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第六話

       六


 船で海津に行こうと決めた。

 陸を行くより、圧倒して、速く着く。

 船頭に一両渡して、そのまま海津湊で待たせるつもりだった。

 つもりだったのだが、船酔いしてしまった。めまいがして吐き気がする。そこまでは計算していなかった。

 舟が海津に着いても、身動きが出来ない。

 しばらく舟の上で寝転がっていた。

 二時間ほどでやっと動けるようになった。昼過ぎである。

 午前中に着く筈だったのである。

 それが大幅に狂ってしまった。

「これ以上、待っていられないと思ったら、帰って良いぞ」

 そう言って、忠正は陸に上った。二時である。

 すぐ代官所に向かった。

 大野助左右門というのが代官の名である。

 船酔いは、もうすっきりよくなった。足元も軽快である。

 二度も吐いたので、腹が減っているのではないかな、と思うが、別に、気にならなかった。 

 懐に朱印状が入っている。布袋の表面に、銀糸で三葉葵の紋が刺繍(ししゅう)してあった。    

 この刺繍は、志野の手によるものだった。

 志野は刺繍をよくやる。子供のころから好きで、毎日のようにやっていたらしい。

「代官はご在宅かな」

 忠正が門番に訊いた。

「ええ、おられますが、どなたですかな」

「公儀仕置役、中村忠正である。大野殿の仕置きに参った。御老中の命でござる」

 そう言い放って、代官所の中に入った。

「大野殿、大野殿、出てまいられよ、公儀の命である!」

 そう叫んだ。

 一人の男が大刀を片手にぶら下げて、出てきた。代官らしき衣服を身に着けてある。

「大野殿か?」

「うむ、そうだ」

「公儀仕置役、中村忠正である、庭に出よ」

 そう言って、忠正が先に庭に出た。

 大野が足袋のまま庭に下りた。

「公儀仕置役とは、聞いた事のない役職だの」

「新しく出来た役職だ、大野殿のような人物を仕置きするのが役目である」

「ふふふふふ」と大野が笑った。

 忠正が刀を抜いた。大野も抜き合わせた。

 どどっと、代官所の役人ばらが出てきた。

「公儀仕置役である、手を出すな、手を出せば、代官と同罪とみるぞ」

 大野が忠正の頭を狙って、打って来た。

 忠正の剣がその打ち込みを受けた。そのまま大野の間合いを破って、両腕を取って投げた。

「うーん」と大野が呻いた。

 忠正は大野の首を裂いた。

 血飛沫があがった。手足が、ぴくりぴくり、痙攣している。

 懐紙を出して刀の血の痕跡を拭いた。

 剣先だけである。

 他は使っていない。

 代官所の与力がきて、

「あとは、どういたしましょうか」と訊いてきた。

「家族があれば渡してやれば良い、そうでなければ、近隣の寺に頼んで無縁墓に葬ってつかわせ。中村忠正である。なにかあったら、公儀仕置役の命であると申せ、どうせ、すぐ、次の代官がやってこよう」

 代官所を出ると、急いで湊に向かった。

 間に合った。

 舟はまだいた。

 三日も五日もない。一日で終わってしまった。

 午後三時頃である。帰りは船酔いもせず楽だった。身体が慣れたらしい。

 品川に着いたときは、薄暗くなっていた。

 家に帰る前に、風呂屋に寄った。

 翌日、大田助左右門を始末したむね、書状にしたためて、阿部老中の屋敷に届けた。

 それから三ヶ月、何も呼び出しがないまま、日々が過ぎた。

「忠正さん、明日がお天気なら、お芝居にでも連れて行って貰えませんかしら」

 志野がそう言った。

「ああ、結構ですね。明日、駕籠を頼んで、浅草にでも行ってみましょうか、どこかに席の空いている小屋がありましょう」

「まあ、お芝居を観に連れて行って下さるんですか」

 るいが喜んだ。るいは芝居が好きである。暇さえあると、お芝居に行きたい、お芝居に行きたい、とうなっていた。

「上野で桜を見て、浅草で芝居を観る事にしよう。頼めば芝居茶屋で料理も酒も出るから、なにも仕度しないでよい」

 るいと志野にそう言った。

 志野が駕籠屋に行って、明日の朝八時に二台の乗物を、門前に付けてくれるよう、頼んできた。忠正は歩きである。

 八時に駕籠に乗り込んだ。ほぼ半刻で着いた。上野山下である。

 先に寛永寺に参詣した。

 上野は、もう花見客でいっぱいである。

 忠正たちは、花見が目的ではない。

 水茶屋で甘酒を呑んで一服した。

 水茶屋の前に大きな桜がある。それを、しばし眺めた。はらはらと花びらが落ちてくる。

 花見はそれで十分だった。

 浅草に向かった。

 上野と浅草では、すぐそこの距離である。

 浅草に入って、始めの芝居小屋は、尾上菊太郎、市川高麗蔵と幟が出ていた。

 一通り様子を見て、るいが「こちらが良いと思います、通しではありませんから」と小屋を指差した。

 通しでないとは、演目がひとつではない、ということである。

 芝居は通しでやるのが当たり前だったが、こういうときもある。

 中村仲蔵、岩井半四郎と幟が上っていた。

 芝居茶屋に入って、桟敷席を取って貰った。

 演目は、助六由縁江戸桜と勧進帳である。

 八分ほどの入りだった。小屋元としては、まあまあ、だろう。

 忠正は、茶屋で酒と肴を頼んである。

 酒が先にきた。

 忠正が呑む。

 追って、鮪の刺身が届いた。

 皆で刺身を食べて、志野とるいは少しだけ酒を呑んだ。

 酒を呑んだら、るいの顔色が悪くなった。

 二度、三度とはばかりに行く。

「るいさん、どこか身体の具合が悪いのではありませんか」志野が訊ねた。

「ええ、ここのところ、あれがないのです」

「あれが…?、ああ、あれねえ。明日、お医者を呼びましょう」

「はい、お願いします」

 るいが頭を下げた。

 芝居は観て帰ると言うので、茶屋へ行って横にならせた。

 丁度幕間である。

 忠正と志野が昼食を食べた。

 一時間ほどして、

「もう、なんでもありません」というので、小屋の桟敷席に戻った。 ちょうど次の幕が開くところだった。


 家の若党が、近所の医者を連れてきた。

 明くる日の朝である。

 るいは起きて待っていた。普段はなんともない。ひょっとした時に、気分が悪くなるのである。

 脈を診たり、舌を診たりして、

「月のものはありますかな」

 医者が訊いた。

「いいえ…、三月ほどありません」

「うむ、そうですか…、それでは御懐妊ですな」

「え、懐妊ですか」

「はい、そうです、七月後にお子が生まれますぞ」

 るいが「まあ」と嘆息した。                   

 赤飯が炊かれた。

 忠正はその赤飯を持って、小川家に挨拶に出向いた。春意は出仕中である。義母のいとに、るいの懐妊を知らせた。

「まあ、子が出来るのですか、おめでとうございます……それで、るいは元気でおりますか」

 いとが笑って訊ねてきた。

「はい、元気です、ちょっとつわりがありますが、心配はないそうです」

 それだけを告げて、小川家を出た。


 阿部老中より呼び出された。

 明日、昼四つ半(十一時)に、屋敷に来いという。

 四月末である。

「お呼びにより、参上つかまつりました」

 阿部邸では、まだ八重桜が咲いていた。

「うむ、どうだ?、元気か」

 老中が訊いた。

「はい、いたって健康でございます」

 忠正が応えた。

「うむ……越後に行って貰いたい」

「越後ですか…」

「うむ、藩主の息子が狂っておっての。後継ぎではない、三男じゃ。城下の者を、もう三人も殺しておっての、藩主も困っておる。些細なことで剣を振るう。今は山に入って隠れておるらしいがの、誰もが敬遠をしておるので事が治まらん。これを片付けてこい」

「分かりました、行って参ります」

「また忍びの者が手伝うがの、早く行って片付けて参れ、また犠牲者が増えるでのう」

 早速、越後に旅立った。

 秋山と重田が一緒である。

 十日ほどで越後に着いた。

 城下の旅籠に、三人で泊まった。明くる日は山に入るつもりである。

 雪があるうちは、山小屋にいたらしい。いまでは、どこにいるやらしれぬ。

 山に入ってみて捜索の困難さが分かった。しかし、困難だからといって放り出す訳にもいかない。

 山うさぎや川魚を獲って食べているようだ。

 山小屋のなかにうさぎの骨や、肴の骨が転がっていた。煮炊きの形跡もある。

 いよいよになると、里に下りてきて、畑の作物を盗って行くらしい。秋山が百姓から聞いてきた。

 とにかく動きがまったく掴めない。

 ただ日にちだけが過ぎた。夜は山を降りて旅籠で寝る。旅籠代も馬鹿にならない。三人分を忠正が払っていた。

 忠正は、やみくもに、山の中を歩くのでなく、自分はひとりで山小屋を見張ることにした。待ち伏せである。

 殺された三人は、武士一名と百姓二名で、相手が里に降りてきて斬られたという。狂人も逃げてばかりはいないようだ。

 向こうから襲ってくるやもしれぬ。そうなったらしめたものである。

 そのときには、確実にしとめなければならない。

 そんなことを考えていたら、重田が走ってきて、

「中村様みつけました」と、大声で呼ばわった。

「熊、熊でござります」

「なに、熊だと」

 重田は、ぜいぜい、息を弾ませて、

「相手は、渓流で熊に襲われたのです、はらわたを喰われていました」と言った。

「まことかそれは」

「まことでござります。剣に熊の毛がついておりました」

 忠正が手を叩いた。

「よし、秋山を呼べ、呼子を鳴らしてみよ、三人でもう一度確認してみよう」

 重田が、呼子を吹いた。

「しかし、熊とはの、考えもつかなんだわ、いつやられたのかの?」

「十日以上は経っているようです、烏や狼にも喰われていました」

「そうか、情けないことじゃのう、熊に喰われていたとはのう」

 三十分ほどで秋山が来た。

「お頭、私が見つけました」重田が言った。

「そうか、どこにおる?」

「それがなあ、熊に(おそ)われて喰われたというのじゃ」忠正が苦笑いした。

 秋山が、えっと、目を見開いた。

「もう一度、三人で確認して来ようと思う」

 まあ、まず昼飯にしよう、と言って、忠正は握り飯を出した。

 宿で用意してくれたものである。

「しかし、熊に喰われていたとは情けないですな」

 秋山が沈んだ顔をした。

「全くの」

 忠正が頷いた。

「重田、お前は良かったな、これで出産までには、江戸に戻れよう」

「なんだ、重田は子が生まれるのか」忠正が重田の肩を叩いた。

「はい、初めの子です」

「そうか、それでは、ひとりで先に帰って良いぞ、帰りの宿賃はやる」

 重田が秋山の顔を見た。

「うむ、そうせい、こっちは構わん」

 秋山が笑った。

 三人で、狂人の死骸を見に行った。

 それは確かに武士の遺骸であった。 

雪が溶けて、冬眠から醒めた熊に襲われたのだろう。

 忠正は合掌した。

 秋山と重田に死骸を支えさせて、首を落とした。武士らしく、切腹して介錯を受けたように見せかけるためである。

 狂人の刀に付着した熊の毛は、洗い落とした。自分の刀も洗った。 旅籠に戻ると、すぐ重田は出て行った。

 忠正と秋山は、翌朝出るつもりである。

 越後に、十五日いた。約一ヶ月間、家を留守にしたことになる。

 江戸に入ったその足で、阿部老中の屋敷に向かった。もう夕方である。

「今回は目算が狂いました。山にいるのなら、山狩りをすれば良いと考えたのです。すぐにみつかると考えていました。しかし、一向に出てきません。どうもおかしいと思っていましたら、忍びの者が死骸をみつけました。熊に襲われて腹を喰われたのです。狼にも烏にも喰われていました。それで、私が首を切り落として、切腹の格好に取り繕ってきたのです、以上ですが……」

 忠正が頭をさげた。

「そうか、熊にのう。しかし、よくしてくれた。藩主が喜ぼう、御苦労だったのう」

 老中が忠正をねぎらった。

 外に出て、四谷に向かった。

 ちょうど、晩飯時だった。

「あら、あなた。お帰りなさいませ」るいが出迎えた。

「うむ、ただいま帰った」るいの手に大小の刀を渡した。

 わらじをぬいだ。

 下女がたらいに湯を張って持ってきた。足を洗う。

「もう水で良いぞ」と、下女に声をかけた。

 老中の屋敷で、一度、足を洗わせて貰っている。もう、そんなに汚れては、いなかった。

 衣服を着替えて膳前に坐った。

 始めに、ぐっと酒を呑んだ。

「うむ、うまい、酒がうまいの」

「そうですか、それは結構でした、たんとお呑みくださいませ、そうすれば、よく眠れましょう、旅の疲れが取れます」

「うむ、そうだの」

 忠正がるいの手を取って引き寄せた。

 抱いて口付けをした。

 すぐにるいを解放した。これ以上続けると、我慢が出来なくなる。「お前は、まだつわりで苦しんでおるのか」

「いいえ、もう落ち着きました。もう平気です」

「そうか、それは結構じゃの」

「はい、結構でございます」

 るいが酒の酌をした

 志野が出て来て「お帰りなさいませ」と手を床についた。

「はい、母上。帰りました、お元気ですか」

「はい、それはもう、元気ですとも。お留守の間に八王子に行って、父上のお骨を引き取ってきて、ついそこの満善寺に墓を移しました」

「ほう、そうですか」

「ええ、八王子では、お墓参りするのも、大変ですからね、ご先祖のご供養は八王子のお寺に置いてくるようにしました。江戸に移したのは、父上だけです。八王子では、日頃、お墓参りしたくても、無理ですからね、こちらのお墓には、私もあなたもるいさんも入ります」

「しかし、公儀仕置役は、わたし一代の役目ですぞ、いずれかは八王子に戻らねばなりません」

「良いではありませんか、とりあえず、いま、父上のお墓は、そばに置きたいのです。八王子に戻る日がきたら、それは、あなたの気に入るようにしたら良いでしょう」  

「うーむ、分かりました、そうしましょう、とにかく、父上の墓が近くにあるのは、結構なことです。それは賛成します、それでは私も墓参りしてきましょう、明日行ってきます」

 忠正がそう言って酒をあおった。

 次の日、満善寺から帰ってくると、客が待っていた。

 加山大助である。

「中村様、久方ぶりです。加山大助でござります」

 加山が握りこぶしを床について頭をさげた。

「何だ、貴兄、そんな風に頭を下げないで、結構でござるよ。貴兄と私との仲ではござらんか、私は偉ぶるつもりは毛頭ありませんぞ」

「いいえ、一応、けじめをつけませんとな」

 加山が破顔した。

「中村様、おつぎに子が生まれましてな、それで、江戸に出てきました」

「おう、左様ですか、おめでとうござる。姉様には元気でございますかな」忠正が、ふふっと笑った。

「はい、至極元気でござります、夫婦仲も円満のようです」

「そうですか、結構ですな、道場はどうですかな」

「道場もまずまずです、大分、子供の弟子が増えました」

 加山が手を振った。

「私のことなど良いのです。二百石加増になって、公儀仕置役という役目につかれたそうで、おめでとうござります」

「……貴兄、そのことを誰から聞きましたか?」

「ご母堂さまです。ははは、大丈夫です、誰にも漏らしませんので、心やすうなさってください」

 忠正は、ちっと、舌打ちをした。

「貴兄、公儀仕置役のことは、金輪際(こんりんざい)忘れてください、頼みますぞ」

「はい、分かっております、御安心あれ」

 忠正は女中のさわに、奥に行って、月に何俵米が必要か、訊いて参れ、と申し付けた。

 さわが行って戻って、「二ヶ月に六俵でございます」と答えた。

「二ヶ月に六俵か、それでは、貴兄、姉さまに伝えてください。二ヶ月に六俵届けるようにと」

 加山が「承りました」と応えた。

 加山は午後四時頃、帰って言った。おつぎの家に泊まっているという。明日は八王子に帰るつもりだと言った。

 二、三日後、米が届いた。米屋の主人がついて来た。

「お殿様、真米屋でございます、この度はご注文いただきまして、真にありがとうございます、今後ともよろしくお願い申しあげます」

「うむ、おつぎさんの容体はいかがかの」

「は、家内も一緒に参りたいと申しましたが、いくらなんでも、子を産んだばかりですので、止めて店に置いてきました」

「うむ、それは良い、それでよかった」

忠正が笑った。

「これから隔月毎に頼むぞ」

「はい、かしこまりました」

 真米屋が帰って行った。

 忠正は、その夜、母、志野を叱った。みだりに公儀仕置役の名を出してはならない、である。身内の者以外には、明かせない役職であるのだ。るいにも、くれぐれもと、注意しておいた。

 なににしても、家族の安全の為である。仕置役をしておれば、いつ誰に恨みを買うかわからない。役職は秘密にしておいた方が良い。忠正自身は、役職を問われたときには、阿部老中の下役であると、応えるようにしていた。志野にもるいにも、同じように応えるよう命じた。

 庭の隅に杭をおいて、杭打ちをすることにした。朝晩二百回ずつやるようにしている。

 頼りは剣の腕のみである。生まれてくる子が男だったら、やはり剣術を習わせようと、考えた。出来れば、剣術を、中村家のお家芸にしたい。仕置役を継いでほしい、と思った。

そうなれば、万々歳だ。

 夏が過ぎて秋が来た。十月に男の子が生まれた。竜也と名付けた。

 喜んでいる間もなく、阿部老中より、呼び出しの書状が届いた。

 夕方、お屋敷に伺うと、すぐに阿部老中が出て来て、「おう、どうだ健勝か」と声をかけてきた。

「いたって健勝にございまする」

 忠正が応えた。

「そうか…、しばらく間が空いたが、上州高森に行って貰いたい」

「高森ですか」

 忠正が頬に手を当てた。

「なにか不満かの」

「いいえ、とんでもありません、お役目ですから、どこにでも参ります」

 忠正が笑って、手を振った。

「うむ、そうか。高森に博打打ちがはびこっておっての、日夜喧嘩をして騒動を起こす。藩主も兵を出して討とうかと考えておるがの、あまり大騒ぎしないほうがよい、と諌めておるところじゃ……。又蔵一家と銀富という組があっての、このふたつの組の首謀者と上位の者十人ずつばかりを斬って参れ。この度は忍びの者を十名出す。これは高森からの願い金じゃ、二百両ある。これだけあれば路用には困るまい」

 そう言って老中が茶を呑んだ。

 確かに博打打ち相手に、兵を出す訳にもいくまい。兵もやる気が起きまい。

 しかし、城下の民は困っておろう。

 秋山の報せを待って、二、三日後に出ようと考えた。

「るい、お勤めで、上州に参るでのう。留守を頼むぞ」

「まあ、そうですか、かしこまりました、いってらしゃいませ」 

「まだ、二、三日ある。供の者が出揃ってからじゃ」

 忠正がごほんごほんと咳をした。

 過ぐる九月に、忠正は、浪人者ひとりを三十石で家来にしてある。

 人品と剣の腕は、忠正自身が確かめてある。留守居役である。植田友近という名であった。三十二才である。

 彼にも上州へ向かうことを告げた。

 秋山から、明日の朝に旅立つと、連絡がきた。

 忠正は、ばたばたと、仕度に取り掛かった。

 翌朝早く、秋山が迎えに来た。

 しばらく歩いて、ふと、気配に気付いて後ろを振り返ると、十人の者が付き従っている。重田の顔も見える。

 皆、音を立てずに歩いていた。

 板橋から川越道に入った。

 高森までは、三日で着いた。

 夜、食事をしていると、秋山が来て、

「すぐに近辺の呑み屋などに鼻効きに出します、少し軍資金をいただけますか」秋山が笑いながら言った。

「うむ、よかろう」と、秋山に二分金八枚を渡した。

「へい、それでは、ちょっと出て参ります」

 秋山がそう言って部屋を出た。

 今回は、忍びたちの下調べが重要である。

 いつ、何時、博打打ちの親分たちが動き出すのか、子分たちの主立ったものが一緒にいるかどうか、確実な報せを掴まえなければならない、一回で皆、終わらせたかった。逃がしたりしたら沽券にかかわる。

 忠正は、旅籠の女中に「博打ちたちは、いつ喧嘩をするのじゃ、毎日やるのではないのか」と訊いた。

「はい、毎日ではありません。お互いに賭博場を開帳するときに、殴り込みをかけるんです。他に下っ端同士の殴り合いは、毎日のようにありますが…」

 女中がそう応えた。

「それでは、互いに賭博場が開けんではないか、親分たちはどうやって子分たちを喰わせておるのかの」

 女中が首を捻った。

「さあ、どうでしょう、わかりません」

 翌朝、秋山が来て「来月十日に出入りがあるそうです」と言った。

「出入りとは喧嘩のことかの」忠正が訊いた。

「へい、(だん)(びら)を持っての本格なもののようです。まだ、確実ではありませんので、もそっと探りをいれてみます」

 秋山がそう言って部屋から出て行こうとした。

「秋山、ちょっと待て」と忠正が呼び止めた。

「ここに二十両ある。二両ずつ皆に配れ。軍資金ぞ。二両あれば、しばらくもつであろう」

「昨夜、二分ずついただきましたが……」

「それはそれじゃ、二分では直になくなろうと思っての」

 秋山が頭を下げた。

 そうして二十両持って出て行った。

忍びの者が十人も高森に入っている。

 両親分の家はたちまち判明した。両親分ともに、家に子分をおいて養っているという。

 それが判明して、一応、的は絞れた。

 しかし、それが分かっても、手は、まだ出さない。

 又蔵一家と銀富一家のどちらの家に乗り込もうとしても、うっかりすると片一方には逃げられてしまうことも考えられる。

 それで忠正は、六月十日の出入りの日を待とうと考えたのである。 それなら又蔵一家と銀富一家が全員揃うだろう。そう思った。

「その方が面白い」

 忠正は、そう呟いて微笑んだ。

 六月十日まで、まだ五日ある。

 秋山の話だと、早朝に、争いが始まるということだ。

 決闘が行われるのは、城下の外れの馬場であるという。

 忠正は、事前に、その馬場を見に行った。

 平地に砂がまいてある。

 広さは二千坪ほどあった。

 決闘場としては、申し分ない。

 真向かいに、水車小屋がある。丁度良い、先に来てここで待つのが良い、と頷いた。

 忠正たち一向は、ここで役目を終えたら、そのまま高森藩を出ることと、示し合わせてある。

 宿に戻って朝飯を食べた。

 忠正は忍びの者たちを、ふたつに分けた。

 又蔵に向かう班と銀富に向かう班である。忠正は組長と主だった者だけを狙って行けば良い。とにかく組長だけは先に殺ることだ。 

 秋山から又蔵と銀富の顔は、しっかりと聞いている。

 忍びの者たちは、当日は、肩に赤布を縫い付けることにした。忠正もである。

 又蔵と銀富が馬場に入って、喧嘩が始まったら、水車小屋から飛び出すことにした。

 ひとりが二名殺ればよい。簡単なことだ。それで他の奴らは逃げ出すだろう。

 忠正は毎日、湯に入った。

 三日に一度は髪床に行った。月代も髭も、いつもさっぱりしている。いつ事が起きてもいい様にしていた。

 当日。

 朝五つに宿を出た。

 もう宿には戻らない。

 勘定は昨夜済ましてあった。

「へいへい、ありがとうございました、またお越し下さいませ」

 亭主が手をついた。

 四半刻くらい歩いて、水車小屋に入り込んだ。

 ほどなくして、又蔵一家がきた。二十五人ほどの数である。その後、銀富一家がやってきた。やはり二十四、五人程度の数であった。

 

 親分が床几に坐った。

 喧嘩が始まった。

 忠正が刀を抜いて、真っ先に飛び出した。秋山たちが後に続く。

 忠正は、それぞれに戦っている男たちの間を、するすると縫って、銀富の前に立つと、なんの造作もなく刀で首を突いた。

 そのままひるがえって、今度は又蔵の前に走り進むと、又蔵が慌てて、床几の上からひっくり返った。

 ひっくり返ったのを、上から胸を突き刺した。

 ほとんど無抵抗状態だった。たちまち親分ふたりを殺ってしまった。そして後ろを振り向くと、斬り合いの渦の中へと入っていった。 終わると、立っているのは、忍びの者だけだった。「十人全員残っていような」忠正が訊いた。

「はい、残っております」秋山が応えた。

 忠正は懐紙を出して刀を拭いた。

「よし。それでは、ここで解散としよう。一両ずつやる、帰りの路銀じゃ、手を出せ、そうじゃ、そうじゃ」

 全員出て行って、秋山とふたりきりになった。

 ふたりで江戸に上った。

「わしも、息子が生まれたばかりでのう、いつ帰れるのか、気が気でなかった。親馬鹿かのう」                    

 笠を被りながら、忠正が笑った。

「いいえ、そうではないでしょう、それが人の証です」

 秋山が断言した。

「人としての証しか?」

「そうです、獣は子が生まれても、雄は子に関わりません、自分の子かどうかも意識していません、父親が子を可愛がったり、面倒をみたりするのは、人間だけです」

「うむ、なるほどのう」

 忠正が大口を空けて笑った。

「獣よりは良いのだな、それは重畳じゃ」

 板橋で最後の一泊をした。

 秋山に忠正が、二十両出して、「これは高森藩から出た願い金の残りである、遠慮なく、持って参れ」宿で忠正が秋山に二十両渡した。

「……分かりました、いただきます」

 秋山が二十両を懐にしまった。

 七月の半ばである。

 雨が降っている。梅雨だ。

 秋山と忠正は、蓑を買って、宿を出た。新宿の大木戸を抜けて、江戸に入った。

 家に着いた時には、腰から下がびっしょり濡れていた。蓑と笠を被っていた上半身は、それほど濡れていない。門前で秋山と別れた。

 声をかけると、るいが現れた。

「まあまあ、殿様、湯が沸いています。お入りくださいませ」

「うむ、そうするか」

 忠正はそう言って湯殿に向かった。

 頭の元結を切って、湯に入った。湯には浸かるだけだった。あかすりはしない、毎日宿で、湯に入っていた。雨に打たれて身体が冷えているから、暖めようと、湯に入ったのである。湯のあと、るいに髪を結ってもらった。

「飯は、わしの分もあるかの」

「はい、もちろんございます」

「そうか、いつも帰ってくるのが急だからのう、飯が用意されているかどうか、心配してしまう」

 るいが笑って「あなたの召し上がる食事など、いつでも食べられるようにしてあります」と、応えた。

「そうか、いつでもか?」

「はい、いつでもです」

「それはすまんの。明日は御老中の屋敷に挨拶に行ってくる、これからしばらくは、家に居られると良いがな」

「そうですわね、そう願いたいです」

「竜也を連れて来ぬか、いや、連れて来てくれ」

 忠正が、そう言って、嬉しそうに笑った。

 るいが奥に行って、竜也を抱いてきた。

 志野が一緒である。

「これは母上、帰りました、しばらくでした」

 忠正が志野に笑いかけた。

「はい、お帰りなさいませ」

 志野が坐って、平伏した。

「何だ母上、他人行儀だなあ。私が誰だか分かっていますか、息子ですぞ」

 志野が手を振って、

「分かっていますとも、竜也のためにやっているのです。小さいうちから行儀作法は仕込みませんとね」

 留守居役の植田と女中のさわが「お帰りなさいませ」と、挨拶に出てきた。

「うむ、戻ったぞ、留守中のことは御苦労だった。よし、下がって良い」

 忠正が手を振った。

 植田は、女房と女の子供がふたりいた。これまでは夫婦の手内職だけで生きてきたという。親の代からの浪人生活だそうだ。

 親が頑張って、剣も学問も習わせてくれたと、植田が語った。

 女の子は、四才と二才である。

「念願かなって、武家奉公に就くことが出来申して、幸いでございます」

 植田はそう言って涙をこぼした。

 高森に出張る前のことである。

 真米屋からの紹介である。というよりも加山大助の紹介だと言った方が良い。

 植田は屋敷の侍長屋に入った。支度金を五両与えてあった。

 そんなことを思い出しながら、忠正は酒を呑んだ。

 植田以外の者は、皆、八王子から就いてきた者たちである。子飼いの奉公人たちだった。

 翌朝、阿部老中邸に顔を出した。

「御苦労であったの……どうだった?」

 老中が団扇を使いながら、そう訊いた。

「は、戦が如き模様になりましたので、私たちが横槍を入れました。

五十人以上の者を相手にして、こちらは、私をいれて十一人で切り込んだのです。大変でした。何とか全員無事に帰れたのは、幸運だったと思います」

 老中が書状を忠正の手に渡した。

 今、ここで見てみよ、と老中が言った。

[公儀仕置役、中村忠正殿、禄高を改めて千石とす]と書いてあった。ご朱印があった。

「幕閣もな、見るべきところは見ている、ということじゃ」阿部老中がそう言った。

「は…、ありがとうございます」

 忠正が平伏した。

 阿部老中は、これから登城である。忠正は早々と退出した。

 次にどこへという話は出なかった。

 しばらく、ゆっくり出来そうである。

 家へ帰って、志野とるいと、植田を呼んだ。書状を見て、るいが、きゃっと悲鳴をあげた。

「何だ、るい、四百二十石の加増であるぞ、喜ばぬのか」

「いいえ、そうではありません、びっくりしたのです、千石だなんて……」

 るいが上気した顔をほころばせた。

 志野は黙っていた、顔は微笑んでいる。

 植田が「おめでとうございまする」と頭を下げた。

「うむ、お前の禄高も七十石から百石に引き上げる…、良いな、励めよ」

「は、喜んでつかまつります」

「侍が三名、足軽が二名、中間が二名、陸尺が四名、女中がもうひとり、下男と下女もふたりずつ増やした方が良いですね。あと料理人が必要です、家の格というものがありますから」

 志野がそう口を挟んだ。

 その晩は赤飯を炊いた。男には酒一升、女には羽二重餅が出た。

 植田には、酒と羽二重餅、両方が渡された。女房子供がいるせいである。

 赤飯は夕食に食べた。

 食事は、植田以外の奉公人は一緒だ。植田は自分の長屋で食べる。「これは良いところに奉公に上ったのう。いまどき、百石で仕官するなど聞いたことがないぞ」

「本当ですねえ、お家大事にお勤めしなければなりませんよ、せっかく運が回ってきたのですから、大事にしませんと」

「よしよし、分かっておる、手綱を締めよじゃ」

 ととさま、かかさま、このおもちたべてもいいの、と上の娘が訊いた。

「ああ、よいぞ、食べよ、かかさまにもひとつあげよ」

 植田は下の娘を抱いた。餅をちぎってたべさせた。

 しかし、こうなると、後継が必要だ、また頑張らねばのう」

 植田が苦笑いして、女房をみた。

「そうですね」

 女房はそう言ったきり、黙ってしまった。

「もう暮らしの心配はいらん、もうひとりふたり子を作ってもやっていけよう」

 植田が酒をあおった。

 それから、何日かして、梅雨が明けた。

 植田が口入屋によって、足軽、中間と陸尺、下男下女探しの依頼をしてきた。

 侍は、忠正が数軒の剣術道場に足を運んで、浪人者を紹介してくれるよう依頼した。

 もちろん条件つきである。まず年令が二十から四十までであること、学問は大学、剣術は切り紙以上であること、などである。あとは忠正が直接会って決める、ということにした。

「るい、お前は福女じゃの、お前が来てからというもの、何もかも変わってしまった」

 るいの乳首をまさぐりながら、忠正が囁いた。

「ああ…、お乳は駄目です、乳が出てしまいます」

 るいが言った。

「かまわん、出ればわしが呑む」

 忠正が乳首を口に含んだ。

 るい。十八才で嫁に来て、今は二十才である。

 嫁に来てから、一度も実家に帰っていない、むこうの両親とは、一度料亭で食事をしただけだ。

 一度ゆっくり帰してやろうかと思った。

 女中を付けて乗物で帰して、夕に乗物で戻ってくればよい。

 るいにそのことを言ったら、

「はい、そのうちに行かせていただきます」 

 と、肩すかしを喰った。

「なぜだ、行きたくないのか?」

「行きたくない訳ではございません、でも今は、こちらにいた方が安心なのです。実家といっても、もう他家ですから、兄嫁に気を使いたくありません……ですから、そのうちです」

「ふーん、そうか、それでは好きなようにいたせ」

 そういって、忠正が話を終わらせた。

 四月に種をまいた朝顔が、見事に花をつけた。

 志野の丹精のたま物である。

 志野は他に、花葵、芙蓉、菊を植えてある。

 花葵もとっくに花を咲かせていた。八月になれば芙蓉も咲く。

 忠正は、直心影流戸田道場に通うことにした。以前、亡父正親が鈴木作久に切り殺されたとき以来の訪問である。

「この度は、幕府の特別な配慮で、江戸住まいとなりましてな、加山道場には通えぬようになりました。そこで、戸田先生の道場の方へ寄せていただきたく参りました、お許しをいただきたく思いますが」

「うむ、よろしい、よろしい、大歓迎でござる」

 戸田が扇子をつかいながら、そう応えた。

「自由に来て、門弟たちに稽古をつけてやって欲しい」

「わかりました、よろしくお願い申します」

 それから、二日に一度、戸田道場に出かけることになった。侍の者十人と決めて、試合をしてくる。

 そうして、ひとりひとり、三十人ほどの腕を見極めた。あとは主持ちかどうかである。明らかに遣うと思わせる者が五人ほどいた。

 何気なく訊いたら、二名は浪人者だといった。

 別に、植田が、浪人者をひとり見つけてきた。口入屋で出会ったのだという。

 用心棒の口を探していたらしい。

 明日の午前中に屋敷を訪ねるよう、伝えて来たと、植田が言った。 武家以外の奉公人は、すぐに見つかった。

 給金を二分二朱にしたからである。相場は二分である。料理人と陸尺も見つかった。これは、思いもよらず早く見つかった。もっと苦労するだろうと思っていたのである。

 侍以外の奉公人の扱いは植田に任せてある。だから、知らない顔の者が、屋敷の内にあるのをみても、不審には思わない。

 植田を訪ねて貧乏くさそうな男がやって来た。

 昨日、言っていた男らしい。

 植田が書院に通した。そうしろと忠正が命じたのである。そこから庭に降りたところに、草履二足、竹刀二本が置かれてある。

 障子を開けて、忠正が書院に入った。

 相手は平伏している。

「よし、姓名と年令を申せ」忠正が言った。

「は、内田蔵人でござります、三十才です」

「うむ、わしは中村忠正である、昨日、植田より申したと思うが、大学は習ったか」

「は、父より習いました」

「そうか、父御からか……いずこの浪人じゃ」

「仙台藩でござります、父の代からの浪人でございますれば、退身の理由は良く分かりません」

 うむ、と忠正が頷いた。

 身なりは貧乏くさいが、心までは汚れていないようである。礼儀が正しい。

「よし、剣の腕を見せてもらおう」

 忠正が、そう言って、庭に下りた。

 内田が続いて下りてきた。

 忠正が竹刀を取って、一本を内田に渡した。

「わしが、直接相対したのでは、遠慮が出よう、この竹刀を打て」

 忠正がそう言って、横を向いて竹刀を差し出した。

 内田がひと息、ふた息、呼吸を整えて「くああ」と竹刀を打った。忠正の竹刀が、二寸ほど動いた。

「よし、分かった…、一刀流かの」

「左様でございます、あの、何とかもう一度お試しを」

「よいよい、精一杯やったであろう、それは見て取ったぞ……合格じゃ、上にあがれ」

 忠正がそう言って、書院の間に上った。

 内田が続いて上ってきた。

「よいか、我が家の家臣とする。禄は三十石じゃ。よいな、侍長屋がある、そこに入れ。支度金を五両出す……これがその五両だ。それで少し身綺麗(みぎれい)にしてこい、よいな」

 忠正がそう言うと、内田がはっとひれ伏した。

 内田の他に、戸田道場からひとり、他の道場からひとり、計三名を家臣にした。皆一人身である。しかし禄を食むようになれば、いずれ、嫁の来てはあろうと思われた。内田のほかは、皆、二十七、八だった。嫁はいないが年寄りがついている。

 何とか落ち着いたのは、八月の初めだった。

 植田を用人に引き上げた。

 用人兼留守居役である。

 二日に一辺、戸田道場に通う。侍の若林と中間の次助が供に付くようになった。

 若林たちは控えの間で待たせて貰う。

 真夏で、戸が、開け放たれてあるので、道場の様子が良く見えた。

 若林と次助は「おい、これは…殿様は恐ろしく強いの、誰にも負けんではないか」と驚いた。若林はもともと戸田道場の門弟だが、一度しか忠正と稽古したことがない、多分手を緩めてくれていたのだろう、こんなに強いという印象は受けていなかった。

 公儀仕置役という役目についていることは聞いたが、さもあらんと思った。

 外に出ると、必ず菓子を買って帰る。るいと志野のためだけではない。家の者全員の分を買う。今日も菓子を買った。それを次助に持たせた。次助はそれを挟み箱に入れた。

 幕臣一千石ともなると、普通、乗物に乗って移動するものだが、忠正はそんな気がない。そんなことをしていたら足腰が弱ってしまう。忠正はいつも歩きだった。それでなんの不都合もない。

 しかし、一応乗物はあるし、陸尺四名は雇っていた。志野とるいのためである。身分上駕籠には乗せられない。

 幕臣一千石といってもお目見え以下だから気楽である。とにかく幕閣からの指図通りに動いて勤めを果たせばそれで良かった。

 志野とるいの誘いで茶会に出ることになった。

 忠正が正客である。次客はるいの母で、末客はるい。半東は女中のさわだった。

 良い人を呼んでくれたと、忠正は喜んだ。るいの母のことである。 これで孫を見せられる。

「母上、茶碗を見せてください。へえ、こんな好いもの、いつ買ったんですか?」

「八王子にいたときから、家にあった物ですよ、この茶杓と茶筅は、加山さんから買った物です」

「ああ、そうですか、その茶筅と茶杓も見せてください」忠正が茶碗を次客に渡して、茶杓と茶筅を手に取った。

 竹の節を上手く使った、味のあるものである。

 るいの母が茶碗を見て、

「まあ、本当に結構なものですこと、織部焼ですね」

 るいの母がそう言った。

「はい、織部焼です」

「義母上、見ただけで織部と分かりますか」

 忠正が訊いた。

「分かりますとも。はい、るいさんどうぞ」と茶碗をるいに送った。

 しばらくして母屋に戻って、竜也を抱いて貰った。

「まあ、るいに良く似ていること」と、るいの母が笑った。

「口元は、お殿様似ですね、もう少ししたら一才になるでしょう」

「ええ、十月生まれですから、あと二ヶ月ちょっと」とるいが笑った。

 竜也は始めての冬を風邪ひとつ引かずに乗り切って、今度は夏を迎えた。元気である。

「こいつは丈夫な子になるな」と、竜也の顔を忠正は撫でた。

 午後四時に、るいの母は帰って行った。

 乗物に内田を付けて送らせた。

 もうひとり、後藤弥一という家来がいる。

 若いが腕は立つ。

 無外流の道場の師範代をしていた。

 忠正は彼を、仕置役御用のために、家臣にした。御用があれば連れて行くつもりである。

 その後藤が、近く、嫁が来ることになっている、といった。

 元々、いいなずけだが、後藤の身が固まるのを、待っていたのだという。商家の娘である。

「身分などどうでも良いことだ」と、忠正が頷いた。

「喜ばしいことじゃの、いつ婚礼をするのじゃ」

「は、近いうちに、町の料理屋でやります」

「そうか、それでは、決まったら申せ、わしも出張るぞ」

 ぽん、と忠正が手を叩いた。

 植田がきた。お呼びでしょうか、と廊下で頭を下げた。

「後藤に嫁が来るということじゃ、婚礼には、わしも顔を出す。所帯持ち用の長屋を掃除させておけ」

 忠正がそういうと、植田は、

「かしこまりました、そういたしまする、と頭を下げて、後藤殿、おめでとうござる」と祝言を述べた。

「は、ありがとうございます」と後藤が受けた。

 よし、それでは良いな、下がれ。と忠正が後藤たちを下がらせた。 昼から湯に入る。湯といってもぬるま湯である。

 夏だから熱い湯にはとても入れない。汗が止まらなくなる。竜也を抱いて、るいも湯に入った。

 使用人が増えたので、米が足りなくなった。真米屋に言って、ふた月に八俵、米を持ってこさせることにした。

 子供を連れて、おつぎが挨拶にやってきた。

 忠正が居室に上らせた。

「まあまあ、源一郎様、ご立派になられて、おつぎは嬉しゅうございます」

 おつぎはそう言って涙を流した。

「姉様も幸せそうで、結構ですな」

「ええ、まあねえ、お陰さまで」

 ふたり向き合って、あはははと笑った。

 笑いながら、おつぎが、菓子折りを出した。

「日本橋の福屋のきなこ餅です」

「ああ、ありがとう。すみませんね、気を使わせて」

 忠正が手を合わせた。

「ところでいかがですか、継子のほうは」

 忠正が訊いた。

「はい、何とかうまくやっています、本当の母子のようだと、言う人もいますよ」

 おつぎが胸をそらせた。

 忠正がおつぎの肩を突付いた。また、あはは、と笑った。

 志野がやって来た。

「おや、おつぎさんではありませんか」

「はい、つぎでございます、ご隠居様もお元気そうでなによりでございます」

 そう言って手を床についた。

 志野の着物から香の匂いがした。

 汗をかくので、臭くならないよう、香を焚き染めてあるようだ。

「あなたもお元気そうで結構ですね、何よりです」

「はい、ありがとうございます」

 おつぎがまた頭を下げた。

「この子は、あなたの子ですか」

 志野が、おつぎの抱いている子を指差して訊いた。

「はい、二才になります」

「そうですか、中々良いお子ですね」と、志野が子の頭をなでた。

 おつぎは一時間ほどいて帰った。

 翌日は湿っぽい風が吹いて、夜から雨となった。大風雨が近づいているらしい。朝になって風が強くなった。雨戸を閉め切っているので、家の中が暗い。昼から蝋燭を灯した。

 三日ほどして晴天の日に後藤の婚礼が行われた。

 赤坂の河乃家という料亭で式と披露宴が模様された。

 赤坂の河乃家というと、近頃、評判の料亭である。河乃家の料理を喰っちゃうと、家の飯が喰えなくなると、評判になっていた。

 肩衣に半袴で、忠正は式に出席した。

 両家合わせて十人ほどの、簡素な披露宴である。

 後藤には兄がいる。私塾を持って、学問を教えていた。両親は、兄と住んでいる。兄はもう立派な学者となっていた。後藤の親は、浪人にも関わらず、兄に学問を、弟に剣術を習わせた。その思いが実ったのである、ふたりともかたが付いた。

 忠正のところに両親が来て「殿様、この度は、何から何まで、ありがとうございます」と、挨拶した。

「うむ、良き日じゃの、おめでとうござる」

 忠正がそういうと、後藤の父母が涙をこぼした。

 その日宴が終わると、後藤と新妻みちを連れて屋敷へ戻った。

 昨日の内に鍋釜から布団まで、長屋に運びこまれてある。

「今晩ばかりは、夕食は、屋敷の料理を貰ってきて食べて良いぞ」

と、忠正が言った。

「はい、そうであれば嬉しゅうございます」と、後藤が言った。

 みちは旗本四百石の家に行儀見習いに出たことがある、という。言葉の受け答えや身のこなしは作法通りだった。

「これは祝い金である」と、二両入った紙包みをみちに渡した。

「はい。ありがとうございます」

 後藤とみちは、忠正が屋敷に入ると、自分たちの長屋に入ってへっついに火を入れた。湯を沸かして茶を呑む。

「家の中は下女たちが掃除してくれてある」後藤がおみちにそういった。

 夜になって、植田、若林、内田と、挨拶に出向いた。

 みちは、ひとりひとり丁寧に挨拶した。     

 後藤とみちは、忠正が屋敷の奥に入ると、自分たちの長屋に入ってへっついに火を入れた。湯を沸かして茶を呑む。

「家の中は下女たちが掃除してくれてある」後藤がおみちにそういった。

明日は母屋の大掃除の日である。

 天気の良い日にやろうと、奥方るいが決めていたことだ。

「お殿様がいらしても、邪魔になるだけで、なんの役にも立ちませんから」と、るいが笑って外に追い出したのである。

 追い出された忠正は、湯屋へ行った。そして湯屋から髪床に向かった。

 家来たちは連れてこなかった。一人で出てきたのである。

ちょっくら、そこらあたりを散策して来ようと、言って出てきた。

 遠くには行けない。

 だから供はいらない、と考えて出て来たのである。

 昼過ぎには家に戻った。

「お殿様の方は終わりましたので、もうお部屋にお入りになってもかまいません」

 るいがそう言った。

「そうか、それはありがたいな」

 忠正がるいの顔を見た。

「なんですか?、私の顔に何か付いていますか?」

「いや、何でもないそなたの顔は、なぜこんなに可愛らしいのかと思っての、よく見ていた」

「まあ、そんな事を言って!」

 るいは忠正の背中を打って、小走りに廊下をさがっていった。紅い顔が笑っている。

 女中が、中食を持ってきた。

 蕎麦(そば)である。生卵が蕎麦の上にのっている。お握りが二つ添えられていた。

「うむ、今年の新米じゃの、うまいぞ」

 志野とるいにも膳が来た。一緒に食べた。

 竜也がるいに、食べさせろといわんばかりに、腿のうえに乗った。

「るい、良くここまで育てたの、感心した」

 忠正はるいにそう言った。

「いいえ、お母さまがいて下さるお陰です」

 るいがそう志野を持ち上げた。

「いいえ、私など大したことをしていません、みんなるいさんの努力の賜物(たまもの)です」

 そう言いながら、志野が蕎麦をすすった。

 植田がやってきた。

「御老中よりの書状でございます」

「うむ、そうか、どれどれ、るいよ、受け取れ」

 るいが植田から書状を受け取って、忠正に手渡した。

 そのままその書状を、懐に入れた。

 まだ食事が終わっていない。

 書状は食事が終わってから読むことにした。三人とも食事が終わって、膳をかたづけた。

 懐中の書状を開いてみた。

 明日の朝、屋敷に参るようにとのことである。

 たったそれだけであった。

 明くる日の朝に、阿部老中の屋敷へ向かった。

「おはようござります、中村忠正でござります。お呼びにより、参上いたしましたが」

 忠正は、正面から、阿部老中の顔を見た。

 これまでは、何気なく顔を見ているだけだった。

 こんなに、まじまじ、と見たことはない。

 聞いている年令よりは若く見える。

「今回は山陽道に行ってもらう、備後だ」

「備後ですか、分かりました、参ります」

「わけは訊かんのか」

 訊くか訊かざるか、いずれにしても、赴かねばならない、断ることは出来ないのだ。

「あらすじ程度は、訊きましょう。後は切る相手を教えていただければ結構です」

「しかし、それにしても、人を斬るのだから、大義名分は欲しかろう。どうじゃ」

「そうですか、大儀名分ですか、それはやはり伺いたいですね」

 付き合いが長いので、何となく物言いが、甘えたような感じになる。

「これは、いかん、いかん」と忠正が呟いた。

「第一にそのものは脱藩者である。本来は備前の者らしい。第二に不義密通者でもある。この二年の間に、七名もの女が強姦されておる、そのうち三名のものは、犯された後に自死しておる。後の二名は犯された後、刀で切り殺されたということだ。女たちだけではない。藩の侍も三名ほど殺されていると言う」

「それでは、わたしのすべきことは、その男を殺すことですか」

「そういうことじゃの。秋山と金本をつける。相手の名は三島平四郎という、これが願金じゃ」

 阿部老中が切り餅三つを差し出した。百五十両である。

 忠正が受け取った。

 瀬戸内まで船で行った。秋山たちが一緒である。歩くより舟の方が、圧倒して速い。七日で着いた。

 旅籠に泊まった。

「今回は、相手の居場所も分かっている、しかし、一応、当たってみてくれ。うっかり間違えましたとは、言えんからの」

「分かり申した」

 秋山が応えた。

「それと、これは当座の軍資金じゃ、余ったからと言って帰さんでも良いぞ」

 秋山と金本に、十両づつ渡した。

 三日ほど経って、秋山が、分かりましたと言ってきた。

「居場所は変わりありません、静かに暮らしています」

 秋山がそう語った。

「どうしましょうか、すぐに果し状を出しますか」

 追ってそう訊いた。

「そうだの、これ以上ゆっくりしている必要もないしの、どこかに頃合の良い場所があれば、すぐにやりたいの」

「日吉神社があります」

 秋山が、すぐ近くにさびれた神社があります、と言った。

「そうか、そこにしようか、よし、果し状を書こう」

 秋山が旅籠の親父から墨を借りてきて、忠正の前に置いた。

 果し合いは明日の昼、四つと決めた。公儀仕置役と自分の名を入れてある。これは私闘ではない、公職によるものであるとも書き入れた。

秋山が果たし状を持って出て行った。

 忠正は、明日、すぐ出られるように準備した。明日の昼の弁当も用意してくれるよう宿の者に頼んである。

 寒い。十一月ももう終わりだ。明日から十二月に入る。

 十時四十分に日吉神社の前に着いた。

 十五分ほどして、三島がやってきた。

 忠正は「三島殿、腹を切って果てるならば介錯つかまつろう、いかがじゃ……」

 忠正が扇子で腹に線を引いた。

「いや、腕が戦いたい戦いたいと言って申す。拙者は狂人でござる、まともなときに戦いたい、お願い申す。」

 分かりましたと、忠正はたすきをかけた。

 ちん、ちん、と刀と刀の切っ先が、かすかに触れ合う音がする。まだ、打ち合っていない。

 三島が、ふいに首を狙って突いて来た。身を開いて避けた。忠正が三島の手首を打った。うまくかわされた。

(おお、強い、これは少しは楽しめそうだわい)と忠正がほくそえんだ。

 三島が袈裟がけに首の根を叩きに来た。忠正は後ろに跳んだ。

 五回ほども打ち合って、忠正は身体を開き、剣の切っ先を後ろに引いて、地擦りに構えた。三島が頭を打ちに来た。その刀を宙で受け、跳ね飛ばしておいて、忠正は三島の頭を割った。

 その足で船着き場に向かった。

 船に乗り込んだ。帰り船である。秋山たちも船に乗った。

 行って帰って江戸まで、三日で着いた。

 真っ直ぐ家に向かった。



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