魂を捧げよ。
時により拷問方法を語り出すので大層恐い。言えばつまんなーいとほっぺたを膨らませる。
それが可愛すぎて逆に恐い。
私は、恐いのだ。
復讐することを願い、その責を負うことが恐い。
怨むときはもう過ぎてしまった。
『ぼくがきえたらないてくれる?』
まじめくさった顔のままで、時々、彼はそう言う。
最初ははぐらかしたが、何度も問われれば考える。
「いなくならないで」
それは執着かもしれない。かつての、家族にも、婚約者にも国にも抱いたことのない。
『なら、なにか、やってみる?』
にこりと笑って、復讐をすすめる。
「私の箍が外れたら、ダメなことになるんだと思う」
彼が囁く復讐方法を覚えてしまった。遠くから、少しずつ毒を流すように壊していくのだ。
本人に届く前に、恐怖を覚えるように。
想像で楽しむことがないとは言えなかった。
「もし、復讐するならば、私は、私の悪意を持って、それをしなければならないと思う」
毒の入った小瓶を弄ぶように。
この悪意と害意をふと取りだしてみる。
彼に言われたからではなく。
「これは、わたしのもの」
こぼれた言葉は戻らない。
『ん。じゃあ、ばいばいだ』
機嫌が良さそうに彼の姿は薄くなった。
これが、決定的な否定? そんなバカな。
『次の僕にも優しくしてよね?』
意味がわからなかった。もう一人復讐を語るものがやってくるとでも言うのだろうか。
その日は泣いた。
翌朝、外でどさっという音がした。
腫れぼったい目蓋で、外に出てみればヒトが落ちていた。
「やあ、昨日振り」
そう言った男は、ぎゅっと抱きついてきた。
「は?」
とっさのことで混乱する私の頭のてっぺんにキスをすると、んー、いい匂いなどと言い出した。
「次に目覚めるときには忘れているから、大事だから伝えておくよ」
耳元で密やかに。
「精霊は人に恋したら、ヒトに堕とされるんだ」
少年と似ているようで、違った声で宣言した。
「両思いにならないと存在も抹消される。だから、頑張るから覚悟して」
そして、混乱の極みの私を放ってその男は、意識を失った。
「どーゆーことよ」
全く極めて意味がわからない事態だ。
とりあえず、この重たい生き物をどうすれば良いのか途方に暮れる。
私が救出されるのはまだまだ時間が必要だった。