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またまた  作者: よだか
第一章
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8.


「おまえ、なにしてんの?」


「んー、次の時間の教科書探してる」


 声の聞こえた方を振り向くことなくあたしは教科書を探すが、それらしいものは見当たらない。家に持ち帰った記憶はないんだけどなぁ。

 かさ張るプリントを片付け終えても探している教科書は見つからない。しょうがない、借りにいくしかないな。

 あたしは探すのを諦め、同じ部活の子がいる隣のクラスに行こうとした。



 ドアに向かって踏み出すと、


「おい、どこに行くつもりだ」


 再び隣から声が聞こえたような気がして見たが誰もおらず、不思議に思って視線を下にずらせば、そこにはウルがいた。

 あたしは驚いて二の句が継げず、あんぐりと口を開けでウルを見つめていた。


「おまえは、アッシュだろ?」


 そう言われて周りを見渡せば、先ほどまで怖い程鮮明だった教室は跡形もなく、どこまでも続く濃い闇が広がっていた。

 見えるのは、ウルだけ。

 天鵞絨(ビロード)のように艶艶した真っ黒い髪の毛が、この暗闇の中でも見えることに少し驚き、そしてこんな濃く深い闇においても同化せず存在感を放つ輝きにあたしはつい目を逸らしてしまった。


「なぁ、早くもどってこいよ。みんな、おまえをしんぱいしてる」

「……」


 俯き、黙りを決め込む。あたしの口は縫い付けられたかのように開かない。

 足元の暗さを見つめ続けることに底知れない不安を感じ、少し顔を上げウルの頭を見ることにした。同じ黒でも天使の輪っかの輝くウルの髪の毛は、どこか安心する。


「おまえはオイカワだけど、アッシュだろ。

 おれらが今生きてるせかいは…」


 中途半端なところで言葉を切ったウルを不思議の思って顔を見れば、真っ直ぐこちらを見る薄緑の瞳と視線が交わる。ウルの顔が思ったよりも下にあり、まだまだ子どもなのだと分かる。ウルはあたしと目が合ったのが分かると、どこか不敵な笑みを浮かべ、先程の言葉の続きを口にする。



「ここだろ?」



 すると、真っ暗だった周囲が鮮やかな緑に染まった。

 見渡す限り青草の生えた草原。突如現れた目も眩むような足元の緑に目を見張る。遥か遠くには山々がそびえ、上を見上げれば、空は雲一つないまるで絵の具を塗ったかのようにくっきりとした青がどこまでも続いている。


 これが春から秋にかけての生活では当たり前で、でもとても大切な光景であることを知っている。あたしたち遊牧をするものは、家畜のために水と草を求めて旅をし、自然の恵みへの感謝を忘れない。そしてこの一見穏やかに見える景色に潜む自然の脅威も身に沁みている。



 今この景色を見て感じているのは、感動か郷愁か。

 どちらにしても、この風景はすでにあたしの一部であることは間違いない。直接何度も何度も見てきた、愛おしく眩い世界は、テレビの世界とは異なり忘れられるはずもない。



「アシュ、リル」


 つたない口調で名前を呼ばれて、再度ウルと目を合わせる。

 ほんの数秒だったのか、あるいはもっと長い間そうしていたのかもしれない。目は口ほどにものを言うとはよく言ったものだ。満足気に爛々と瞳を輝かせるウルは先ほどの不敵な笑みとは異なり、6歳児らしい軽やかな笑顔で言った。



「帰るぞ」

「ん」


 ほら、と差し出された手を握り、あたしはウルの左側を歩く。自分より少し高い位置にある目線と合わせようと思えば、見上げるしかなく、ウルのつむじなんてもう見えない。自らが伸ばした手は小さく、それを握り返してくれる手も小さい。

 あたしたちは子どもなのだと実感する。



 どこに向かっているのかは分からないが不安はない。繋いだ右手から感じる温かさと、流れ込んでくるウルの魔力。たったこれだけのことがあたしの不安を取り除き、そして前を向かせてくれる。



「ウル」

「ん?」

「ありがと。もう、ふりかえらない」



 ちょっと恥ずかしくてウルの目を見ては言えなかった。言い終え顔に熱が集まるのを感じたが、もう俯いたりしない。

 目の前に広がる草原や山々。それらは何時までも変わることなく、果てしない悠久の時の中、あたしたち生き物を見つめてくれていて、そんな自然が厳しくも優しいものであることをあたしはもうわかっている。この光景が本物とは違うものでも、この景色の中にいるというそれだけのことが今のあたしの足元を固めてくれているのだ。


 そんなあたしの決意を聞いたウルは思い切り笑った。



「ははっ!

 べつに、立ち止まって、ふりかえるくらい、いいんじゃない?

 どうがんばっても、後ろにはすすめないんだしさ」


 その言葉はまるで魔法のようだった。

 あたしの今の今まで悩んでいた胸の奥のモヤモヤをあっという間に晴らしただけでなく、立ち止まることも振り返ることも否定しない。

 まるで“あたし”という人間を丸々肯定されたようで。それだけで先程まであたしの胸にどろどろとした思いが巣食っていた場所を、ウルのその言葉が埋めてくれたような気がした。

 笑われたのは、ちょっと納得いかないけど。




 草原はどこまでも続いている。

 緑のなだらかな地平線は空の青との境を曖昧に描く。果ての緑と青は混ざり合い、天と地の区切りはまるで水彩画のようにぼやけていた。



 空間の曖昧さから、自分が生きてきた二つの世界に思いを馳せれば、よりあたしの頭の中を占めるのは草原と組み立て式の我が家。

 帰りたい、そんな切実な郷愁を胸に感じれば世界は突然反転し、まるで天に足を放り出し浮いているかのような錯覚に陥る。


 落ちるっ!

 と強く目を瞑り、握っていたウルの手をより意識し、来るであろう衝撃に耐えようとした。







 目を覚ませば、知らない天井だった。


 …またか、と定住生活で当たり前の天井という存在に、まだどこか慣れていないことを感じた。


 はっとして、落ちる衝撃に耐えようとしていたあの自分は夢だったのだ。でもあのとき右手に感じた温もりは、まだあたしの手に残っている。




 そもそもここはどこだろう。

 ばばさまに連れられてウルと外に出て、そのまま二人で外で寝っ転がって。どうして室内の中にいるのだろうか。


 目を覚ましたものの体は怠く重く、満足に動かせそうもない。瞼も重く薄く目を開けるにとどめ、綺麗な布が何枚も掛けられた天井を只ぼんやりと見つめていた。



 その内徐々に瞼が落ちて来て、目を開けていられる時間が少しずつ短くなっていく。身体の求める睡眠に身を委ねようと、間隔の短くなった目を開けている時間という小さな抵抗をやめようとしたら、突然目の前にウルの顔が現れた。



「目、さめた?」


 億劫ながらもこくこくと、小さく頷いた。あんまり驚きすぎて声は出なかった。


「ははっ!

 そんなに目を見ひらいてたら、目ん玉おっこちるぞ」


 そんなことない。と言おうとしてもしゃがれた声しか出ず、喋るのを諦めた。取り敢えずウルのお陰で目は冷めたので、今がどういう状況なのか把握しようと身体を起こそうとした。


「むりすんな。オマエねつあるんだぞ。

 ていうか、ぐあいわるいかったなら言えよな。そしたらあのとき、家にかえったんだから」


 あのときは別に具合が悪かったわけではないのだ、と伝えたくても声は出ない。視界からウルはいなくなり、すぐ近くから声が聞こえるものの、顔を動かすのも億劫で天井だけを見ていた。



「たいへんだったんだからな。オマエ、よんでもへんじしないし、おきないし。かおまっかで、あついのに、さむそうにして体丸めてるし」


 どうやら随分迷惑を掛けたらしい。

 なんでもあたしに熱があることに気付いたものの、あたしを一人で置いていくこともできず、まして6歳の小さな体ではいくらあたしの方が小さいといえど運べない。

 試行錯誤した結果、風の魔法でなんとかばばさまを呼ぶことに成功し、後は大人たちがばばさまの一声で大慌てで動いてくれたらしい。

 鶴みたいだろ、と笑って言ってるけどこいつは結構本気で思ってる。でもうん、あたしもそう思う。


「すごいねつで、みんなびっくりしてた。おかげで、うちのばばさまと母さんにめっちゃ怒られた…まじこえーの」


 …申し訳ない。

 ばばさまの力は知ってるから、それで怖いっていうのも納得だが、エステルさん程の美人に冷ややかな顔されたら、真夏でも背筋が寒くなるに違いない。


 ウルだけでなく色々な人に迷惑を掛け過ぎていて、申し訳ない気持ちで一杯である。しかし、あたしは今こんな近くにいるウルにも満足に礼を述べられる状態ではないので、何よりも体を治すのが先決であった。



 ウルはあたしの声が出ない状況を知ってか、絶え間無く話をしてくれるため、あたしの知りたいこともそうでないことも情報としてどんどん入ってくる。


 今が大体日没前の時間だということ。

 もう皆はすでに夕食を終えているということ。

 昨日同様酒盛りが始まっているということ。

 ここはばばさまの部屋だということ。

 ウルは夕食後からここにいてくれたということ。

 ばばさまもさっきまではここにいたということ。などなど。


 冷静に話を振り返れば、あたしはばばさまの寝床を占領してしまっていたことに気づき慌てた。


 何がむりすんな、だ。無理してでもどけなければならない状況ではないか。とようやく鈍った思考ながらもそのような考えに至ったので、あたしは自らを鼓舞してとにかく起き上がろうとしたが、またもやウルに止められた。


「いいんだって。ばばさまもねかせておけって言ってたし、ばばさまのベッドはとなりだよ」


 隣? と不思議に思って顔をウルが指さす方、あたしからすると左手の方に顔を向ければ、綺麗な刺繍の施された布団カバーや枕カバーが目に入った。大まかな刺繍が見えるくらいの近さにあることが分かる。隣の寝床は華美ではないものの、穏やかな色合いのそれも花のモチーフの刺繍が全面になされ、女性の寝具であると考えるのが普通である。


 ウルの言うことをそのまま鵜呑みにし、そうなのかと納得しそうになるが、そもそも今あたしが寝ているベッドが誰のものなのかという根本的なことは分かっていない。


「こっちのベッドはじじさまのだよ。

 なんかじじさまさ、今年の春ぐらいからいなくなっちゃったんだ。ばばさまが、くわしいことなんにも言わないから、おれもよく知らないんだよね」



 …それって、もうお亡くなりになっているのでは?


 あたしの表情を読み取ったのか、ウルは苦笑して言った。


「まあ、子どもにはむずかしいことだもんな」



 そう言った後のウルの遣る瀬無い様で、でもどこか諦めている表情を見て、あたしは思わず両手に力を込めた。

 すると、右手に感じるほのかな熱。確かめようとうまく入らない力を手に込め握れば、握り返してくる温もり。


 驚いてウルを見れば、こちらも意外そうな顔をしていた。


「今気づいたの?」


 おそっ、と言われてもあたしの頭の中は先ほどの夢のことしか考えていない。


「ゆ、め…?」

「じゃねーし」


 案の定しゃがれた声が出てきたが、ウルは聞き取れたらしく、あたしの言葉にすぐさま返事が返される。


 夢、じゃなかった。

 じゃあ、さっきのは、なんだったんだろう。



「おまえ、まほうで、自分の中にとじこもってたんだよ。ばばさまが言うには、こうねつで、まりょくもふあんていになってたんだと。

 んで、ばばさまの力をかりて、おれがおまえをむかえに行ったの」


 わかったか? と聞かれ頷くしかできない。


 そうか、夢じゃなかったのか。

 あれは……あたしの心の中だったのか。というか、魔法でそんなことができるんだ。



「あんしんしろ。またこんなことがあったら、今度はばばさまの力をかりなくても、なんとかしてやるからさ」

「あり、がと。

 でも、もう、だいじょぶ」



 聞こえただろうか。

 伝わっただろうか。



 次は自力で出てくる。と言えば、

 無理だろ!と笑われた。


 今度はあたしがいくよ。と言えば、

 ありえねー! ともっと笑われた。



 他愛のない話を続けている間、ずっとウルはあたしの手を握っていてくれた。

 あたしが睡魔と格闘に入れば、おれも寝ると言ってベッド脇の椅子に座ったままベットに顔を埋めた。あたしたちは手を繋いだまま、眠りの世界へと足を踏み出した。




 微睡みながらも、あたしは必死に考えた。この友人に対し、あたしは何ができるのだろう、と。


 あたしは何も持っていないし、何も返せない。でも、あたしはこいつの一番の友人でありたい。何があっても、あたしはウルの味方で、裏切らない。


 そんな子どものだだをこねる様な決意をウルの言葉の詰まった胸に刻み込む。


 あたしの小さな自己満足。

 これは誰にも話さない、あたしだけの決意。

 まぁ、決意を笑われるのってむかつくしね。




 微睡みに身を任せれば、靄の向こう側で誰かが手招きしている様な気がした。

 あたしはそれに置いていかれない様に、前を向いて走り出した。


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