空っぽに生きるのだ
ある時気付いたら彼女の描きかけだったキャンバスが消えていた。どこにやったのか聞くことはなく、勝手に失敗して処分したものとばかり思っていたのだ。
次に気付いた時にはキャンバスを立て掛けるイーゼルがなくなっていた。私は、大分長い間使っていたから、壊れてしまって買い換えるのだろうと思っていたのだ。
次になくなっていたのは画材。愛用していた物から、挑戦してみようと新しく買っていた物まで全てなくなっていた。きっと片付けたんだろう、と私は考えることにしたのだ。
その次は結果を形として表していた賞状やトロフィーの数々が消えていた。流石に部屋には置いておけなくなったのだろうか、と思いながら空いたスペースを見つめる。
その後は飾られていた絵が消えていた。何枚もの完成した作品が消えて、壁には僅かな日焼けの跡。きっと仕舞っただけなんだ、と考えて目を逸らしたのだ。
だが、もう逸らしきれないだろう。最初から気付いていた。あの子はどんなに失敗しても、描きかけの絵を放置したり処分したりしない。
殺風景になってしまった部屋に彼女はいる。私もいる。彼女はベッドの上に座り込み、天井を眺めていた。完全に気力を失っている。
「……そんな風になるなら、何で辞めるんだか」
独り言のつもりで、彼女が聞いていないと思い吐いた言葉は、しっかりと彼女の耳まで届いていたようだ。ぴくり、と反応した彼女の体は小さく揺れる。
死んだような光の失せた彼女の瞳が私に向けられた。長めの前髪がその瞳を半分隠したせいで、何とも言えないホラー感がある。
「辞めなきゃいけないことも、あるんだよ。何でもかんでも、続けられるわけじゃない」
チャラ、と金属音が響く。音の出処に目を向ければ、彼女の白く細い利き手である右手首には、細身のブレスレットが付いていた。
彼女の手首を見つめて私は顔を歪める。似合わない。描くことを主体として生きていた彼女は、その描くために必要な手に装飾品を付けることを、ひどく拒んでいた。毛嫌いしていたのだ。
その手に装飾品を付けたということは、完全に描くということを捨てたのだ。描きかけのキャンバスと共に、長年使っていたイーゼルと共に、愛用していた画材と共に、それまでの結果と共に、歩いて来た道のりと共に。
「好きなことだけで、生きてけないんだよ」
彼女の言葉は虚しく響く。そんなことは、知っていると叫びたくなった。知ってるよ、そんなの、誰だって知っているんだ。
だから諦める人もいる。立ち向かう人もいる。バランスを取って選ぶ人もいる。そうして彼女は諦めた。好きなことをスッパリとスッキリと捨ててしまったのだ。
そうして空っぽになった。
殺風景になってしまった広く感じる部屋で、彼女は光を失った目で明日を見つめる。諦めて捨てて、空っぽになった心を抱えて明日も生きる。
人はそうして出来ているんだ、と彼女は語った。私もそれを理解しているつもりで、私だってそうして生きていたんだ。
あぁ、でも、こんなにも虚しいのは何故だろう。