10.
「とまあ、冗談はこれくらいにして、それ早く食べちゃいな」
言われるままに口をつけるが、嫌なことが待っているかと思うと味も感じない。
さっきはあんなに美味しかったのに…。
「さて。
ツェツェグー、聞いてるんでしょ?
こいつらももう食べ終わるからさー、面倒はさっさと済まそうよー」
少し大きめの声で今この場にいない人に向けてじじさまは楽しそうに声をかける。
実はあたしも、表情見る限りウルもそれに気付いてはいた。
それでも今回の件に関して、あたしたちのお叱り役はナツァグさんだから、ばばさまにこれがバレてもそんなに怒られはしないだろうと思っていた。
しかし先ほどのじじさまのツェツェグたちというのを聞いて、その考えが甘かったことを悟った。つまり盗聴しているのがばばさまだけだとしても、その横に誰かがいてその人にばばさまが情報を漏らしていれば…話は別だ。
「着いてすぐシャットアウトしてればよかったのかな」
「無理だ。言うの忘れてたけど、うちの畑とか農地も全部ひっくるめた広大な結界が張ってあるんだ」
つまり、あたしたちがどんなに足音に気をつけて出て行こうと、その結界を越えて出て行った時点でばばさまにはバレていたという訳か。
それなら初めから失敗だったのか。
「それにしても、お前ら本当に凄いなぁ。
学校行くまでまだ時間あるだろ。二人ともそれまで毎日俺と稽古な」
この突拍子もない発言になぜ、とも、嫌だ、とも言えない。
じじさまは目で表情で全身で、あたしたちの疑問も否も認めていない。
「いやぁ、楽しみだ。
ねぇ、ツェツェグ?」
本当にこの人は恐ろしい。後ろに目があるのではないか、そう思えるほど常軌を逸している。
だって、ばばさまが来る方向はじじさまの背中の向こうから。距離はあたしたちだって言われて顔を上げて見て、まだ十メートルほど先にいた。
「あたしは二人に話すことがあるから、あんたは早く馬を連れてきて」
振り向きながら声をかけたじじさまには微塵の優しさも感じられない声音で返される。
それをなんでもないことのように流して、素直に言うことを聞くじじさまにいっそ尊敬の念すら浮かぶ。
「さて、あたしは別に怒りに来たんじゃないよ。聞きたいのは、それのこと」
目の前までやってきて立ったままばばさまが指差したのは、じじさまが先ほど袋から出した異形の兎。
「これは魔物。
魔物というのは、なんらかの影響で魔力を体内に溜め込みすぎたが故に、身体がその強すぎる魔力に耐えられなくなって、姿形を変えてしまった生き物の総称だ。
お前たち二人は…あたしの本棚からその手の本も読んでいたから、なんとなくわかってはいただろう?」
肯定の意を込めて頷くが、実際に目にしたのは初めてだった。
「そうそうお目にかかれるものではない。人間の生活範囲に魔物になり得るような場所などそうそうない。過ぎたる力は毒と同じ。そんなところで生活できないからね」
ばばさまは先ほどのじじさまと同じように魔物の兎を検分し始めた。両足の矢傷と首の血抜き跡を見て、閉じられた口や目にもその手を伸ばした。
「魔物の生まれる条件、知っているかい?」
魔物の兎に目を向けたまま、なんでもないことを聞く風に問われた。
「さっきばばさまが言ってたように、体内に多くの魔力を溜め込みすぎたせいで魔物になる。
普段目に見えないけど、空気には魔力が含まれていて、場所によってはその魔力が濃いところと薄いところがある。特に濃いところに長くいたりすると、身体に魔力が溜まりすぎて、魔物化しやすいって本には書いてあった…気がする」
自信なさげに締められたその説明に納得したらしいばばさまは頷きつつも、さらに質問を重ねてくる。まるで個別の授業を受けているような気分になる。
「そうだね。
じゃあ魔力が濃い場所ってのはどこかわかる? おまえたちの感覚でもいい。こういうところは魔力が濃かったとかね」
「本には、森とか山とか大地の力の強いところが魔力が濃いところだって書いてあった。……よくわからないけど」
「あたしは……」
どうやら自分にも意見を求められているようだったので、これまで訪れた場所で心当たりのあるところを挙げた。
「……なるほど、狼獣人の里の森にハーフェンミーアの海岸、タルーマ王国との国境の山ねぇ。うんうん、アシュリーの言うところは多分そうなんだろう。
そこにいると気分が良かったり、傷の治りが早かったりしただろう?」
何故わかったんだろう。
不思議に思っても尋ねたりはせず、ただ頷いた。
ばばさまによれば、魔力というのは毒にもなれば薬にもなるらしい。強すぎる魔力が身体を蝕む危険性を孕んでいる反面、適量の魔力は身体を活性化させ自己治癒力を高めたりする効果もあるそうだ。
「さて、じゃあ、おまえたちが狩りをした場所はどうだった?」
「特に何もなかった……ん?」
「そう。ウル、わかったことをちゃんとあたしに説明してみなさい」
命令口調ながらも、ばばさまの言葉は生徒に質問する教師のようで、その目はあたしたちの気づきを見逃すまいときらきらと光っているかのようだ。
「えっと、魔物がいるっていうのは、ここにこれがあるから大前提。
魔物が見つかったということは、その近くに魔力の濃い場所があるっていうこと。でも、その場にいた俺らは特にそんなことは感じなかったから、狩りをしていた場所の近くには魔力の濃い場所はなかったって考えるのが普通。
じゃあ、どうして魔物が生まれたのか。考えられるのは二つ。
一つは、別に魔力の濃い場所があって、そこから移動してきた。
二つ目は…あり得るのかわからないけど、突然魔力が濃くなって、偶然その場にいたこの兎が急に魔物になった……から」
「いいねぇ、ウル。ちなみにウルはどっちの可能性が高いと思うの?」
気づけば馬を連れて戻ってきていたじじさまは、ばばさまが話そうとしていたのを遮って声を挟んだ。じじさまはその垂れた目を嬉しそうに細めていた。反対にばばさまのお顔が能面のようになっていて、こわい。
「んー、二つ目、かな。多分」
あたしもそう思っていた。
あたしたちがあの場で狩りをしていた時、それなりに集中していたし、生き物の気配には敏感になっていた。そんな状況の中、遠いところから移動してくる魔物がいたら、さすがに気付いたと思うのだ。
まだ突発的に局地的に魔力の濃度が高まったという方が、あり得ることなのかはわからないが、あたしたちが見逃しそうだと考えた。
「よし、そうと決まれば、早く確認しに行こう」
それからは早かった。案内役としてあたしたちが先行し、夜明けに狩りをした場所に着けば、ばばさまとじじさまは馬を降り辺りを検分し始めた。
しかし特に何もわからなかったため、三十分ほどで終え帰宅の途についた。
馬を飛ばせば大した時間もかからず家に着き、あとはあたしたちで調べておく、とだけ言い置いて、二人は朝食の席にも現れなかった。
帰宅したあたしたちを待っていたのは美味しい朝食ではなく、お説教だった。
半ば呆れた口調で始まったお説教も、ばばさまと二人地下にこもる前にフォローを入れてくれたじじさまのおかげで、そんなに長い時間は怒られずに済んだ。お説教中ずっとナツァグさんの顔を見ていたので、本当にじじさまにそっくりだな、と改めて気づいた。きっと若いころはこの甘いマスクに、本人談だがそれなりの実力、そしてこのいかにも苦労性のしっかり者な性格でモテていたに違いない。
そんなどうでもいいことに思考を飛ばしているうちにお説教は終わっていた。
朝食と説教も終わり、もう一匹の兎の加工を母たちに託し、昨日買ってきたものの確認でもしようかなと思ったところで、あたしたちはじじさまに呼び止められた。
「さあ、二人とも、遊びの時間だよ」
その生き生きとした顔は、ばばさまを呼ぶ顔と少し似ていた。
「はいはい、そこまで」
「はぁっはぁっ!」
荒い息遣いしかできず、呼吸が苦しい。汗が滴り落ちてきて、髪の毛がべったり肌につく。
「うん、いいねぇ。ちょっと休憩したら、次は何にしよっかなー」
隣で脱力しきったウルから舌打ちが聞こえてきた。悪態をつきたくなる気持ちはわかるが、それはじじさまにも聞こえているはずだ。
幸いじじさまは特にそれを気にした風もなく、ウルは力なく後ろに倒れこんだ。
「あ、怪我」
「ん?」
「アッシュの、腕のところ」
「あ、本当だ」
先ほどまで行っていたのは、じじさま対あたしたち二人の組手、というか取っ組み合い。魔法なしの体術オンリーは、大人との体格差もあるが文字通り歯が立たなかった。
「あー悔しい」
「それはいいことだねぇウル。
でもね、じじさまだって負けるわけにはいかないんだよ。お前たち二人とも身体はまだ幼いし、経験もないしね。その割には中々の動きだよ」
慰めの言葉なのかもよくわからない言葉だが、大して汗もかかず、呼吸もほとんど乱していない状態で言われても説得力は薄い。現にウルは全く納得していないようで、それが表情によく表れていた。
「そうぶすっとした顔するなよ。折角エステルに綺麗な顔で産んでもらえたんだからさ。
それに今のお前たちに負けたら、俺ツェツェグに家追い出されちゃうかも」
だから、まだ負けてあげられないな。
呟くように続けられた言葉にウルも反応して起き上がった。
まだ、ということは、将来勝てるかもしれない。そんな希望も持てるじじさまの言葉だったが、それを追求しようとしてもじじさまは笑ってはぐらかすだけで、明確なことは何一つ口にしなかった。
「もう休憩は十分みたいだな。じゃあ次は刀剣を使用して、また俺対二人ね」
将来的には希望があるのか。あたしたちの実力はどの程度のものなのか。もっと休ませて欲しい。体力的に厳しい。
言いたいことはたくさんあったが、それを言えるような雰囲気ではない。
使い慣れたのを持っておいで。と有無を言わさない声音とともに、家の方を顎で示されたのでそれに従う他なかった。
その後は、木製の刀剣、棒(槍では穂先が危険で、それを取った棒の状態で使用するため)を使って対じじさまとのいわゆる模擬戦のようなものを行ったあとは、弓矢や投擲など的を用いて上手く狙いをつける方法を指導してもらった。
そんなハードな軍隊的な訓練をこなし終えた頃には、すでに日が沈みかけていた。
「うん、二人とも凄いね。
これなら、明日は馬上での動きを主軸にやろう」
じじさまはそんな言葉を残して、家に一人楽しそうに戻っていった。
「あ、夕飯までには戻ってくるんだよー!」
ついでのように言われたが、あたしたちが喘ぎながら地面に倒れこんでいる様子を見ていてそれを言うのだから、相当な鬼畜である。
そんなすぐ起き上がれる状況ではなく、疲労困憊で身体はだるく、このまま気を抜けば寝てしまいそうなほど疲れている。
「あんのじじいっ、俺らに、合わせて、手加減して、やがったっ」
「あんなに、簡単に、あしらわれちゃうん、だね」
息も絶え絶えで唾を飲み込みながらなんとか言葉を絞り出す。
「悔しいっ! 負けたことも、手加減されてることも!」
「ん」
「まだ子供なことも、もどかしい」
「ん」
「俺自分じゃ気づいてなかったけど、学校で調子乗ってた、それがバレてることも、それを無言で諭されたことも…恥ずかしい」
「ん」
ウルから吐き出された言葉は、まるでウルを蝕む毒素のようで、言葉がこぼれ落ちるごとに視界いっぱいに広がる空が黒々と染まり始める。
「あたしも、調子に乗ってた。
冬は獣人たちに鍛えてもらってたし、昨日のおっさんたち雑魚だったし」
「ん」
「井の中の蛙大海を知らず、だね」
「まぁ、凄い人が近くに居過ぎだけどな」
ふはっ、と互いに顔を見合わせると同時に笑いがこみ上げた。
ひとしきり笑い終わったところで、辺りはシンと静まり返り、空は間もなく夜の帳を下ろそうとしていた。
「…だめだめだな、俺ら」
「ん。まだ子供だし、なんて思ってたけど、そうも言ってられないって気づかされちゃった」
「な。それだけ俺らの力って異常なのかもなぁ」
じじさまがあれほどあたしたちに掛り切りにならなければいけないほど、あたしたちの力は異質なのだと気づかされた。この衝撃は鈍器で頭を殴られたかのように、ずっとあたしに警鐘を鳴らしている。
「確かにさ、ものすごく苦労したことってないよね」
「ああ。なんだかんだ言って、今までいろんな人に教えてもらってきたけど、これだけはどうしても苦手でできない、っていうのがなかった。
よくスポンジに例えるだろ。よく吸収するって意味でさ。正にあれだよ。時間に差はあれ、大抵のことは吸収してきたんだよ、俺ら。この身体でさ」
あたしたちはこの身体の凄さを知ることができる。前の記憶があるから。
湊ときのあたしは、勉強はそれほど嫌いじゃなかったけど、数学がどうしてもできなかった。運動はそれなりに得意だったけど、走るのはあまり好きじゃなかった。歌うのも絵を描くのも好きだったけど、人に披露したりするのは嫌だった。そんな苦労したり諦めたりした記憶はこびりつくみたいにして消えてはくれない。
そのお蔭か、この大した苦労を必要としないアシュリルの身体のスペックの高さの異常さを理解できる。ウルもそうなのだろう。
「こんなにじじさまに心配されてるとは思わなかったなぁ。ここまで徹底的にコテンパンにしなきゃ、よっぽど鼻持ちならないバカになると思われたんだろうなぁ」
「早いうちに鼻っ柱を圧し折るべきだって思ったんじゃない」
恥ずかしい話、今回のことで自分たちでも気づけないような慢心に気づかされたのだ。じじさまのこれは効果があったのだ。認めたくないけど。
じじさまはあたしたちの力をとても危惧している。それは身体的な面も、魔力的な面でも。
その子供には過ぎたる力は、子供本人の人格形成と将来に多大な悪影響を及ぼす。
慢心や油断なんて引き起こす余地もないほど、あたしたちは今回じじさまに徹底的に打ちのめされた。自分たちより上の存在なんてゴロゴロいるんだぞ、とわからせるために。
そしてこの力を将来悪用されないように、己で制御できるように、自ら悪用したりせぬように、自分でコントロールするために努力を怠るな、とまるで鎖のように今日だけでも痛いほど教え込まれた。
「……あたし、一人じゃなくてよかった」
考えていたことが思わず口からこぼれていた。残念なことに、既に闇に染まったこの時間、あたしの呟きを遮るものはなかった。
「俺も思ってた。いくら前世の記憶があるにしても、自分一人でこの問題抱えてたら、いつか絶対パンクする自信がある」
言葉が漏れてしまってからは、じわじわ頬が熱くなるのを感じていたが、ウルにそう言ってもらえたことで、今度は心がじんわりと温かくなっていく。
「これからも、がんばろう。って会ってからずっと言ってる気がする」
「だな。お互いの未来のためには、頑張り続けるしかないみたいだし、いいんじゃないか」
「くっさいセリフ」
「ほっとけ」
空はすっかり夜に染まり、月は少しずつ雫を垂らすように細々と大地を照らしていた。街灯なんてないこの世界の夜を照らす唯一の光源は、まるであたしたちを照らすスポットライトかのように、ぼんやりとした輪郭を明らかにした。
そんなどこか夢見心地だったからかもしれない。既に恥ずかしいことを言った後だったからかもしれない。互いの距離はそれなりに近いのに顔の見えない状況だったからかもしれない。あたしは、あたしの心の奥の方で燻らせていた願いを吐き出した。
「できれば、ウルが卒業しても、旅に出ちゃっても、遠くに行ってても、あたしと友だちでいてね」
「当たり前だろ……俺らは運命共同体だって前にも言っただろ」
「壮大だね」
「いいんだよ。これは俺らそれぞれの物語なんだから」
「くっさ」
「うっせ」
あたしの吐露した醜い願いは、空に溶けることなく友人に受け止めてもらえたようだ。
そんな安心感があたしの身体を包み込むと、あっという間に瞼が落ちてきた。身体的な疲労となれないことをしたからか精神的な疲れ、そしてそれをはるかに上回る心の充足感が、あたしを眠りの世界へと連れて行こうとする。
ウルが答える際に少し間を置いた点について気にはなるものの、あたしのずっと友達でいてほしいという思いは伝わったし、あたしとしてはそれだけでも大きな成長だった。
相変わらず更新も遅く、展開も遅々として進まない中、お読みくださっている方、本当にありがとうございます。
少しでも、皆様に楽しんでいただけたなら幸いです。




