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またまた  作者: よだか
第一章
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4.

「“アッシュ”ってどう?」


 

 妙に真面目な声音だった。

 しかし言い終わった今、ウルはこちらを見てはいない。



「いや、ほらっ、 みじかいほうがよびやすいし、おまえの目、はいいろだし!」


 矢継ぎ早に説明を加えてくる。それでもウルはあたしを見ない。

 確かに撥音を入れたことで呼びやすくなるだろうし、あたしの目は灰色だ。ウルの言う理由はもっともである。


「うん。いいんじゃない」


 あたしはなんでもないことのように返事をした。


 するとウルは強張った顔をこちらに向けたが、すぐに顔の緊張をとき、へらっとした笑顔を見せた。そして、ありがと、と意志のこもった目をあたしに向けて礼を述べた。



 穏やかな沈黙が、この場を支配する。



 あたしはその思いが分かる気がするし、あたしが気付いた上での返答だということをこいつも理解したようだった。



 互いに前世への未練は話さない。

 でも、ないわけではない。


 あたしはあたし。

 前の湊もあたし、今のアシュリルもあたし。これは変わらないし、変えられないことだ。

 越前とウルも同じだと思う。



 それでも二十年も生きてきた前の世界を簡単には切り離し難い。ここはどんなに似ていても地球とは違う世界で、前の世界を知っているのはあたしたちだけ。 自分たちがそれを忘れてしまえば、その存在はもうないものと同じだ。


 何か日常の中に前の世界を感じさせる証が欲しい、そう思うのは当然のことで。

 互いに共通の記憶があるからこそ、互いにだけ共通の何かを求めたがる。



 馬も羊も。麦も米だって。似ているが異なる。

 馬はこちらではテュムといい、馬よりも耳が長く、正確には分からないが地球の馬より体も大きいように感じる。

 羊はシリィと呼ばれ、こちらもやや大きい。白い羊毛を得るために品種改良も行われているが、それだけでなく赤褐色や黒色の毛を持つ羊も我が家にいる。

麦みたいなものはイェバだし、米のようなものはマールという。



 互いに今がある。今生生まれた世界は前とは異なるが、今を生きることに抵抗はない。ここで生きていきたい。

 だからせめて、という思いが捨てきれず、卑しくも浅はかな考えに溺れる。

 良い家族がいてその一員としてあたしがいる、そんな安寧とした今に浸かりながらも、同時に過去の自分を求める。というよりも、捨てられない。



 なんとなく、こいつも似たような思いでいるのを感じる。

 あたしの名と色に例えたものの、“アッシュ”と“Ash”を結びつけられる人などいない。

 だから、これはあたしたちだけの秘密。




 その後すぐに猫のおばあさんが、あたしたちのいる部屋にやって来て、食事の用意が出来たから、と下から態々あたしたちを呼びに来てくれた。


 結局その移動の間と食事の時もウルと話すことはなかった。テーブルは大きく、ウルとは席が離れたからだ。



 曾祖父母、祖父母や父はタクバク家の人々と飲み続けていたが、あたしたち子供は母に連れられ先に床に着いた。


 エステルさんに案内された場所は、タクバク家の暮らす母屋の隣に建てられた家は母屋よりは少し小さめで、客人のもてなし用に用意されているという。


 お子様な自分の体はもう眠気の支配下におり、用意されたベットに入るなりあたしは寝てしまった。









 目が覚めると、知らない天井だった。


 またか、と思いつつ体を起こし部屋を見渡す。

 あたしが寝た部屋にはベットが四台用意されていて、あたしは一番窓際のベットで寝ていた。窓の外は日の出を迎えていないからかまだ暗い。

 ナンサはあたしの右隣のベットでまだ寝ている。さらにその隣はベットを二台くっつけて、母とチャナーとチャウラが寝ている。


 四人の規則正しい寝息を聞きながら、皆を起こしてしまわないよう、まるで泥棒のような忍び足で部屋を後にした。



 この家には二階に二部屋あり、一階には一部屋と簡易なものではあるが台所がある。

 部屋から出たあたしは階段を降り、迷うことなく玄関へと辿り着き、扉を開けて外に出た。


 音を立てないよう気を付けて扉を閉め、あたしは外の冷たい空気を目一杯吸い込む。肺が満たされ、この静かで暗い閉鎖されたような空間をつい大声を出して壊してしまいたくなる。


 その衝動をぐっと我慢し、まだ日の登っていない真っ暗な空を見上げる。

 ほんの少し外に立っていただけで、日の差さない時間の冬の朝の寒さはこの幼児の体を容赦無く攻め、体を小さく震わせる。



 なんで自分は外に出てきたのだろう? と考えていたら、アッシュ、と小声で名前を呼ばれ、その声のする方へと振り向く。

 誰かなんて、見なくてもわかるけど。



「おはよ」

「おはよ。なにやってんの?」

「んー、目がさめたから」

「それでそとに出てきたのか。このさむいのに」

「ん、なんとなくね」


 何故外に出てきたのかと問われても明確な理由は思いつかない。本当になんとなく、なのだ。



「ウルは」

「おれはかわでまほうのれんしゅう。はやくおきた日はいつもしてる」

「へー。あたしもついていっていい?」

「ん。いこ」




 ウルに案内され、河を目指す。



「アンタって、おかあさんにだよね」

「まぁ、今のところはな。でもおれより、兄のほうがにてる」

「へー、おにいさんもいるんだ」

「今はがっこうのりょうにいるから、いえにはいないんだよ」


 学校か、そういえばナンサにもそんな話があったのを思い出した。


 この国では10歳になると、学校に通わなくてはならなくなる。我が家のように遊牧民であったり、ウルの家のように王都とはいっても、都市部から離れた郊外に住んでいる子どもは自宅から通うのが難しい。さらに言えば、基礎教養として学ぶ期間は10歳から15歳になるまでの五年間。その間集団生活も勉強するという名目で、たとえ自宅から通える場所であろうと寮で生活しなければならないそうだ。

 ナンサは今8歳。もうすぐ迎える新年になれば皆が一斉に1歳年を取る。仲の良い優しい姉との一緒の生活もあと少しだと思うと、少し気が滅入る。


 そんな子供っぽい気持ちを知られなくなくて、どうでもいいような元の話に戻す。



「び人のちってのはこいのかねぇ」

「なに言ってんだよ」

「こっちのせかいってさ、かおのぞうけいのととのった人、おおいよね」

「…ありがちなはなしだな」



 あたしとウル。並んで歩きながらどうでもいいような話をしていたら目的地に着いたようだ。



「うっわぁ…」


 驚きのあまり声が意図せず漏れる。

 堤防に登れば目の前に広がるのは水の流れる河面。対岸は見えず、まだ朝方のためかまるで闇夜の海のような水面に、吸い込まれそうな錯覚に陥る。


「でかいよな。

 この国さいだいの川だから、こうつうもはったつしてるんだ。でも、まだあさはやいから、だれもいないし、あんぜんなんだ」



 堤防が築かれていたためにこちらに向かって歩いている間、河を目視することができなかった。だからこそ、突然目の当たりにした河に驚きを隠せない。この世界に生まれてこのかたここまで川幅の広い河を見たのは初めてだった。

 日本でも見たことがない。こんな規格外の大きさはテレビの中のことだった。

ウルにとってこの巨大な河は既に当たり前のものらしく、河の大きさへの反応は薄い。

 そんな小さなことにも感傷的になる自分に溜息をつきたくなる。



「で、ここでどんなことをするの?」

「風のまほうのれんしゅう。

 おれ、しゅうかくの手つだいをしなくちゃいけないから。それのくんれん」

「へー、べんりだねぇ」

「こっちにはのうぎょう用のきかいはないからな。人のちからがきほん。

 でもそれだとたいへんだから、まほうがつかえるやつは、のうさぎょうを手つだわされるんだ。おとなも子どもも」


 その話す表情を見れば大変な作業であることは一目瞭然である。苦虫を噛み潰したような顔、とはよく言ったものである。


「ねえ、見せて」

「わかった」


 ウルは快く引き受け、河の方に向き直る。集中し始め、真剣な顔つきになったウルの横顔に越前の面影を感じた。

 両手を胸の前あたりの高さに腕を伸ばし、せぇのっ! の掛け声と共に、ウルの伸ばす腕の先には疾風が巻き起こり、鋭利な鎌のように何かを断ち切るような動きをしている。

 それと同時に疾風のすぐ上では、緩やかな巻き上がる風が吹いており、疾風が消えたかと思えば、その風はゆっくりと向こう側に向かって流れていく。

 二十秒程して風の流れも止まり、ウルが腕を下ろしたところで魔法を終えたことがわかる。



 ふう、と息を吐きながら座り込むウルにならい、あたしもウルの左隣に腰を下ろす。


「よくはわからなかったけど、すごいね」

「ん、ありがと」


 実際どういうことだったのかよく分かっていない。風がウルによって動かされていたのは分かるが、ウルの意図した通りに動いていたのかは分からなかったし、仮に意図した通りに動かすことが出来ていたとして、何を目的とした動きかもあたしには分からないからだ。



「今のは、なんのため?」

「麦のしゅうかくのため。

 まず麦をかりとって、その麦をじめんにつけないように上にあげて、さいごに、ゆっくりいっかしょにあつめる」

「たいへんだねぇ」

「うん。するどい風と、ゆるやかな風のコントロールがむずかしい」


 そういう動きだったのか、と感心する。複数の動きを操るのは、本人が言うように大変な作業なのだろう。それをこんな小さな体でやっているのだから驚きだ。


 さてと、と言って立ち上がったウルは、どうやらまだ続けるつもりらしい。


「まだやるの?」

「いや、今のはもうやらない。つぎのしゅうかくまでわすれないように、かんかくをつかむだけ。あとはすきなまほうをすきなだけ出してあそぶんだ。たのしいよ。あ、すぶりもする」

「たのしそう。いいな」


 素直に羨ましいなと思う。当たり前だとしても、湊からしたら特別で、魔法はとても興味があった。

 しかし、父が危ないからとあまり熱心に教えてくれないのだ。対して、体術の方の指導は厳しいので、あたしは単に父が魔法が苦手なのだろうと勝手に思っている。



「アッシュもやってみれば?」

「やりかたがわからない」

「うーん、おれもくわしくはわからないんだけど…」


 ウルは再度あたしの側に腰を下ろし、どうしようかなぁ、なんて考え始めた。人ごとなのにこんなに悩んで。良い人というのは死んでも変わらないらしい。



「ばばさまにきくのがいちばんなんだけど…」

「いや、そんなになやまなくていいよ」

「よしっ!

 とりあえずやってみよう」

「はあ?」


 突飛すぎるにも程があるのではないか。

 いきなり手を叩いたかと思えば、出てきた案は体育会系のノリ。それで出来れば苦労なんてしない。



「ほらっ。立って立って」

「う、うん」


 急き立てられ立ち上がれば、ウルは非常に簡単な説明をしてくれた。



「まほうのようそは五つ。きほんは、風、水、土の三つ。じゅもんとかはなくて、まほうはこじんのセンスと、まりょくのつかいかたとまりょくりょうできまる」

「え、思ったよりすくないね。

 それにつかいかた? まりょくりょうって?」


 一気に様々なことを言われても、何の予備知識もないあたしの頭は処理しきれない。


 追ってなされた説明によると、

 曰く魔法というものは〈自分の魔力を使って、自然界の力を借りる〉ものらしい。

 要は、自然界の力を借りるために、自分の魔力を体外に放出することで魔法が現れる=使用できる、という仕組みのようだ。


 魔力を持たない生物はいないから、どんな生き物でも魔法を使えるということだが、大事なのはその魔力のあるなしではなく、量の多い少ないである。

 魔力量が多ければ、それだけ魔力を多く消費する魔法を使うことができるし、魔力量の少ない人よりも数も多く使用できる。


 そこで問題となるのが魔力の使い方だ。

 例えば、分かりやすくするために、先ほどのウルの風の魔法を使うのに十の魔力を消費するとする。しかし、ウルは魔力の使い方があまり上手ではないため、十五の魔力を消費してしまう。

 このように魔力の使い方の上手い下手で差が出るということらしい。

中には精霊に気に入られたりすると、その要素の魔力の消費量が減ることもある、らしい。まあ、これは例外中の例外みたいだ。


 呪文はあるにはあるらしい。

 しかし、重要なのは体外に放出する際のイメージなので、唱えなくても魔法は使えるらしい。

 恥ずかしい呪文を唱える必要がないというのは大変ありがたかった。



「というわけなんだけど、どう?」

「うーん、じゅもんをとなえなくていいってきいてあんしんした」

「だよなぁ。しゅうちしんにもだえて、まほうがつかえないんじゃはなしにならないからなー」

「ねー」


 ここは元日本人の感覚が強く、そういった恥ずかしいことは中学二年生までと決まっている。既に成人していたあたしとしては、まともな精神状態でできるとは到底思えない。本当に心底安心したのだ。




「よしっ、やってみるぞ」

「…」


 …あたしは文化系の人間なのでそのノリは辛い、とはっきり言うべきだろうか。






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