5.
「なにか、コツとかはないの?」
全く期待していないが一応尋ねれば、返ってきた答えは想像通り過ぎていっそ泣けてくる。
「うーん、なんとなくやってるからなぁ。なれだよ。体でおぼえる」
この脳筋め、と恨めしく睨みつけてやれば、あたしの不穏な空気を察してくれたのか説明を付け足した。
「あー、うん。イメージがだいじ。できるだけぐたいてきにあたまの中でそうぞうする。あとはそのイメージにあわせて、まりょくを出す」
「うんうん」
「あ! はじめは目をつぶってそうぞうして、そのまままりょくをほうしゅつするといいと思う。アッシュならだいじょうぶだよ。まりょくりょうも多そうだし」
初めからその説明をすれば良いのに、どうもそこまで考えが至らなかったらしい。
それは単なる天然なのか、それとも魔法というあたしには何処か非現実性を感じさせる代物が、ウルにとっては既に存在だけでなく、使用という点から見ても当たり前となっているのだろうか。
このことを本人に聞くのは、今はまだ憚られる。思い出したばかりのあたしは、この湊の記憶をまだ大切にしまっておきたい。
「ん、がんばる。
でもなんで、まりょくりょうがわかるの?」
ふとした疑問を投げかけてみれば、ウルは本当に答えようがないというように右手で髪を掻き上げる仕草をする。
「うーん、これはほんとうになんとなくなんだよ。あるていどまほうをつかえるようになると、じぶんのまりょくをかんじるようになって、たにんのまりょくもかんじとれるようになる、っていうか…」
どうやらウルもよく分かっていないようだ。ウルの言う他人の魔力量が分かるということが一般的なことなのか才能なのか。今の時点であたしには判断できないが、多いと言われて損な事はないだろう。
さて、と気分を切り替え、目を瞑って先程ウルがやっていたように両手を胸の前に突き出すように軽く伸ばす。掌から魔力を放出するような感覚のために手はひらいた。
しかし、具体的に何をイメージしたら良いのかと迷う。それくらいあたしには魔法に関する知識も常識もない。
「風にてきせいのある人が一番多いんだ。まずは、風をぐたいてきに頭の中でえがくといいんじゃないかな」
何故それを今言うのか。どうせなら目を閉じる前に言ってくれればよかったのに、と文句がふつふつと湧いてくるが敢えて口にはしない。
目を閉じたことで自分もこの状況に酔っていたのかもしれない。余計なことを極力したくなかった。
そして言われた通り、イメージを描きやすいという“風”を考えてみた。
風というと、真っ先に先程ウルの魔法として見た突風や疾風が思い浮かんだが、どうも目に見えないためかイメージがしにくい。
そこで、ふと思いついたのは竜巻だった。
風が渦を巻きながら細く高く空へと昇る。それは周囲をも巻き込み、土や砂、あるいは多くのものを巻き上げ、風は色を持ち可視化される。生物の脅威として。
キンッ、と鋭い痛みをこめかみに感じると、身体から何かが流れていくのがわかった。
これが魔力…、と小さな感動とともに、単純に魔法をつかえたことへの喜びに浸る。
そういえばウルの話す魔力を放出する、ということに関して、あたしは何の不安も抱いていなかった。無意識に出来ると思っていたのか、出来ることを知っていたのかは定かではないが、魔力があたしの中にある、これは当たり前のことで、確信が事実に変わった。
「……っ、 ……い!」
己の中の心地よい魔力の流れに耳を澄ませていると、何かが聞こえた気がして、ぼんやりと目を開ける。
目の前には、目を見張るほどの大きさの風。
「うわっ!」
目視できて始めて意識がはっきりとしてくる。風は渦を巻き竜巻を形成している。魔法としては成功だろう。
しかし、ソレはあまりに大きく、そして豪快な音を響かせている。
「やりっ、すぎっ、だっ!」
大声を張り上げるウル。
風音と水音の狂想曲。隣にいても、大声でなければ聞こえない。
ゴウゴウと風の音がうるさい。また風の音だけではなく、河の水面から近くから発生し渦を巻きつつ上へ上へと伸びる竜巻は、土手の上にいるあたしたちを優に超えて、まるで天に登る龍のようだ。河の水をも巻き込んでバシャバシャと大きな水音を立てるその光景は、必死に空を目指しもがくようにも見えた。
自分自身も驚きを隠せない。
想像したのは空へと届くかのような砂色の塔。そのイメージよりは縮小してはいたものの、実際に目の前に竜巻が現れるとは、そしてこの竜巻を生み出したのが自分だとは。魔法とは、なんと恐ろしい凶器なのだろう。
「まりょく!とめろっ!」
そうは言われても、どうしたらよいかわからないあたしはひたすら狼狽える。きっと、情けない顔でウルを見ているに違いない。
「えーと…じゃぐち! じゃぐちしめて、水を止めるみたいにっ!」
「わかった!」
自分でも何がわかったなのかわからないが、一生懸命捻り出してくれたアイディアだ。言われた通り蛇口を締めるように、自分から流れる魔力を止めるよう意識する。
「ゆっくりだぞ!」
わざわざ言われなくてもわかっている。かえって集中を乱すようなことはしないで欲しい。
あたしは少しずつ魔力の放出を抑え、遂に体外への魔力の流れを止めた。
それでも竜巻は消えない。
「え、なんで」
思わず口から零れ出る疑問。
魔法は魔力がなくなったら消えるものだと思っていた。それなのに、現に竜巻は多少規模が小さくなり風の勢いも弱まったような気はするが、変わらず目の前に君臨している。
「ねぇ! なんできえないのっ」
改めて苛立ち交じりに疑問をぶつければ、罰の悪そうな顔をしてウルは説明を始める。
「言ってなかったんだけどっ、まりょくには、強い弱いがあるんだ!」
「それでっ?」
「その強さは!まほうのじぞくりょくと、かんけいが、あるっ!」
最初に言ってよ!
と返そうかとも思ったが、魔法超初心者のあたしには確かに要らない説明だったと納得する。こんなことでわかりたくもなかったが、あたしの魔力は強いみたいだ。
だが、どうしよう。
魔力の供給をやめたので、もうあたしにはこの竜巻をどうにもすることが出来ない。詳しいことが何も分かっていないあたしでも、この魔法にすでに干渉出来ないことは痛いほど理解していた。
「…どうしよう」
後悔と共に漏れ出た言葉は竜巻に呑まれ、恐らくウルには届いていないだろう。というか、聞こえていませんように。
あたしがやりたいと言ったこと。責任なんて感じられても困る。
しかしこのままではまずい。
落ち着いて周囲を見渡す余裕が出てくれば、空はすでに白み始めていて、地球と同じく東から昇る太陽が河の向こうから顔を出し始めている。そろそろこの河で仕事をする人々も動き始めてしまうだろう。
なんとかしなければ。そう思えば思うほど頭の中は真っ白になって何の考えも浮かばない。
どうしよう、と悩めば悩むほど嫌な考えがあたしの動きを止めるように絡みついてくる。
この竜巻のせいで誰かが怪我をしてしまったら、あるいは麦栽培にも影響を及ぼすかもしれない。最悪の場合…誰かが亡くなってしまったら。
そんな考えがあたしを支配し、死が近くにあることの恐怖を思い出した。
「…おい、おちつけ」
いきなり目の前に現れたウル。
そのウルの小さな手が、お腹の辺りで祈るように強く握られていたあたしの手に優しく触れる。ウルの手から子供特有の温かさを感じて、自分の手から力が抜けるのを感じる。余程強く握っていたのか、あたしの手は白くなっていた。
あたしの身体の強張りが解けたのを確認したのか、目の前のウルは六歳とは思えないような穏やかな笑顔を浮かべた。
安心しろ、と爽やかな風のような薄緑の目に諭された。
たったこれだけのことだが、落ち着きを取り戻すには十分で。ちゃんとウルの目を見て大丈夫だと頷けば、握る手に少し力を込めて頷き返してくれた。
ウルはあたしを安心させるために目線を合わせ、腰を屈めてくれていたようだった。
そんなことにも気付けないくらい動揺していた自分を落ち着いて振り返ると、思わず顔に熱を感じる。
ウルが普通に立つと、あたしの目の前にはウルの顎の辺りがくる。頭半分くらいあたしよりも大きいウル。約二年分、あたしよりも長くこの世界で生きている証。
それが今は、何よりも頼もしく感じる。
「よし」
あたしの手からウルの手の温もりが離れた。もう不安は感じない。大丈夫。
ウルは一度振り返って竜巻を見て、再びこちらに向き直る。その目に不安は露ほども感じられない。
「よくきけ。今のところ、あれがうごくけはいはない。だけどどうなるかはわからない」
「うん」
ウルの目は真剣そのもので、その意思の籠った薄緑色の目を見つめながら、つられるように真剣に返事を返す。
「だから、あれをけす。今おれが思いつくほうほうは二つ。
一つ、あのたつまきのまりょくをすいとる。
二つ、たつまきの周りをしゅういにひがいが出ないようにかこんで、たつまきの中でばくはつをおこしてけす」
「で、できるの?」
どちらも夢のような話で現実味を感じられない。しかし魔法なら可能なのかと期待して尋ねてみれば、ウルの表情はへにゃっと崩れる。
「たぶんむり」
この腑抜けた横っ面をひっぱたいてやろうかと思ったが、すぐさま真剣な顔に戻ったウルは言葉を続けたため、あたしの手が飛んでいくことはなかった。
なんでも、一つ目の方法の魔力を吸い取るのは、そういう魔法があることはあるのだが、ウルがそのやり方を知らないそうだ。よって無理。
二つ目は、竜巻の周囲を囲むのは難しくないらしいが、問題はそれをやりながら爆発を起こすということで、そもそも竜巻を消せるような爆発を起こすのも非常に大変なことらしい。さらにその爆発の衝撃を外に漏らさないような囲いなんて到底作れないらしい。そのため不可能。
八方塞がりだ。正直このままでは自然消滅を待つしかない。しかし竜巻は周囲から風を取り込んでいて、規模は徐々に弱まりつつも今すぐ消えるような気配はない。
そこでふと思いついた疑問を口にする。
「ねぇ、このたつまき音はうるさいけど、風は強くないね」
「ん? …ほんとうだ。これだったら、かこんで時間がかかってもしぜんにきえるようにするのがいいかも」
「できるの?」
「うん、かこむだけだったらね」
おお。頼りになる。
「それよりさ、あの雲、気にならない?」
そう言われて見えたのは竜巻の上の空に広がる巨大な雲。遥か上空まで密に重なり、上の方の雲はあたしたちから見て河の向こう側、つまり東側へと伸び広がっている。
言われるまで気づかなかった。
これほど大きな雲が空を覆っていれば、この辺り一体が薄暗くなっていただろう。まだ朝日の登り始めの時間でよかった。早朝や深夜であれば、それだけ人に異変を気づかれる心配が減る。
「すごい。ああいう雲、せきらん雲っていうんだっけ?」
「うん、たしか。ねえ、あれあやしいと思わない?」
「あやしいって?」
「アッシュがまりょくを放出し始めてから、ムクムクっと現れたんだよ、あれ」
単に偶然と片付けるには忍びないものの、あれほど巨大なものを自分が作り出したとは思えない。その旨を控えめに伝えたのに、返ってくる答えは全く意図しないものであった。
「たつまきって、たしかせきらん雲が連れてくるんだよな」
「知らない」
あたしは文系だったのだ。苦手な理系科目とは早々におさらばしたため、あたしには持ち得ない知識である。…無知とも言えるが、この世界にいる今、当然パソコンやスマホなんて物は無く、もう調べることは叶わない。
この世界の科学の知識や技術がどの程度発展しているのか定かではないため、地球と同じかそれ以上発展していなければもう知ることはないかもしれない。
「確かな知識はないけど、やってみる価値はあると思うんだ」
そういうウルの目には決意が見え、きっとやってくれるという期待をかけずにはいられない。
元同級生はすでにこの荒波の様な世界を生きて馴染んでいる。あのぬるま湯の様な世界を懐かしんでいるあたしとは一線を画しているという事実に、あたしは下唇を噛みたい気持ちをぐっとこらえた。