6.
お待たせいたしました。
お楽しみいただければ幸いです。
翌朝、朝食を食べ終えるとすぐに出発となり、玄関先であたしたちは再度父たちから注意を受けていた。
「何度も言うけど、大人しく買い物をするんだよ、いいね」
「お前らは頭がいいんだから、俺らが言ってることはわかるだろ。お前らが好き勝手やって面倒を起こせば、困るのは誰だ? ん?」
再三にわたる注意を受けるのはあたしとウルの二人だけ。
春風がまだ冷たく耳を攻める中、玄関先で耳にタコができるほどあたしたちは父たちの言葉を聞いていた。
「もうそれ位でいいだろう。この子たちもわかった筈だよ」
「そうそう。ここまで言って問題を引き寄せるようだったら、この子らの才能だね」
玄関から出てきたのはばばさまとじじさま。
結局昨夜の攻防は長いこと続いていたが、深夜パタリと止み、今朝にはこの調子なので、どこかでばばさまが折れたのだろう。
「昨日どうだった」
「離れまで聞こえてたよ、じじさまの声と何かと剣がぶつかるキィンって音」
「ただ昨日はばばさまが折れるの早かったんだよなぁ。まだ外暗かったし」
「えー、それまじ?」
「まじまじ、大まじ。
長い時だと、ばばさま次の日の昼まで出てこなかったから。あそこ我が家が一週間は籠城できるくらいの備品が揃ってるから」
「…戦時中でもない一般家庭に籠城の必要性を感じないけどね」
「まぁ、そう言うなって……」
父たちがばばさまたちに気を取られている間、二人で昨日のことを話していると、不意にウルが後ろを振り返った。
「どうしたの」
「…こっち見てる」
問えばどこか厳しい顔でウルは父やばばさまたちのいる玄関の方を向いたまま答えた。
「誰が」
同じように後ろを振り返ったが、父たち四人の談笑中の様子しか見て取れなかった。
「…じじさまが」
「あたしたちを?」
「いや、多分お前を」
「なんで?」
「さぁ」
そんな会話をしていると、注意を払っていた筈なのにすぐ近くにじじさまが立っていた。それも声をかけられてから気づいた。
「久しぶり、ウル。昨日は夜遅かったから話せなかったからね。
隣の可愛い子、じじさまに紹介して?」
二人して弾かれるように振り向けば、あたしたちの警戒を解くためか、じじさまはしゃがんでわずかにあたしたちよりも目線が下がった。
「じじさま、おはよう。
こいつはトウカンさん家の二番目。俺の友達」
袖を軽く引っ張られ、緊張しながらも簡単な自己紹介をする。
「は、はじめまして。アシュリル・トウカン、10歳です。タクバクさん家にはいつもお世話になってます」
「はじめまして。俺はスレンバートル。ウルたちのひいじいちゃんで、ツェツェグのお婿さん。そしてみんなのじじさまです」
にこっと笑った顔はどこか幼く、また張りのある声も若々しい。見た目が完全におじいさんなだけに違和感がある。
何よりじじさまは目が強烈だ。
ばばさまの黒目がちの深いオリーブ色の瞳のなんとも言えない魅力とはまた別で、こちらも言葉にしにくい。
一言で言えば、見られている。この目でじっと見つめられると、見えるはずもないあたしさえ知らないあたしの中が暴かれてしまいそうな、そんな目だ。
垂れた目が与える全体の穏やかな雰囲気が、この瞳で一瞬にして印象が変わる。
「何回かアッシュに話したけど、これがうちのじじさま。ばばさまの尻にすら敷かれない人。一応元軍事省所属のエリート軍人さんです」
そうか、この目も軍人さんなら納得だ。隠しきれない鋭さとでも言えばいいのか。とても元とは思えない。
「なかなか言うようになったなーお前は。見ない間に賢さと図太さに磨きがかかったみたいだな」
「じじさまかばばさまに似たんだと思うよ」
「碌でもないことを言うんじゃないよ」
どうやらこの会話はあえてばばさまに放って置かれたらしい。
そろそろ自己紹介も終わったと見てばばさまがやってきた。ウルの発言に眉間にシワがよっている。いや、先ほどじじさまと登場した時からかもしれないから、ずっとかな。
「ツェツェグ聞いた? 俺たち二人に似たらしいよ」
「アシュリー、そんなに耳を真っ赤にして。寒いだろう、ほら、これをつけていきなさい」
一切相手にすることなく、ばばさまはあたしの耳を心配してくれた。
頭にはいつの間に用意したのか帽子を被せてもらった。耳当てもあるニット帽のようなもので、たったそれだけなのに冷たい風が遮断され徐々に冷えた耳や頬がホカホカしてくる。
慌ててお礼を言えば、今度は後ろを向かされる。
「後ろの髪も帽子を被りやすいように下の方でまとめておこうね」
「あっ、ありがとうございます」
そう言うや否や、ばばさまはあたしが後ろで一つに結んでいただけの髪を手際よく編み始め、三つ編みが終わるとそれを簡単にまとめてくれた。
この国では大抵女性は髪をまとめていて、下ろすことはあまりない。結ぶと首が寒いので、できる限り下の方で結ぶことで首元に髪が当たるようにしていたのだが、首の付け根あたりでお団子のようにまとめられてしまったので、今度は首に風が当たるようになってしまった。
思わず肩をすくめると、それもわかっていたのか、ばばさまはマフラーまで出してきた。
「ほら、これを首に」
「わっ、あったかい」
正面に向き直って再度お礼を言えば、猫のような目を細めて微笑む。
「入学祝いだよ」
予想もしなかった答えに一瞬固まった。
何か言わなければと頭を巡らす間にばばさまはウルにもマフラーを巻いていた。
「えー、ツェツェグ俺も欲しい。手作りの帽子と首巻き作ってよー」
手作り!
じじさまの言葉から、これをばばさまが作ったのだとわかり我が目を疑った。どうやらばばさまの才能は家庭的な面にも現れているらしい。
マフラーの両脇には花を模した飾りが付いていた。気になって帽子も見てみれば、耳当ての部分にもそれぞれ花の編み飾りが付いている。上にポンポンの付いた若草色の帽子と同じく若草色のマフラーという思わぬプレゼントは、想像以上にあたしを興奮させた。
「ありがとうございますっ! とっても気に入りました!」
「気に入ってもらえてよかったよ。今日は寒いんだから、二つともちゃんとつけていくんだよ」
ウルにもマフラーを巻き終えたばばさまに、心から感謝を伝えた。
「ばばさまありがとう。
これ、アッシュの余り?」
「まぁ、そうなるね。いらないかい」
じゃあ俺に! なんて声も聞こえたけど、ウルは嬉しそうに笑ってそれを一周する。
「ううん、去年首巻き壊れちゃったから新しいの欲しかったんだ。ありがとう」
「大事に使いなさい。お前はものをよく壊すからね」
ばばさまはあたしたちを一撫でし、立ち上がると家の中に戻っていった。無視されたまま置いて行かれたじじさまは、慌ててばばさまを追いかける。その去り際に、じじさまは一言残していった。
「今日は寒いから、帽子と首巻きを出来るだけ取らないように。あと、風邪引く前にさっさと帰ってこいよ。
ツェツェグ待ってー!」
嵐のような二人の去り様を見届け、ようやく兄姉たちと合流した。
父母たちが気を利かせたのか、皆ちゃんと防寒対策した格好になっていた。帽子に首巻き、まるで冬の装いだった。それほど今日は冷え込んでいた。じじさまの言う通り、早めに買い物を切り上げて帰ってきた方がいいだろう。
「みんな準備はいいかな」
「よし、今日はさっさと行って帰るからな。具合悪くなったらすぐ言えよー」
父たち二人が御者台に乗り、子供と引率の大人三人が馬車の荷台に乗り込む。
タクバク家の馬車は、軽トラのようなむき出しの荷台で幌などはない。人が乗るのは本来の用途でないことなど一目でわかる。
寒いので皆が身を寄せ合って乗り、馬の嗎とともに買い物へと向かって進んだ。
今日があまりに寒かったので、チビたちは買い物への許可は下りず、上はアルスから下はあたしまでの学校に通う五人のみ。
残りのチビたち五人はお留守番だ。
行きがけチビたちの様子を見ると、愚図るかと思いきや、ちっちゃい者同士で案外仲良く遊んでいた。母たちの功績も大きいだろうが、文句が出なかったのは幸いだった。
そもそもこの荷台ではいくらチビでも全員は乗らなかっただろう。それほどに狭い。
「むしろ暑くなりそう」
「だな」
それなりに密着した状態であまり寒くない。ウルも同じようで、マフラーを緩め、首からかけるだけにしていた。
「いやいやお前らが寒くないのは俺らのお陰だから」
「ありがとうアルス。すんげーいい風除け」
ぐっと親指を立ててその仕事ぶりを褒めるウル。
「うんうん、そのでかい図体が役に立ってよかったね」
「うん。ありがとう、アルス」
「いいんだよ。ナンサ、寒くなったら言えよ」
妹の皮肉なんてなんのその。アルスは姉のお礼一つで目に見えて相好を崩す。
彼がどうしてそこまでするのか、あたしにはさっぱりわからない。隣のウルに目で問いかけるが首を振られ、あたしたちには理解できなかった。
そんなくだらない会話を続ける孫たちを、微笑ましそうに眺めていた祖父母たちとゆっくりと街へ向かった。
一時間ほどかかり、ようやく街並みの中に足を下ろす。馬車と馬を置いておく場所が街へ入る門の外にあり、父たちはそこに停めに行き、祖父母らに連れられたあたしたちは、先に門の中に入る。
門には人や物の出入りを見る門番がいたが、審査はあっさりした祖父母らと二、三言話しただけで通してもらえた。そんな緩さもお国柄なのかもしれない。
街を守る壁はそれほど高くなく、門も非常に開放的だった。
街に入ってからも高い建物は少なく、遠くに見える街の中心にそのような建物が固まっているようだ。しかし土で作られた建物がこれほど並んでいると、ここが草原のど真ん中であることを忘れそうになる。それほど、ここは街としてちゃんと発展し、機能しているように見えた。
「よし、まずは文具だな。行くぞ」
父たちが先頭に立って皇都を進む。
皇都には何度か来たことがあったが、これまで訪れた街と比べると新たな発見がある。
「皇都は街の色が単調な分、服装とか装飾とか、売り物もカラフルで楽しい。あと露店も多くて賑やか」
「他の街は?」
「ハーフェンミーアも港の方は露店も出てて、船関係の人が沢山いてとっても賑わってた。あと街がとってもカラフルだった。地中海の街みたいな感じ。
タルーマは南に行けば行くほど、東南アジアっぽかった。湊行ったことないんだけどね。野菜や果物の露店が多くて、見たことないものも沢山並んでた。これ食べれるのって思うものも」
「へぇ。いいなぁ、俺も行きたい」
羨ましいというウルは、学校を卒業したら旅に出ると決めているらしい。すでに両親とばばさまの許可は取ったそうなので、何事もなければあと三年後には晴れて旅人だ。
字面だけ見ればなんて不確定要素が強く、職とも呼べないものだが、この世界でならウルほどの実力があれば生きていける。
転送装置なるものはばばさまの極秘発明だし、そもそも大型のものは使用できない。地球のように交通網の充実や手段の多様化はまだまだ先の話で、いつだってものを運ぶのは人だ。それは隊商のように大規模だったり、遊牧民みたいに一家族だったり、狼獣人の夫婦みたいに個人だったり色々だ。
ウルの旅もそういった生業をついでにやれば問題はないだろう。
十分ほど歩くと文具屋に着き、すでに学校に通う姉たちに必要な物の手ほどきを受ける。
「ペンとインク壺、紙と束ねる紐、あとはなんだっけ?」
「ペン先も必要じゃない」
「あ、あと紙挟みも」
買い物カゴには姉たちが入れた、ペン軸、ペン先、インク壺、大量の紙、紐、紙挟みでそれなりに重い。
ペンは万年筆のようにペンの中にインクが入っている物ではなく、ペン軸とペン先が分かれ、取り外しできる物で、ペン先にインクを直接つけて使用する、いわゆるつけペンといわれる物だった。いちいちインクをつけるのが面倒だが、羽根ペンのようなやわな物でないだけマシだろう。あたしの雑な扱いではきっといくらあっても足りないだろうから。
面倒なのはノートがないこと。
紙自体は高級品でもないのに、なぜか紙を束ねたノートがない。本は存在するというのにおかしな話である。普段はある程度書き溜めたら用途別に分けて紐で束ねて保管するらしい。
紙挟みはファイルの役目をする物なのだが、この世界にクリアファイルのようなプラスチックなど存在しないため、薄手の布で作った書類用カバンといったところだろうか。かさばるのであたしとしては要改善なものだ。
やはり自分でノートを作るのが一番な気がしてきた。
「うん、みんな買い物は終わったかな」
「よしっ、他に行きたいところはあるか?」
「はい! 私、雑貨と装飾品を見に行きたいです」
真っ先に手を挙げたのはナーシャ。やはり女の子だからか、アクセサリーなどオシャレには敏感なようだ。
「ナンサも、一緒に行こ。前に、髪飾り欲しいって言ってたでしょ」
「うん、私も行きたい」
「じゃあ俺も」
うちの父の目が鋭くなった。そこまで躍起にならなくても。大層大人気なく、隣でルスティムさんが苦笑いを浮かべているのを見て、我が父ながら恥ずかしくなる。
「じゃあ、三人には俺がついて行くとして」
「いやいや、ジルバは他の買い物もあるんでしょ」
「えー…」
どうやら父は引率としての役目などとうに果たす気がないようだ。そんなくだらないことで父が駄々をこね、ルスティムさんを困らせていた。本当に申し訳ない。
「アッシュはどうする」
「んー、今すぐ必要なものはないから特に行きたいとこはないかな」
「じゃあさ、俺の友達の店に行かないか。実家が装飾屋らしいんだ」
どう? と小首を傾げられたが、素直に承諾しかねるお誘いだった。
正直に言えば、行きたくない。
ウルは学年でも目立つ存在のようだし、そんな奴の知り合いだなんて、ウルの友人といえどできる限りバレない方がいいに決まっている。
そもそもウルの知り合いなんて絶対ロクなもんじゃない。きっと話によく出てくるヤンチャな三人組の誰かだ。厄介ごとを連れてくるのが目に見える。
「いや」
「なんで。いや、別に無理にとは言わないけどさ」
断られた見当もつかず不思議そうな顔をするウル。いっそその能天気さが羨ましい。
「ウルたちって学年だけじゃなくて、学校でも結構有名なんでしょ。そんな有名人と知り合いっていうのはバレるまでは隠しておきたい。それに、」
あたしの言葉は分防具屋の入り口の戸につけられたベルのカランカラン、という音に遮られた。
そのタイミングの良さに父の我儘も止まったようだ。
「ア、アルスランさんっ!」
「ねーちゃんの言った通り!」
「ちょーカッコいい!」
姦しいとはよく言ったもので、上は姉くらいの子から下はあたしと同じくらいの少女が二人の計三人。ベルを鳴らして入ってきた彼女らはアルスを知っているようだ。
「あ、ウルじゃん。おひさー」
少女らの後ろで隠れるよう店内に入ってきた少年がウルに声をかけた。どうやら知り合いらしい。
嫌な予感しかしない。
「久しぶり、フィル」
聞き覚えのある名前だった。こういうのをお約束、というのだろう。
お読みくださりありがとうございます。




