8 名付けと子猫の正体
ここ三日間で一回しか投稿出来ていなかったので、今日は土曜日ですし、二度目の更新をします。
草原を駆けている。こう見えて、同年代では二番目に足が速い。と言っても、村にいる同年代の子供なんて10人も居ないが。
その程度のスピードでは黒い子猫に簡単に先回りを許してしまう。圧倒的な速度差で。所詮は五歳児。どれだけ懸命に走ろうと、動物の速力に敵うわけがなかった。
加速力でも、最大速度でも、二回りは子猫が上回っていた。
もしかしたらそれ以上なのかもしれないが、子猫からすればそれ以上の速度を出す必要を感じないのだろう。いつも同じくらいの速度で先回りされた。
「でりゃあぁ!!」
思い切り左足に力を込め、進行方向を急激に変える。およそ90度。速度も対して落ちていないし、子猫の速度を考えれば、早いからこそこの動きで振り切れるはずだった。
しかし、結果は子猫の勝利であった。
子猫は振り切られるどころか、減速することさえなく、見事に俺の腹にタックルを決めた。
ぐぅ、なんという速さ。下手なフェイントでは、速度が落ちてしまうため黒猫の餌食になってしまう。
「また負けたー!」
子猫とはリハビリがてら、鬼ごっこをして遊んだ。
初日はいい勝負だった。
二日目はたまに勝てた。
三日目は一度たりとも勝てなくなった。
四日目の今日、鬼ごっこの鬼は交代制ではなくなり、一方的に子猫がこちらを追い回す遊びに変わってしまった。
今日の勝負も既に三度目。どれも勝負にならなかった。
子猫は、甘えて鼻先をこちらにこすりつけ、右の人差し指を甘噛してくる。
「はは、やめろって」
くすぐったさに負けて、思わずひとりごちるも、子猫は言うことを聞かない。
「いったぁー!!!」
甘噛の延長線レベルだが、見事に歯を立てられる。
舐めてれば治る程度の浅い怪我だが、この猫は遠慮がない。
その怪我をした箇所から流れ出る血を子猫は舐めとる。
一度シルフィに子猫が血を舐めることを相談したところ
「主従契約を結んだせいかもね。普通猫は血を舐めたりはしないけれど…。まぁ、主従契約も結んだし、衛生面では気にしなくても良いよ。それで病気になる恐れもないことは保証する」
シルフィ曰く、主従契約において血液というのは極めて重要な意味を持つとのこと。魔力の行き来をスムーズにするため、猫の方が本能的に血液を欲しているのだろうとの見解だ。
数日前まで死にかけていたのだから、魔力というかエネルギーが必要なのは当然であった。
ちろちろと、未だに指を舐め続ける猫。
本当に幸せそうな顔をしている。
いや、猫の表情なんてわからない。そう思っていたんだけど、露骨に伝わってくる。これも主従契約の恩恵かもしれない。
「……そういえば、名前をあげても良いかもしれないな」
猫は、こちらの言っていることを理解したのか、指を舐めるのをやめた。
お、珍しく驚いたような表情でこちらを見ている。
「ずっと、猫って呼んでるのもダメだろう…よし。決めた。君の名前は、「ロネ」だ」
黒猫。クロネコの二文字目と三文字目を抜き出しただけの、簡単な名前。
ロネは、主従契約をして今日までの間、一度たりとも鳴いたことがなかった。
そのロネが
「…にゃー」
己の名を認めるように、鳴いた。
「あはは、ロネ。そんな声してたんだな」
可愛いやつと、ぎゅっと抱きしめる。ぁー…こいつ、野原を駆け回るくせに良い匂いさせてるなー。
普段は抵抗するロネも、今回ばかりは仕方ない受け入れてくれた。
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日は落ち、夜の世界。
明かりを灯す贅沢はこの世界では容易ではなく、アレックスの家庭もその例にもれない。
アレックス自身はこっそりと精霊と共に山の中を駆け回ることも多々あるが、今日は走り疲れたのか、深い眠りについている。
だからこそ、出来る話があった。
「良い名をもらったね。ロネ」
「…ふん、何が良い名のものか」
ロネと呼ばれた黒衣を纏った金髪金眼の少女は、フェードに応えた。
「だが、まぁ。あやつがそう呼びたいというのなら、……………まぁ、渋々認めないでもない。………………………まぁ、私もいつまでも名無しで居るのも不便だからな」
そう言いながらもロネのにやけ顔のままだ。
本人には自覚がないのだろうが、今日は人型である時は、一日中あの表情だ。
「ロネ、ふむ。ロネ……まぁ、センスは今一つだが。ふむ、まぁ、主殿センスだから仕方あるまいな」
「それで、ロネは体力を取り戻せたの?」
「如何せん、私は産まれて5日目故、今日まで一度たりとも全快になったことがないからわからんが…名を与えられた瞬間、初めて満たされた感覚がある」
ロネは5日前に産み落とされた吸血鬼だ。
親は居ない。何故なら、彼女は真祖と呼ばれるフェードやシルフィのように世界に産み落とされる存在だからだ。
ロネを守っていたのは、ロネの親などではなく、ロネが誘惑の魔眼を使い、使役した猫だったと。
ロネは真祖の吸血であると。
ロネは生まれ落ちたばかりでほとんど力がないと。
シルフィからフェードは全て教えられた。
フェードは悔しいという感情で一杯になっていた。
シルフィの慧眼に、知識に。
魔力でも、何一つシルフィに勝るものがない。
しかし、いつか超えてみせる。
そう強く決心させられた。
フェードは一旦その感情を隅にやり、ロネと名付けられた吸血鬼を見据える。
「…なかなかに強力なようね」
フェードはロネを値踏みするように見る。
…魔力の貯蔵量はフェードを上回り、シルフィにさえ匹敵するだろう。
「ふふ、そなたもなかなかのものよ」
ロネは余裕を持って応えている。産まれて間もないとは思えないほどの優雅さである。
「ところで、馴れ馴れしく私のことをロネと呼ばないでくれるかしら?」
「…ふふ、私のほうが使い魔として先輩、言わば筆頭使い魔なのよ」
精霊として契約を結んだのはフェードのほうが先だという自負があるのだろう。
しかし、ロネはそれを一笑に付す。
「何が先輩よ。あなた、名前を与えられただけで、契約なんてしてないじゃない」
そう、フェードはあくまで名前を与えられただけで、アレックスと契約が結ばれていない。
「な、何を言うか!?わ、私たちは契約よりも強い絆で結ばれているんだ!」
「あら、そう。羨ましい限りですわ」
「こんのくそ吸血鬼…」
「なによ、駄精霊…」
この夜、幼き吸血鬼と精霊は朝を迎えるまで、ひたすらに罵りあった。