宰相閣下の憂鬱
ペラ
カリカリカリ
「……はあ」
静かな部屋に、書類を捲る音とペンの走る音、そして溜め息が響いた。
「何度目ですか、閣下」
青い髪をした眼鏡の神経質そうな青年マーカス・クリードは、音が聞こえた方を睨み付けた。
溜め息をついたのは、この国の宰相閣下。
マーカスは彼の仕事を補助する役目をしている。
「溜め息も吐きたくなるよ」
言ったそばからまた一つ。
すると、マーカスがついにキレた。
「いい加減にしてください!こっちの気まで滅入ってくるんですよ!」
「……第一王子との婚約を破棄出来たと思ったら、次は第二王子だ」
聞いてもいないのに話し出した。
どうやら話の内容は彼の溺愛する一人娘のことのようだ。
マーカスは舌打ちを一つすると、書類を捲る手を止めないまま言った。
「しかし、リラ様は今お幸せそうに見えますが」
たまに王宮で見かける彼女は前よりも生き生きして見えた。
誰よりも彼女の幸福を願っていた閣下である。
幸せなら別にいいのではないか、とマーカスは思った。
「あの王子は気に入らん」
誰が相手でも気に入らないんじゃないんですか、そう言いかけてとどまった。
めんどくさいからやめよう。
頭に第二王子を思い浮かべる。
人当たりはよく、勉学に優れ、剣技もなかなかのものだと聞いた。また、見目も麗しい。
非のつけどころがないではないか。
まあ、閣下はそこがまた気に入らないんだろうが。
「うっ、小さな頃は父様父様と……」
また始まった……
マーカスは少しうんざりした。
コンコン
「リラ・オーウェンです。ユーリ・オーウェン宰相閣下はいらっしゃいますか」
なんというタイミング。
閣下の方を見ると、彼は急いで居住まいをただしていた。
「入りなさい」
「失礼致します」
銀髪の美しい少女は部屋に一歩踏み出すと軽くぺこりと頭を下げた。
手には籠を持っている。
「どうした」
「私、料理長と一緒にお菓子を焼いたんです。父様もよろしければどうかと思いまして」
彼女はその籠の中に手を入れると、綺麗にラッピングされた袋を取り出した。
中はどうやらクッキーのようだ。
「ありがとう、リラ」
閣下は平静を保っているが、かなり嬉しいらしい。
口元がぴくぴくしていた。
口角が上がるのを我慢している。
「クリード伯もあの、よろしければ、ですけど……」
冷めた目でその様子を見ていたマーカスに、リラがおずおずとクッキーの袋を差し出した。
「私にもいただけるのですか?」
「あの、お口に合わなかったら無理に食べなくて結構ですので……!」
「いや、いただきます、ありがとうございます」
袋を受け取ると、背後からとてつもない殺気を感じた。
このくらいで大人気ない。
「それでは、私はこれで。父様、お仕事頑張ってくださいね」
「リラ、お茶して行けばいい。そろそろ休憩にしようと思っていたところなんだ」
閣下!と、マーカスは怒鳴りつけそうになった。
彼は今日執務中上の空だったため、いつもさばいている書類の半分程しか消化出来ていない。
「ごめんなさい、父様。今からエドとお茶するんです」
……。察した。
彼女は、エドウィン第二王子のためにこのクッキーを作ったのだろう。
誘いを断られた閣下は一気にずぅんと落ち込んでいた。
彼女が退室してしばらくすると、閣下は無言で、ガサガサともらったクッキーの袋の口についていたリボンをほどき中身をほおばった。
「……うまい」
さすが私の娘だ、とつぶやく閣下。
言っている内容のわりに声は沈んでいた。
「分かったので仕事してください」
言うと閣下は反論することもなく、書類の山に手を付けた。