21.
大変お待たせいたしました。
お楽しみいただければ幸いです。
ウルとの沈黙は苦ではない。その静かな空間にむしろ落ち着きさえ覚える。
しかし、今の沈黙はそういったあたしに安らぎを与えてくれるものではない。
あたしもウルも、お互いに何か話そうとしているのに、どちらも口を開かない。両者がタイミングを見計らって、どうしようか…と尻込みしていた。
「…なあ、」
意を決して声をかけようとしたところで、先にウルから話しかけられた。
「アッシュは将来のこととか、考えてる?」
とてもあたしにとって痛い所を突かれた。間近でアルスの恋を応援しつつ、ナンサの素敵な結婚をサポートしながら、将来あたしはどうなるのだろうと漠然とした不安が生まれた。
何したいわけでもなく、何をしたくないわけでもないあたしにとって、たった数年後に控える卒業はある意味最後通牒のようなものだ。
「何も、考えてない。
こうやってアルスのこと応援して、ナンサの良い縁談をまとめよう、なんて思ってる割に自分のことなんて全然考えてなくて。
何かしたいことがあるわけでもないし、でももう五年後には卒業だし、どうしようかなって思い始めたよ」
「そうなんだよなぁ。俺もどうしよう」
両腕を頭の後ろに回して椅子ごと体をそらすウル。その目線は天井に向き、少し気が楽になる。
「ウルは旅に出たいんでしょ。やりたことあるじゃん」
「それだけで生きていけるほど世の中甘くねーんだよ。余程のことがない限り、外的要因で死ぬことはなさそうなくらい鍛えてもらったけどさ、でも生きていくには金が必要だから。ふらふら放浪してるだけじゃ、いつか野たれ死ぬ」
確かに、あたしたちは今やトラックに突っ込まれてもそれを避けられそうなくらいには身体は鍛え上げられている。
そういった身を守る、という意味では余程のヘマをしない限り死ぬことはないが、生きるにはそれだけでは足りない。というか、それ以上に必要なものがある。やはり世の中金なのだ。
「旅人兼運送屋なんじゃないの?」
「考えてもみろ。見ず知らずの若いにぃちゃんに自分の大事なもの運んでくれって頼むと思うか」
「思わない」
「それが普通だ。つまり力があっても食い扶持はまともに稼げないってわけ」
やりたいことがあっても儘ならないのが世の中というわけだ。
「困ったね」
「本当にな」
互いにため息一つ落とせば、妙な連帯感が生まれる。しかし、ここで互いの傷を舐めあっている場合ではない。
「ナンサとアルスの結婚の問題が落ち着いたらさ、ちゃんと考えようか」
「そうだな。ばばさまに相談するのもいいかもな」
問題としては全く解決していないが、話としてはひと段落ついたところで、そういえば、とウルから話を振られた。
「お前も、何か話したい事があるんだろ」
あたしの発する空気というかオーラを感じ取ってくれてたようで、和やかになって先ほどよりもずっと話しやすい雰囲気なのを見計らったのだろう。
「いやー、どうでもいい事っていうか…あたし、かなり変な事言っていい?」
自分でもイタイことを言おうとしている手前、先にハードルをなんとしてでも下げておかないと、と側から見れば間抜けなほど必死に取り繕う。
「どーぞ」
なんでもないようなことのように受け止めるウルは、別にあたしに呆れているわけでもない。そういう根本的な優しさに、救われる。
「…めっちゃイタイこと言うけど、」
ようやく口火を切ったところで、部屋の扉がガンガンと叩かれた。
「悪い、両手塞がってんだ。扉開けてくれ」
「今行く」
扉に近いウルがすぐに反応して、戸を開ければ両手に皿を持ったアルスが料理のいい匂いとともにやってきた。
「いやー、悪い悪い。持ってきたはいいけど、そっからどうにもできなくて、扉蹴っちゃった。あ、戸はそのまま開けといて」
野菜炒め、兎肉のほぼ丸焼きとスープの皿がテーブルに並べられた。湯気が立ち、おいしそうな香りが鼻をくすぐる。
「俺が持ちきれないから、残りを持ってきてくれるんだ」
程なくして女性の給仕さんが三人もやってきて、イェバナンという肉まんの皮にら似たものの盛られた皿と、取り皿と器、食器を持ってきてくれた。
アルスがそれを笑顔で受け取れば、頬を染める三人。アルスが背を向けたところで、慌てて部屋から出て行った三人は戸を閉めるのを忘れ、廊下での声が丸聞こえだった。
「かっこいいー!」
「あれは綺麗なのよ! 目が宝石みたい!」
「とっても優しそうよね!」
「あっ、早く戻らないと怒られちゃう」
パタパタと遠ざかる足音が聞こえなくなるまでウルは戸を閉めることなくドアの横に立っていた。
「だってさ」
「うるさいっ、さっさと閉めて食べるぞ!」
ウルの揶揄いに照れたのか、頬や耳をうっすら染めてやや語気が荒くなる。
それを気にした風もなくウルは戸を閉めて席に着き、ようやく食事が始まった。
各々が好きなおかずを取り分けて食べるのが当たり前のスタイルで、定食や御膳のように個々人のための料理というのは少ない。シェアして食べるということは、楽しい反面戦場でもある。だからこそ、いつも食事は賑やかになるのかもしれない。
「ああいうの、多いの?」
「よくあるな。ほら、アルスはうちの母さんに顔は似てるから目立つんだよ。人当たりもいいしな」
「お前も俺にそっくりだろ」
「まぁ、俺も父さんよりは母さんに似てるけど、でも俺とアルスはそれほど似てない」
「そうか? 髪の色のせいかな」
言われた本人はあまりわかっていないようだが、あたしもアルスとウルはそんなに似てないと思う。
「よく弟と似てるなって言われるんだけど」
「目とか、雰囲気がね。アルスはどっちも柔らかい印象だけど、ウルはもっとキツイ。目つき悪いし、黒髪がそれを際立たせてる」
「その言い方だと、うちの母親の目つきも悪いって言ってるように聞こえるからな」
「エステルさんはあのキツさがいいんだよ。美人度を上げてる」
なんか納得いかない、とそのまま顔に出てるウルと、そんなもんかな、と言ってわかっていないアルス。どちらもどこか間抜けな顔をしているがそこは美人のお得なところ。それさえも様になる。
「まぁ、美人に産んでもらってよかったねってことでしょ」
「でもナンサは落とせない」
「ほっとけ!」
ウルの嫌味に顔を背けるアルスは、現実逃避か目の前の皿から大きく兎の肉を取り分け、がぶりと口を開けた。
「見慣れちゃったのかもね」
「毎年会ってて、ずっとナンサにくっついてんだもんな。そりゃ常に視界に入るわな」
「美形も見慣れれば有り難味も薄くなるよね」
「遊牧生活であまり人との接点ないのに、その中で数少ない親しく定期的に会う奴の顔が綺麗な奴だったナンサもかわいそうだな」
「本当にね」
ウルと二人でわざとらしく可哀想な目でアルスを見れば、本人はもうそれ以上聞きたくないと目で訴えてきた。
「エステルさんってさ、どこの人なの?」
いじるのは楽しかったが、せっかくの食事が楽しくなくなるのは可哀想なので話を変えてあげる。
「あー、聞いたことねーな」
「えっ、そういうもの?」
自分の親の出身を知らないなんて、そんなことがあるのか。
「顔の雰囲気からしてイファーじゃないのは見てわかるし、本人も異国出身だって言ってるし、そういうもんかなーって思ってた」
「俺ら農民は外との関わりがあるようで薄いしな」
ナンサたちみたいに移動しないしさ、と会話に入ってきたアルスもウルも特に気にした風はない。
「うちにはばばさまがいるからな」
そのウルの一言が全てだ。彼女が認めない人間などあそこに居られるわけがない。どんな理由にせよ、エステルさんがあそこに居るということは、心配することなど何もないということだ。
「あ、でもそういえば、ハーフェンミーアがどうたらって話を前にばばさまとしてたな」
ウルがまだ生まれて間もない頃、両親とばばさまが話しているのを立ち聞きしたアルス少年だが、それ以来そんな話は聞いたこともなく信憑性は薄いらしい。
「あー、でもあり得るかもね。エステルさんの顔の雰囲気はハーフェンミーアに近いかも」
「まぁ、どこでもいいよ。親戚とかの話を聞いたこともないし」
「だな。あえて話してないのかもしれないし、無理に知りたいってことでもないしな」
息子である二人がそう言うのならいいのだろう。あたしとしては気にはなるが、どうしても知りたいということでもない。他人の家族のプライベートに立ち入るつもりもない。
あの美人な人が良くも悪くも普通のルスティムさんとどうやって出会って結婚したのかは気になるけど。
その後は成績の話になって、アルスからほどほどにしておけよ、とありがたい言葉を二人してもらい、皿が全て空になったところでこの場はお開きとなった。
「じゃ、俺帰るから。ウルとアッシュは好きな時に帰っておいで」
食事をご馳走してくれたアルスは、やることがあるようで一足先に寮へと帰っていった。
この部屋を出る時は先ほどのカウンターに一声かけてから帰るようにと言い置いて、あたしとウルの二人だけになった。
パタンとの閉まる音を合図に、ウルがさて、と間を置かずに話を切り出した。
「さっきの話の続きは?」
「……」
一度話の腰が折れたせいで、せっかく勇気を持ったはずなのにそれはすでに萎れかけていて踏ん切りがつかない。
ウルもなにも言わず、ただあたしを見ていた。言葉で促すわけではなく、その目が雄弁に語る。早くしろ、と。
意を決し口を開けば、あとは流れる滝のように言葉が落ちていく。
「さっきも言ったように、とても正気の人間が言うような言葉に聞こえないかもしれないんだけど……えーと、あたしってかわいい?」
「は?」
あまりに恥ずかしくてウルの顔も見られない。きっと呆れた顔をしている。絶対。
「えっとですね、湊の感覚からすると、この顔って結構かわいいんじゃないかなーなんて思ったこともあって。でも遊牧生活だとあまり人と会わないし、国も色んなところに行ってるし、この世界の基準っていうか、かわいい顔っていうのがよく分からないっていうか…」
「…」
「それに、ウルとかアルスとかエステルさんはすごい美人な顔だし、アッシュの顔が湊にとって好みなだけなのかなー、なんて思ったり。でもこうやって町に来てみるとエステルさんとかはやっぱり特別なんだなってわかったし…。
あー、なにが言いたいかっていうと、とにかくあたしの見た目ってイファー的にどうよ?」
息つく間もなく言葉を連ねてはいるが、恥ずかしさのあまり支離滅裂で言ってる自分も意味がわからない。
こんなこと友達に相談するなんて恥ずかしすぎるが、残念なことに前のことを相談する相手はウルしかいない。あくまで一般的な感覚や美醜の確認だ、と自分に言い聞かせて己の顔から火の出そうな羞恥にはとりあえず蓋をする。
問いかけると今度は返事を待つ時間ができてしまい、それを待つ間がいたたまれない。一瞬のようにも何分も経ったかのような感覚ののち、ウルの声が聞こえれば思わず安堵の息が小さく漏れた。
「えー……それ俺に言わすの?」
「是非、お願いします。客観的な意見を」
恥を掻き捨てるのは旅だが、この不安に満ちた質問も旅同然。こうなれば開き直ったもの勝ちだ。
逆に聞かれたウルは困った顔で腕を組んで、うーんと唸っている。
「…俺の友達のフィルヴェルケリとオルマンも、今日会ったクルチさんもお前のことかわいいって言ってたんだし、そうなんじゃねーの?」
あたしを見ることなく顔をそらして言うウルはどこか居心地の悪そうな顔だ。
「ちなみにさ、アルスを見る人の反応からするとさ、アルスもエステルさんも綺麗な顔って認識でいいよね」
「まぁ、そうなるだろうな。アルスはあの優男っぽい雰囲気と顔とそれなりに裕福な農家の長男ってことで、旦那候補として人気だったみたいだな。
まぁ、あのナンサへの態度で今はその人気も下火らしいけど」
「ということは、ウルも綺麗な顔って認識だよね」
「俺にうんって言わせたいのかお前…」
ついに組んだ腕を解き、頭を抱えてしまったウル。
「そっか、美醜の認識というか基準はそんなにズレてないね」
「…そーみたいですね」
よかったと一先ず胸をなでおろす。価値観の違いは大きく主観によるため、湊でもあるアシュリルとしては、周りと大きく違う価値観を抱えて生きることへの危惧があった。
美醜や生死の基準は社会的な要因が大きい。異なる世界という根本的な社会基盤が違うこの状況において、湊の時と似た基準や価値観が通じるのは助かる。
なにせ二十年以上過ごした湊の人格はすでに形成され、これから新たに作り直すのは不可能に近い。
何はともあれ、一安心だ。
「ところでさ」
「まだなんかあんのかよ…」
ウルの顔はやや赤らみ、その目は羞恥を嫌悪しその原因を生むあたしを睨む。
「この国の美人って、あんまり明確な基準がないよね」
「んー?」
「ほら、日本だと綺麗な黒髪だとか色白だとがあったじゃん。そういうの聞いたことある?」
「あー、ないな」
言われてみれば確かに、と先ほどまでこの部屋を包むなんとも言えない空気がガラリと変わり、ウルはやや真剣みを帯びた顔でそう呟いた。
「東のハーフェンミーアは、ツヤのある豊かな髪につり目っていうのかな。キツめの美人顔がいいらしいよ。
その南のタルーマは、ナンサみたいなぱっちりお目めがいいんだって。男女共ね」
「詳しいな」
「ちゃんと行った先々で情報収集してんの」
「以外だ」
ウルの失礼な発言に、軽く風魔法を使って椅子を浮かせて驚かせる。
案の定ひっくり返ると思ったウルは慌てて、椅子を元の位置に戻そうと体をテーブル側に寄せる。
風を解き、ウルが落ち着いたところで睨まれたが何か言われることもされることもなかった。自分が悪いと思ったのか顔を背けるだけで終わった。謝ってもらってはいない。
「あー、イファーの美人ポイントだっけ? お国柄、男子は言わずもがな女子でも強くないとダメそうだよな。自分で色々できないと。料理にしろ刺繍にしろ、果てには食糧調達もだろ」
「うん、でもそれじゃあ嫁選びの基準だよね」
「確かに。うーん、難しいな」
今上がった条件は見た目でなく内面で、いかにもな良いお嫁さんの条件だ。残念なことに、一般的なイファーの常識がやや足りない田舎者と遊牧民ではどんなに悩もうと考えようと答えには辿り着かない。
結果として、互いのルームメイトから知識を得て互いにすり合わせようということで話はついた。
「よし、さっさと帰ってナーシャと打ち合わせだな」
そうあたしたちには三日後に決まったアルスの告白大作戦の計画を綿密に練るという特務があるのだ。我らが敬愛する兄姉のための行動をいち早く起こすべく、こんな恥ずかしい思い出の残る場所からは早々にお暇することとなった。




