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作者: 浅葱宵

 周囲には濃密な乳白色の霧が立ち込めていた。足元はおろか、行く先を探るように伸ばした指先すら見えないほどに、視界は閉ざされている。

 身に纏ったものは全て湿気を含み、重く肌に纏わり着いて不快だった。

 俺は方向感覚を失ったまま、無限とも思えるミルク色の空間を、主観的に前方と思われる方向へと歩き続けていた。


 ここは一体何処なのだろう。


 俺は確か戦場にいた筈なのだ。

 小国同士がひしめき合う辺境。それぞれの国家がそれぞれの思惑で、しかし、結局は統一国家を造る事が、この地に暫定的な平和をもたらすと、協定を結んでは破棄し、小競り合いを続けていた。

 俺は傭兵としてその戦いに身を投じ、山脈に囲まれた美しい湖の辺に首都をもつ国の、若き君主に仕えていた。隣国が最近勢力を伸ばしてきた北方の国の軍隊に首都を奪われ、首都の奪回と交換条件に、我が国の支配下に入るという申し入れを受けて、君主が軍を派遣する事を決め……俺はその戦いに参戦していたのだ。

 馬の蹄の音、剣戟の響き、空気を切り裂く矢音……そして怒号と悲鳴……。その中を、俺は小隊を率い、愛剣を手に向かってくる敵兵を切り伏せながら馬で駆け抜けていた。大切な人の隊が危機に瀕しているという情報を聞いて、居ても立ってもいられなくなったから。その判断が、戦いの大局にあって正しいかなんて、関係なかった。ただ、彼を死なせたくない一心で馬を駆った。

 剣は既に血と油で殆ど役立たずになっており、ただ、鉄の棒で相手を叩き伏せるだけのような物だったが、それなりの重さのある金属で殴られればかなりのダメージになる。俺は敵兵の肩や腕を狙って剣を振り下ろし、戦闘不能状態にしていった。漸く彼の姿を乱戦の中に見出した。彼もまた斬れなくなった大刀を振り回しては、敵兵を叩き伏せていた。俺が彼の名を叫ぼうとした刹那、飛来した矢が彼の胸に突き刺さった。一瞬信じられないような表情を浮かべたところに、次々と矢が飛来しては、彼に突き刺さって行く。彼の身体はゆっくりと倒れて行った。

 俺の口からは悲鳴が迸ったのだろうか……。そんなことすら覚えていない。ただ……彼を倒した矢が今度は俺の馬に集中し、俺は苦痛で暴れた馬の背から振り落とされて、地面に……叩きつけられた筈なのだ。


 落馬したのなら、かなりのダメージがあるだろうが、俺は苦痛を何も感じていなかった。ただ、重たく湿った服と装備が気持ち悪いだけだった。

 気付けば、周囲を取り巻く霧が暗くなりつつある。こんな場所でも時間が流れており、日没が近いのかもしれない。闇が訪れたら、身動きが取れなくなる。俺は疲弊した身体に鞭打つように、歩く速度を速めた。

 闇は急激に落ちてきた。取り敢えずでも良い。一夜を過ごせる場所を確保しようと、俺は焦りを覚え始めていた。

 不意に視線の片隅に、仄かに光る物を見た気がした。それは誰かが点した灯なのか……そうだとして、その誰かが俺に敵対する者ではないのか……。これは賭けだと思いながら、俺は剣を握り締め、その光に向かって歩き始めた。

 光は小さな洞窟の入り口から奥へと誘うように灯されていた。中にいる人間の気配を窺うように、息を殺し入り口に近づいてみる。

「お入り」

 掠れた女性の声が中から響く。敵意は無さそうだ。

「そんなに警戒せずとも、私は戦う気は無い」

 更にその女性の声が促す。俺は完全に警戒を解いたわけではないが、それでもこの洞窟の片隅にでも今宵一夜の居場所を借りようと、ゆっくりと中へと歩を進めた。

 洞窟の中は思っていたより広く……というより、何かの結界が張られた別の次元のようだった。あれだけ濃密だった霧の湿気もなく、仄かな温かみを帯びた空気が満ちている。暫く歩くと、そこは広い部屋のようになっていた。

 その中心に、小柄な女性が蹲るように座っている。彼女が先刻の声の主か。目を凝らして見ても、彼女の姿がはっきりとは掴めない。少女のようでいて、老婆のようでもあり、また一番成熟して美しい時期を迎えた成人女性のようでもあって……一つの姿の中に何人もの女性が重なっているような、といえば一番イメージに近いか。目を凝らしてその姿を見極めようとすればするほど、彼女の姿は曖昧に映った。

「こんな場所に、どうやって入り込んだ?」

 女性の唇が動いて言葉を紡ぐ。

「戦場で落馬して、気付いたら外の霧の中にいた。それより、此処は何処なんだ」

 俺は一番聞きたかった事を口にする。

「此処? さあ。何処だろうね。ちょっとした空間のひずみの中に出来た、時間すら捩れたおまけのような空間、とでも言っておこうかね?」

 言葉を紡いだ紅唇が、妖艶な笑みを刻む。

「元の世界に戻りたい。どうしたら戻れる?」

「元の世界? 戻るのは造作も無い事。そこに並ぶ扉の、どれでも好きな物を開けば良い。但し……どの時間軸の、どの場所に出るかは運次第。それは私には分からない事」

 女性が背後を指差す先には、今まで無かった筈の扉が、幾つか並んでいた。

「そうか……それでは、これで失礼する」

 俺はその空間を突っ切り、直感的に選んだ左から3つ目の扉へと歩き始めた。

「せっかちな事。少し休んで、ゆっくり考えてから行けば良い物を……」

 クッと喉奥で女性が笑う。

「大切な奴が死に掛けているかもしれない。助けたいんだ」

 俺は答えて、選んだ扉に手を掛けた。

「大切な奴? 恋人か?」

 揶揄うような声が、俺の背に掛けられた。

「恋人より大切な存在だ」

「恋人より? まあ、そういう事にするさ。ねぇ……」

 女性の掠れた笑い声を振り切るように、俺は扉を開いた。


何となくファンタジーっぽい雰囲気のお話が書きたくて、出来上がったものです。扉の先に何があったのか、わざと曖昧にしてみました。如何でしたでしょうか。

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