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「じゃあ、あの婚約破棄証明書、何故陛下のサインまであったの」
「これは王家の威光に関わるからあの場では言わなかったんだけど。王妃教育ではリラが一番だったとはいえ、他の令嬢だってそれなりに優秀だった。だから公が嫌と言えば辞退することだって出来たんだ。でも陛下が頼み込んだ。バカな息子の手綱をお前の娘に握ってほしいってさ。それでやっと公が承諾したってのに、このざま。で、公は婚約を取り下げないなら宰相職を降りて娘と領地にこもる、と陛下を脅した。陛下も今オーウェン公ほどの優秀な臣下がいなくなるのは惜しいから、泣く泣くサインしたんだよ」
ここまで聞いて私は思った。
これはたしかに、あの場では言えない。
陛下と父様は昔からの友人とは聞いているが、王を脅すなどと、正直自分の父が恐ろしい。
そこまで話したところで馬車が止まった。
なんとなくは分かっていたが、王宮の前だ。
エドは続きは中で、というと私の手を取る。
馬車を降りて歩き出すと、視線が痛い。
それはそうだ。
みんなまだ私が第一王子の婚約者だと思っている。
なのに、第二王子と手を繋いで歩いているなんて。
ついいたたまれなくなって下を向くと、横からくすりと笑うような声が聞こえた。
少しイラッとして声の方を向けば、見ているこちらがぶっ倒れそうになるほどにこやかな笑み。
証拠にほら、勤務中の侍女が頬を真っ赤に染めた。
そして、そのまま手を引かれ着いた先は陛下の執務室だった。
コンコン
「陛下、エドウィンです。リラも一緒にいます。」
入りなさい、と中から声が聞こえた。
側に立っている衛兵が扉を開けると、苦虫を噛み潰したような顔の陛下と、その横に立ち眉を八の字に下げた父様がいた。
挨拶もそこそこに、陛下は私に向かって頭を下げた。
「リラ嬢、うちの愚息がすまなかった」
「顔を上げてください、陛下。私の力不足だったのです」
本当は、小説通りに婚約破棄出来たらいいななんて言ってたけど。
「リラがアルフレッド殿下に歩み寄ろうとしていたのは皆知っていたよ。だが、彼は自分よりも優秀なリラに劣等感を抱き邪険にした。挙句の末、あのような小娘を好きなどと。悪いのは彼だ。ああ、やはり陛下の言うことなど無視して婚約などしなければよかったんだ」
「と、父様……」
めちゃくちゃ言っている。
さすがに不敬に当たるのではないだろうか。
陛下の様子をちらちら伺うと、怒っている様子はなかった。
……逆に落ち込んでる?
「だから本当にすまなかったと……」
「しかも第二王子は第二王子で」
「オーウェン公、今その話は不必要です」
「チッ」
何かを言おうとして遮られた父様はエドを睨み付けた。
しかし、エドはそれをさらりと躱すと私の方に体を向けた。
「まあそういうことで、婚約は破棄されました、と。理解出来た?リラ」
「うん」
そういうことらしい。
婚約破棄に関して動いていたエドの手際が良すぎる気もするが、まあ目的は達成されたのだ。
「じゃ、陛下と公は執務中だから僕達は失礼しようか」
「そうね」
「リラ」
退室の挨拶をして踵を返そうとすると、父様から声が掛かった。
なんですか、と言うと父は神妙な顔をして言った。
「父様は、父様は、相手が誰であろうとリラを嫁に出したくはないんだからな!」
「う、うん?分かってるわよ、父様。理由が何であれ王族と婚約破棄した私に次の貰い手がつくとは思えないわ」
「リラぁ、頼むから警戒してくれ……」
「何をですか?」
首を傾げると、可愛い、リラ可愛い!と父様が悶えた。
私が可愛いことは知っている。
それより警戒するとは、何に、再度問いかけようとしたとき、エドが私の背中に手を当てて軽く押し出した。
「それでは」
背中越しに父様の泣きそうな声と、陛下の宥める声が聞こえていたが、エドの背中を押す手は緩められることはなくそのまま外に出てしまった。
「……少し、中庭に出ようか」
そう言うとまた手を繋ぎ歩き出す。
ちら、と横を見上げると彼は今までになく緊張した面持ちをしていた。
手を離して、と声をかけることも戸惑われ、結局どちらが何を話すことも無く、無言のまま中庭に着いた。
置かれている椅子とテーブルに向かい合わせに座り、近くにいた侍女を呼んでお茶の用意をしてもらった。
「リラ・オーウェン嬢」
「どうしたのよ、急にかしこまって」
いつものように砂糖を五つ紅茶に落とした。
ひたすらぐるぐるとスプーンをかき混ぜている私の手にエドが自分の手を重ねた。
何するのよ、早く混ぜないと溶けなくなっちゃうでしょ。
「リラ、顔をあげて」
「何」
手を止められて、ついぶすっとしてエドを恨みがましく見てしまう。
けど目の前の彼は思いのほか真剣な顔をしていて、私も思わず表情を引き締めた。
「ずっと、ずっと前から君のことが好きだった。僕と結婚してください」
「!?なっ、なんで……」
カチャン、とスプーンが音をたてた。
そういえばよく考えてみるとエドには婚約者はいなかった。
殿下とエドは異母兄弟で同い年。
王族なのにこの年で婚約者がいないのは異例だ。
それって、まさか……
「僕のこと、嫌い?」
「嫌いなわけないわ!」
「じゃあ好き?」
「うーん、友人としては好きだけど、恋愛対象としては……」
「好きなんだったらいいでしょ。友愛か恋愛かなんて今からどうとでもなるよ、僕にはその自信がある」
「え、えええ……」
「ね、いいでしょう」
ううん、とは言えなかった。
言葉は強気だが、瞳に不安の色が見え隠れしている。
いつも余裕な笑みを浮かべ、飄々とした態度の彼がこんな顔をするなんて。
そこまで私のことが好きなのかしら。
だったら、結婚してしまおうか、そう思った。
根拠はないけれど、彼なら私を幸せにしてくれる、そんな気がした。
「いいわ!そのかわり幸せにしてね」
そう言った途端彼の表情が一瞬、とっても泣きそうに緩んだのを私は見逃さなかった。
胸が何故だかきゅう、とした。
もしかして、これが愛おしいという感情なのかしら。
結婚を申し込まれてすぐにこんな、私ってなんて現金な女なのかしら。
「もう悪役令嬢にはならないでよね」
一瞬何のことを言われたのか分からなかったが、ああそうか、私が前に言ったんだ。
王子と平民上がりの男爵令嬢の恋物語。王子の婚約者の公爵令嬢は悪役令嬢だった。
「もちろんよ!次は私がヒロインだわ!」
大きく胸を張ってそういうと、目の前の彼は蜂蜜色の髪を揺らして愉快そうに笑ったのだった。
ここまでお読みいただきありがとうございました!
物語の補足はこの後の番外編でしていきます