REVENGE:BEGINNING
あの悍しい事件で闇と戦った謎の青年は疲れ切った笑みを浮かべる放浪者であった。そしてその心に秘めた煮え滾る感情の渦の正体…それは間違いなく復讐のそれである。
登場人物
―ダーク・スター…復讐者、『自ら望んで』不死者と化した青年。
惑星〈揺籃〉
―地元民…この惑星を開拓した名前を持たぬ種族の男性。
人の終わりとは敗北した時ではない。その人が諦めた時こそが終わりなのだ。
――リチャード・ニクソン
魂をも凍えさせるコロニー襲撃事件の直前:PGG銀河から数億光年遠方の銀河、衛星近縁
数万マイル先では白く輝く衛星の巨体が浮かび、青年はその光景をモニター越しに眺めていた。ごつごつとしたクレーターに覆われた地表はそこが過酷な環境である事を物語っており、彼はほっそりとした右腕で手触りのよい感覚付きホログフィック・コンソールを操作し、ぼうっと亡霊のごとく光る地表の一部を拡大した。そこには名状しがたい触腕をくねらせて舞う無数の実体がおり、苔のようにびっしりと覆い尽くしている様が垣間見えた――すなわちあの過酷な環境で生身を晒しているのだ。蟻の大群めいたそれら実体は己らと同じ姿ながらも次元違いの神々しさを放つ一体を取り囲み、恐らく未知の文化圏におけるやり方で崇拝や畏敬を表しているらしかった。その光景を目にするや否や、青年は眺望や嫉妬の混じった悲しげな笑みを浮かべて呟いた。
「幸せだね。君達は僕がもう持っていないものを持っている」
彼は己の声色が思った以上に羨みに満ちていた事を苦笑し、それに合わせて後頭部の鈍く輝くロングテールと黒い衣が揺れた。そうやって感傷に浸り、それからコンソール・パネルを操作してイーサー変換ドライブとヘリックス術式ドライブを起動した。機械の巨神の全身に活力が漲り、漆黒の装甲は呼吸するように低く嘶いた。
だが彼がこのまま再び宛もなく流離おうかと考えていた矢先、未知の物質で作られゆったりとした広さの頭脳部内に、けたたましいアラーム音が成り響いた。全ては青年自ら設計したにも関わらず、彼自身もう長い事聴いていなかったその音を聴き、彼は複雑な心境を味わった。待望の気持ちと忌避の気持ちとが入り混じった己の思考を噛み締めつつ、彼は己の予想よりも早く現実を受け入れる事ができた。呼吸の必要性を喪失してから長い年月が過ぎたものの、長湯したかのような動悸めいた苦しさを悠久ぶりに感じながら気持ちを整理している。
「そうか、現れたんだね。あれが…」
青年は次の目的地を定めた――呼応する漆黒の光明神は宇宙を羽ばたく準備を開始する。
「行こうか、僕の『翅』」
その瞬間、そこから黒々とした巨体が消え失せ、後には無数の星や遥か遠方の銀河を背景にして黒いガスが残されたのみであった。その光景を数万マイル向こうで眺めていた衛星地表の未知なる神格は、漆黒の光明神の装甲越しに放たれていた悲しみの感情の事を思いながらも、敢えてそれを信徒達の前で口にする事は無かった。
青年には帰るべき場所も身寄りもなく、彼は孤独に宇宙を流離っていた。行き先々で出会う人々に尋ねられた時も、彼はある者達の手で全てを失った事を朧気に仄めかすのみで、しかもその下手人が伝説上の実在が限りなく疑われている実体であったから、それを信じぬ人々も多い。しかしながら、彼が復讐に取り憑かれているであろう事は、宇宙中の共通認識と見做してよい。とは言え宇宙は遠大にして法螺話じみた広さを備えているから、未だ彼が行った事のない領域も多いだろう。そして彼は復讐に執着しながらも目の前の悪を見過ごす事叶わず、今日もどこかで邪悪を打ちのめしているのだ。
同時期:PGG宙域、〈暁の安息所〉星系、惑星〈揺籃〉
今日はよく晴れ、蒼く澄み渡った空と薄く輝く無数の恒星がこの田舎のコロニーの壮麗さを際立たせていた。太陽の下で広がる蒼古たる深緑色の環境都市では今日も観光や仕事で人々が行き交い、休日により家族連れで寛いでいる人々も多かった。古めかしい意匠の彫刻が浅く彫られ、派手過ぎぬホログラムの表示や飾りがその上を流れる見事な住宅街や道路を巡って散策するのが人気で、特に名所として知られる長大な谷間通りなどは今日も観光客で賑わっている。無論ここの住民はそうした観光による喧騒などは慣れ切っているから、別段気にするでもないし、銀河中の観光客が挙って訪れる事を苦にしない谷間通りの住民の図太さは恐らく相当のものであろう。
水路は緑がかかった硝酸に近い性質の異次元由来である液体が流れ、これが有害に働く種族も少なくないため、水路沿いは手摺りが多い。もっとも、やはり転落事故が少なくなかったため今では水路の液体は希釈されている。この惑星を開拓した人々にとってこの液体は生活に欠かせぬものであり、彼らは飲料水感覚で飲んでいるから、外来者はそれにとやかく言う事もなかった。
テレポーターの管理会社は先程から奇妙な波動を検知しており、見慣れぬ反応を訝しんでいた。気象センターも大気成分に未知の反応が現れた事を認め、太陽の異常だろうかと推測していたが、過去のどの例とも一致しない事が気掛かりになっていた。
谷間通りでは地元民の一人――かの種族は個人名という概念を持たず、同族同士では六次元的波動を元に個人を識別していた――は降り注ぐ陽射しを見上げ、系外の友人と連絡を取るためギャラクシーネットに接続しようとした。だがPDAはエラー表示を吐くばかりで、遅々として接続が進まない。そして嫌になった彼が空を見上ると、蒼く輝く空が黒ずみ始めているのが見え、周囲の人々もその悍しさに気が付き始めたらしかった。異様な芳香が漂い始めると、そこら中で嘔吐する音が聴こえ、いよいよもって地獄めいた様相が形成されつつあった。地元民の男はそれら厭わしさに身を震わせる以外に何もできない。
空模様はそうした下界の様子を嘲笑うかのように刻一刻と悪化していた。